第七十五段 なにか一つできる人/つれづれわぶる人


第七十五段 なにか一つできる人
なんにもできない人は なんにもできないことで
なんでもできる時間と空間を 手に入れる
なんでもできる人は そのことで
なんにもできない人に ヤキモチをやくこともできる

なんにもできない人の なんでもできる時間や空間は
なんでもできる人の 手によって
なんにもできない人の 事情や気持ちにかまわず
なんにもできない時間や空間に 押し込められてお仕舞い

みんな いそがされることを いそいでいる
いそがせることに いそしんでいる
会うべき人と すれちがうようにばかり歩いて
いやなやつにぶつかると 愚痴る

みんな自分にあきあきしている そのくせ
他人にあきあきすることには けっしてあきない
どこにでも行けるから どこにもいられない
だから どこにも行けない

自分が なんにもできないことを知っている
わたしは なんにもしない
そのことで すべての時間と空間と なんでもできる人たちと
なんでもできなくちゃいけない自分自身 から解放されている

なんにもできないことに居直らず
なんでもできることに絶望せず
なんにもしないことを止めると
なにか一つできるようになる

わたしはそんな
はじめてのなにかひとつで
ひとつずつ
できあがっていく



第七十五段 つれづれわぶる人は
 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。
 世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人みなかくの如し。
 未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。

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はじめに

 『濃々草』は、昭和の北海道生まれの一「徒然草」読者である田原ヒロアキによる、平成の時代に書かれる「徒然草」へのオマージュです。


 各章段の、上の[NAVY]のテキストは、田原ヒロアキの創作です。
 下の[OLIVE]のテキストは、ワイド版岩波文庫16『新訂 徒然草』(西尾実・安良岡康作 校注 1991年) に拠っています。

 今後は、各章段の、『濃々草』側のテキストが出来次第、「徒然草」テキストと同時に、週に一段くらいのペースでアップしていく予定です。
 全二百四十四段(序段含む)の完成を、五年後くらいに目指しています。


 どうぞよろしく。

こちら  も、ご覧ください

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序段 こてこてたるまちに/つれづれなるまゝに


序段 こてこてたるまちに
 こてこてたるまちに、日くらし、マックにむかひて、目耳に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく打ちつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

(現代語訳)「こてこて」とした大阪の町に、毎日を過ごし、マッキントッシュのコンピュータに向かって、目に映り耳に入りするとりとめもないことを、どうというあてどもなく、キーボードで打ち込んで入力していくのは、なんだか不思議な気持ちのすることだなあ。

序段 つれづれなるまゝに
 つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

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第七段 愛と死の阪急電車/あだし野の露消ゆる時なく


第七段 愛と死の阪急電車
 1993年5月9日、日曜日の阪急電車京都線に乗ったときのことである。
 私は桂駅から梅田行きの急行列車に乗車した。連休が明けてから初めての休日、五月晴れの昼下がりである。たまたま乗った車両の五人掛けシートの両端には、男性が一人ずつ座っていた。私は、彼らの間に、彼らと等間隔をとるように腰を掛けた。いつもの習憤で、かばんから本を取り出して読書を始める。福島肇という人の書いた「電磁気学のABC」という本。
 長岡天神駅を過ぎ大山崎を背にするころ、空いた車両の窓から石清水八播宮のある男山が見える辺りで、妙なことに気がついた。
 私の両脇に座る男性二人は、二人が二人とも、黒の礼服を着ている。そして、その二人は赤の他人同士であるらしい。これはなかなか面白い巡り合わせである。しかも、横目で眺めて見ると、左に座る四十歳代後半に見える男性は黒いネクタイを、右に座る四十代前半かと思われる男性は白いネクタイを、している。
 黒ネクタイは、どうやら、心に何かしらの衝撃を受ける人の死に接したわけでもなさそうで、至極呑気に、体を崩し横座りに座り進行方向に流れていくサントリー大山崎工場周辺の景色を、ぼんやりと眺めている。白ネクタイは白ネクタイで、その服装にぴったりくるとも思えない、ビック・コミック・スペリオールを、気のない素振りでパラパラとめくり、網棚の上の引き出物を忘れないで下車すればいいがとこちらが心配したくなるような風情だ。

 たいていの人間は、結婚する。これは真理だ。
 結婚しようがしまいが、すべての人間は、死ぬ。これもまた真理だ。
 そして、結婚する人間たちよりは多いが、死んでいく人間たちよりは少ない数の人間が、人間の中で社会生活をおくっている。
 この国では、社会生活をおくる男性たちは、その冠婚葬祭の都合で、淀川の向こう側の京阪電車とこちら側の阪急電車を乗り分けるように、同じ黒い礼服に、白と黒のネクタイを締め分ける。
 意地悪く考えれば、社会生活をおくる上において礼を失しないということは、人間として生きる上で深く礼を失することになりかねないのではないか、と思ったりもする。
 そういえば、私は、この年の十月に結婚する予定だった。白いネクタイを締めて、やがて、黒いネクタイに至る、というわけか。白から黒への、墨絵のような灰色のグラデーションが、頭に浮かぶ。

 白ネクタイの男性が、社会的に礼を失しない程度の重さであろう引き出物を手に、高槻市駅で下車した。黒ネクタイは、そちらに見向きもせず、なんの景色を見ているのかあいかわらず視線も定かでない。
 ぼくは腰を浮かし、白ネクタイが座っていた位置まで移動した。あらためて腰掛けてから、ふたたび、日本人の礼服について考え始めた。



第七段 あだし野の露消ゆる時なく
  あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあわれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

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第二十段 女の名残/某とかやいひし世捨人の


第二十段 女の名残
某とかやいひし世捨てられぬ人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、女の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれども、ある人、「その名残より、大きなる「ほだし」あるべけんや」と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり。


(現代語訳)何某とかいった俗気ぷんぷんたる人間が、「この世の中、心をしばるものをすべてもっていないわが身には、ただ一つ、女から受けて心に残る感銘ばかりが捨てがたく感じられる」と言ったのは、なるほど、そのようにも感じられるのだが、ある人が、「その名残以上に大きな「ほだし」があるもんか」と言ったので、一同大笑いとなって、何某はその場から逃げ出した。



第二十段 某とかやいひし世捨人の
某とかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

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第二十九段 生き続ける仕事/静かに思へば


第二十九段 生き続ける仕事
「静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。
 人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反古など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、ただ、その折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足なども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし。」

 ある人が消え去った後、その人が、残された人々になんらかの影響を与えている間は、その人は誰かに仕事をし続けていると言っていいのではないだろうか。モーツァルトは数百年前に死んだが、今や彼の音楽が流れない瞬間がこの星の上にはなく、そう考えれば彼はいまだにこの星の上で、大きな仕事をし続けていることになる。
 上の文章は『徒然草』の第二十九段。兼好法師にこの章段を書かせるという仕事をせさた「亡き人」の仕事は、こうして七百年近く後の人間に働きかけているわけである。夜中、手持ち無沙汰に机の中を引っ掻き回し、そこにあることすら忘れていた細々とした物たち。それらの一つ一つを見ることで惹起される様々の懐かしさに、時を忘れた経験のある人間になら、この章段の面白みはすぐにわかるだろう。

 もっと古くもっと遠くの仕事を引用することもできる。
「たかき樹の枝にかかり、
 梢にかかり、
 果実とるひとが忘れていきたる、
 いな、
 忘れたるにあらねども、
 えがたくて、
 のこしたる赤き林檎の果のように」
(『上田敏訳詩集』)

 二千五百年あまり前、ギリシアには、詩を読む女性と、その詩を楽しむ人間たちがいて、その時代の人々の心を打った林檎の赤は、二千五百年褪せることはなかったわけである。



第二十九段 静かに思へば
静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。
 人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反古など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、ただ、その折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足なども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし。

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第三十八段 雑事との戦い/名利に使はれて


第三十八段 雑事との戦い
 「人生とは雑事との戦いである」と森有正が言っている、と伊丹十三さんがどこかに書いていた。
 われわれは、朝、顔を洗う。たいていの人はそうする。朝、顔を洗う暇もない生活は、人間のものとは言えない、とも言える。だからと言って、われわれは、毎日、朝、顔を洗うことを目的に生きているわけではない。朝、顔を洗うことは、罪のないほうの、雑事の一つである。
 その戦いがどんなものであるか、問う必要もないだろう。はっきりしていることは、雑事という敵は手強いということである。まず、兵力に事欠かない。かれらの戦いは不眠不休で、戦場のない土地はない。世間は、広く、雑事を培養する場所でもある。
 その戦いでの敗北は、自分自身の時間を失うことを意味する。厄介なことに、実は自分自身であることをやめて、雑事の培養係になるほうが、暇は潰れる。死ぬまでの暇が全部埋るといってよい。ただその人の一生はもはや、人間の一生ではなくなる。自分自身が何者であるか、考える暇も持たない者は、人間とは呼べないからである。

  「名利に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。」
 十四世紀の森有正こと、兼好法師の言葉である。
 雑事との戦いに疲れて京都は小野庄に隠遁したものの、どの時代もこの世に雑事から逃れられる場所などない。そこでも、また新たな戦いが始まり、兼好法師がその戦いの過程を戦記として残したのが『徒然草』ではなかったのか。
 その戦いに、兼好が勝利したか否かは誰にもわからない。『徒然草』の最終の章段を読んでみればわかるように、兼好自身さえわかっていなかった可能性もある。ただ、『徒然草』を見る限り、兼好はその戦いに赴くことを、疎ましく思ってはいなかったようだ。

 村上春樹はいう。
「どんなささいなことからも、人間は何かを学ぶことができる。」
 些細なこととは何か。雑事である。
 雑事との戦いに勝利するとは、雑事から何かを学ぶことだったのである。

 ユングはいう。「人間は一生をかけてその人間になる」。
 逆にいえば、雑事との戦いに敗れた人間は一生をかけて自分自身ではない何者かになる、ということか。それは、ちょっと怖い。



第三十八段 名利に使はれて
名利に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
 財多ければ、身を守るにまどし。害を賈ひ、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗を ふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。金は山に棄て、玉は淵に投ぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。
 埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ、位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生れ、時に逢へば、高き位に昇り、奢を極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから賎しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また多し。偏に高き官・位を望むも、次に愚かなり。
 智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり。誉むる人、毀る人、共に世に止まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉はまた毀りの本なり。身の後の名、残りて、さらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。
 但し、強いて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵出でては偽りあり。才能は煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるをか善といふ。まことの人は智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より、賢愚・得失の境にをらざればなり。
 迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。

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第三十九段 わかることかわること/或人、法然上人に


第三十九段 わかることかわること
  私は長い間、「わかる」ということがどういうことなのか、わからなかった。
 どう考えてもわれわれは、おそろしく気軽に、「わかる」という言葉を使う。「わかる」という言葉は、使うにはたやすいが、「わかる」にはむずかしい。
 私が「わかる」という言葉を自分のものとして感じられるようになったのは、ある一冊の本を読んでからである。
 その一節を読もう。

 「上原先生のゼミナールのなかで、もうひとつ学んだ重要なことがあります。先生はいつも学生が報告をしますと、「それでいったい何が解ったことになるのですか」と問うのでした。それで私も、いつも何か本をよんだり考えたりするときに、それでいったい何が解ったことになるのかと自問するくせが身についてしまったのです。そのように自問してみますと、一見解っているように思われることでも、じつは何も解っていないということが身にしみて感じられるのです。 「解るということはいったいどういうことか」という点についても、先生があるとき、「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」といわれたことがありました。それも私には大きなことばでした。もちろん、ある商品の値段や内容を知ったからといって、自分が変わることはないでしょう。何かを知ることだけではそうかんたんに人間は変わらないでしょう。しかし、「解る」ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そのような「解る」体験をすれば、自分自身が何がしか変わるはずだと思えるのです。」(阿部謹也『自分のなかに歴史を読む』)

 人間はわかることでかわっていく。それは、素敵なものの考え方だ。
 わかることで、自分の中でなにかがかわっていかなければ、それはわかったことにはならない、という言葉を知ることで私はかわった。それはつまり、とりもなおさず、その言葉をわかったということだ。
 それは、私にとって、生まれて初めての出来事でさえあったかもしれない。
 何か一つでもいい、自分の中で、わかったと感じられる言葉を持てることは、幸せなことだ。
 常に変化していく自分自身とだけ、われわれは一生をともにできるからである。



第三十九段 或人、法然上人に
或人、法然上人に、「念仏の時、睡にをかされて、行を怠り侍る事、いかゞして、この障りを止め侍らん」と申しければ、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。
 また、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。
 また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。

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第四十五段 強すぎる被害者意識と弱すぎる加害者意識/公世の二位のせうとに


第四十五段 強すぎる被害者意識と弱すぎる加害者意識
 ある日突然、私よりも年少の知り合いの青年に、「しあわせですか」と問いかけられた。深く考えてみるまでもなく、そのとき、私という人間は不幸ではなかった。「ああ、しあわせだね」と答えた。一人になって考えてみた。では、今だかつて不幸だったことがあっただろうか。さて、それもない。
 私は、端で見ている人に、こいつは明るい奴だというような印象を与える人間ではない。それが良いことか悪いことか、自分ではわからない。そんな印象を与えたいと努力する性格でもない。それもまた良いことか悪いことかもわからない。
 私は、不必要にわが身の不運を嘆くこともない。そんな暇があるなら、ふとんに入って寝る。落ち込んで食事が喉を通らなくなるなんてことは、まったくない。腹が減ったら不機嫌になるが、ご飯を食べればすぐ直る。
 それが幸せでなくて、なんだろう。
  今この時代のこの場所が、人が幸せに人間らしく生きられる場所であるか否か、と問われたら、あんまり良い時代とも思えないし住んでて楽しいことばかりとはいかないだろうね、と答えるしかないだろう。それは認める。
 ただ、その先にもう一つ、おまえは幸せか、という問いが用意されているなら、私はやはり幸せだとこたえるだろう。それは確かだ。
 被害者意識を抱こうと思えば、これほど簡単なことはない。自分の不遇の原因はあの人間のせいだ、あのときそうしていればこんなことにはなってなかったのに、こんなところにいたんじゃ自分の力は評価されない、等々。

 かと思えば、加害者意識の弱すぎる人。
 自分が、この世の一部として生きている限り、どこかで誰かの場所や時間を奪っている、という意識のない人。なんらかの差別がこの世に存在することに気付いてはいるくせに、自分が差別する側に回っている可能性にまったく頭のいかない人。道端になにげなく捨てるゴミが、他人に不毛な労働を強いていることに思いの至らない人。
 あるいは、そのことをわかっていつつ、それをしてしまう人。

 モンテーニュの「エセー」にこんな文章がある。

「さらにもう一つ、セネカがその書簡の一つに語っている同じような話をつけ加えよう。彼はルキリウスにこう書いている。「きみも知っているとおり、私の妻の道化女のハルバステは親の代から厄介物としてわが家に留まっている。実際私の好みからいえばこういう化け物は大嫌いなのだ。それに私は道化役を見て笑いたくなれば、そんなに遠くに求めるまでもなく、自分自身を見て笑っている。この道化女が突然目が見えなくなった。へんなことを言うようだが、次のことは本当なのだ。彼女は自分が盲になったことに少しも気がつかず、この家が暗いから外に連れ出してくれと堪えず彼女の監督者にさけんでいる。われわれが彼女を笑っていることは、実はわれわれの誰にでもあることではないだろうか。誰も自分が吝嗇で、欲深いことを知らずにいる。まだしも盲人は案内者を求めるからいいが、われわれは自分で脇道にそれてゆく。そしてこんなふうに言う。『私は元来野心家ではないのだが、ローマではこれ以外では生きられないのだ。私は浪費家ではないのだが、都会に住んでいるからどうしても金がたくさんかかるのだ。私が怒りっぽいのは私の罪ではない。いまだに落ちついた生活ができずにいるのは若いせいだ』と。悪の原因をわれわれ自身の外に求めることはよそう。原因はわれわれの中にあるのだ。われわれの内臓に根を張っているのだ。そして自ら病気だと気づかないでいるそのことがわれわれの治療をいっそう困難にしているのだ。もしも早くから治療を始めないならば、いったいいつになったらこんなにたくさんの傷や病気に備えることができるだろう。だがわれわれは哲学という非常に甘い薬をもっている。他の薬は、なおってからでないと楽しみを味わえないが、この薬は楽しませるのとなおすのが一緒なのだ。」
 以上がセネカの言葉である。おかげで本筋からそれたけれども、その代り得をした。」(原二郎訳、岩波文庫)。

 「仮病をつかってはならぬこと」と題された一文の末尾である。
 被害者意識を持つのは仮病の一種である。
 加害者意識を持てないのも仮病の一種である。
 直すも直るも自分次第ではないのだろうか。



第四十五段 公世の二位のせうとに
 公世の二位のせうとに、良覚僧上と聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。
 坊の傍に、大きなる榎の木のありければ、人、「榎木僧正」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を伐られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池僧正」とぞ言ひける。

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第五十段 平成の比、和泉国より/応長の比、伊勢国より


第五十段 平成の比、和泉国より
  平成の比、和泉国より、蜘蛛の毒を持ちたるの出て危険なりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、堺・高石の人、蜘蛛怖しとて逃げ惑ふ。「昨日は泉大津に見えたりし」、「今日は岸和田へ参るべし」、「ただ今は四日市に」など言ひ合へり。まさしく噛まれたりといふ人もなく、安全と云ふ人もなし。ただ蜘蛛の事のみ言ひ止まず。
 その比、昭和より平成に移り侍りしに、町中に暮らしたる人、皆、虫を怖がり逃ぐる。「家の中に蟻あり」などとののしり合へり。江戸明治の比より見やれば、町のはずれの当たり、更に生き物得べくもあらず、立ちきえたり。
 はやく、跡かたなき事にすべしとて、人を遣りて見するに、おほかた、駆除さるる物なし。明くるまでかく立ち騒ぎて、果は登場なくして、あさましきことどもなかりしけり。
 その比、おしなべて、人の虫を嫌う事侍りしをぞ、かの、蜘蛛の虚事は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。


(現代語訳)
 平成七年十一月、南大阪和泉地区より、毒性を持った蜘蛛が発見された。危険ではなかろうかという事で、それから何十日間か、毎日、堺や高石の人は、毒蜘蛛が怖いといって逃げ惑うことになった。「昨日は泉大津でも発見された」、「今日は岸和田あたりだろうか」、「今四日市でも見つかった」などと報道が続いた。本当に噛まれたという人もなく、かといって安全に決まってるという人もない。ただ蜘蛛の噂話で持ち切りだった。
 昭和から平成に移り変わった世の中では、町中に暮らしている人は特に、皆、無闇に虫を怖がって逃げる。「家の中に(ゴキブリ・ハエ・カ)アリがいる」などと家族中で騒ぎ合う。江戸や明治の時代から見れば、都市の周辺部に行ってさえ、生き物の姿を見ることも難しいのに。
(毒蜘蛛も)はやく、駆除してしまおうという事で、役所の人役所に使われる人が出て行ったが、完全に駆除などできるものではない。年が明けるまでそんな風な騒ぎがあって、ついにはマスコミ報道もなくなり、結局なんの事故も起きなかった。
 平成の時代、世間一般の人間が必要以上に虫を嫌うのを受けて、この毒蜘蛛のから騒ぎは、自然から乖離した人間生活の脆弱さを証明するものだ、と言う人まで現れた。



第五十段 応長の比、伊勢国より
 応長の比、伊勢国より、女の鬼に成りたるをゐて上りたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、京・白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に参りたりし」、「今日は院に参るべし」、「たゞ今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言と云ふ人もなし。上下、たゞ鬼の事のみ言ひ止まず。
 その比、東山より安居院辺へ罷り侍りしに、四条よりかみさまの人、皆、北をさして走る。「一条室町に鬼あり」とのゝしり合へり。今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、更に通り得べうもあらず、立ちこみたり。はやく、跡なき事にはあらざンめりとて、人を遣りて見するに、おほかた、逢へる者なし。暮るゝまでかく立ち騒ぎて、果は闘諍起りて、あさましきことどもありけり。
 その比、おしなべて、二三日、人のわづらふ事侍りしをぞ、かの、鬼の虚言は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。

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第五十二段 十五年戦争のオウムたち/仁和寺にある法師


第五十二段 十五年戦争のオウムたち
 オウム真理教の関連会社「マハーポーシャ」の大阪店が閉店したのは、1995年の秋だったと思う。ぼくの勤める会社は大阪日本橋にあって、DOS/Vコンピュータを販売するマハーポーシャ大阪店と、百メートルほどの距離しか離れていなかった。大阪日本橋と言えば、戦後五十年近い歴史のある電気製品街で、東京の秋葉原と並び称されることも多い。時代の流れか、昨今では、家電製品よりコンピュータ製品を扱う店の方が多くなっている。「マハーポーシャ」も表向きはそんなコンピュータ関係の店の一つにすぎなかった。
 通勤で利用する駅の出入り口には、「マハポ(日本橋に詳しい人たちは「マハーポーシャ」を略してそう呼んだ)」広告ビラを配る信者たちの姿が、いつもあった。彼らと関わり合いにならないよう、その脇をすり抜ける日々が、長い間続いた。二人組の信者たちは、真冬の寒さ真夏の暑さも構わず、一日十時間近く、低い声で呪文のように店の名を連呼し、道行く人に宣伝ビラを差し出していた。オウム真理教が引き起こしたと思われる事件が明るみに出、警察の捜索も受け、「マハーポーシャ」の名も報道された。広告ビラに手を出す人も日に日に少なくなっていった。
 その信者の姿も、今はもうない。「修行」と称して彼らに只働きさせ、そこから得た収入も使って人殺しを行ったとおぼしき、オウム真理教の幹部たちは次々逮捕された。彼らが順次裁判にかけられ、マスコミに大きく取り上げられていてる間に、その店はひっそりと閉店した。
 教団の内実を知らされないまま、教祖の真実の姿を知らないまま、ただ働きさせられた末端信者たちは今どこで何を考えているのだろう。かりに彼らが脱会の意志を明らかにし、再就職を願いどこかの会社の求人募集にでも応じてきたとき、われわれははたして偏見なく彼等を受け入れることができるだろうか。自分の会社に、この間まで「マハポ」のビラを配っていた彼らが現れたとき、心中穏やかでいられるだろうか。
 ビラくばりの信者たちの姿は、先の十五年戦時中、戦場にかり出された、戦争の行方も知らず、ある意味で被害者だった一般庶民の姿と似ていなくもない。勝ち目のない戦いに実行部隊として酷使される者がいる一方で、罪深い戦いを演出したものたちは自分に被害が及ばないところで高見の見物を楽しんでいた。自分が戦った戦いが最初から負けるとわかっているものだったことに、負けてから気付く人間の心情とはどんなものだろう。


 第二次世界大戦での日本軍の侵略行為が、侵略されたアジア諸国に、植民地から独立国家へと移行していくきっかけを与えた、とする主張が存在する。それと同じように、教祖麻原は、自分の存在あるいはオウム真理教の布教行為は、信徒たちを精神的植民地状態から救った、と主張もできる。
 われわれがそのどちらも、犯罪当事者が、犯罪の事後にする苦し紛れの詭弁であるとして、完全に排除できないのはなぜだろう。あるいは、オウム真理教の行為は破壊活動であって許されるべきではない、という人が、その同じ口で日本の侵略行為を反省する言葉をなぜ言えないのだろう。
 侵略を正当化する精神は、教義や教祖を神聖化し容易く殺人を犯す精神と底流で通じていて、その量の多い少ないはともかく、この国の国民すべてが持ち合わせている精神なのではなかろうか。誰でもない、われわれがアジア諸国に侵略行為を働いたのであり、駅の出入り口でビラを配っていたのもわれわれだったのである。われわれが買った「マハポ」の安いコンピュータは、労働基準法や著作権法に違反した上で、一般市場の価格より安く作られたもので、そこから上がった収益でサリンは作られたのである。
 今日本のあちこちに多数存在するであろうオウム事件の被害者が持つ心情を、大日本帝国軍が侵略した多くの国々の人々がこの五十年近く持ち続けてきた。オウム憎しとする感情と寸分違わぬ感情を日本国人に抱き続けている人々も存在する。一連のオウムに関する事件でそのことに思いがいかない精神こそが、オウムを生み出した。感情を感じさせないオウムの人々の顔は、そのまま戦後五十年間の日本人のアジアに対する顔つきであったのである。


 いまも中国に残留する日本軍の作った毒ガスに苦しむ人たちとサリン事件の被害者たちは、どこかで繋がってはいないか。政治信条の違いや反国家主義者としてらち監禁の上殺された大戦前後の日本国内外の人々の死は、坂本弁護士一家の死とその重みにおいてどれだけ違っているだろう。
 オウムの幹部の人々は、責任を認めもしないし取ることもないだろう。教祖は目が見えなかったというだろうし、幹部は教祖の指示で行ったというだろうし、一番の責任者で一番積極的に犯罪の実行に動いたのはあの刺殺された幹部だったという証言が出てくることになるだろう。アジア諸国の、謝罪せよという声は、戦争責任の所在をあきらかにせよ、と言っているのではないか。他人の家に侵入し、家族をら致し挙句に殺してしまうことを非難する精神が、なぜ、他国に侵略し、略奪行為を行ったことを非難謝罪する行動を選択しえないのだろうか。
 今後われわれはすべて、オウム真理教の信徒たちとともに、この国で生きていかなければならない。他人の痛みに対して盲しいて、被害妄想的に蓄財を重ねて生きた、麻原の護送車の中の顔つきは、今われわれがつけている顔つきの、一つの典型なのである。


 新聞を読んでいて、次のような文章を発見した。
 「総じて「冷戦」後の世界に対する日本社会の適応は敏捷でない。それは政府だけのことではなく、新聞や放送も外部の世界の出来事に関心をもたぬかのようである。かつてソ連邦は、「北方領土を占領している国」であった。今日のロシアも同じ。そのことから、ソ連邦とロシアがどうちがうのかは、わからない。フランスは「ムルロア核実験の国」であった。それだけの情報から、年末の広汎な罷業と学生の「デモ」を説明することはできない。「国際化」をしきりに唱えるこの国には、情報鎖国というのに近い状況がある。
 それにしても外部世界についての極端な情報不足は、好ましいことではないだろう。それは遠く十五年戦争当時の日本国を思わせる。あるいはむしろ、オウム信徒の集団を思わせる、というべきか。戦時中の日本国民は、国外の状況を知らなかったし、オウム信徒は、教団外の情報から遮断されて暮らしてきたらしい。どちらも外部世界に対しては攻撃的になった。
 法務大臣曰く、オウム教団 は、指導者たちが逮捕された今も、教祖に絶対の忠誠を誓い、「祭政一致」の独裁国家をめざして、周囲の社会に対して攻撃的な性格を変えていない、故に「破防法」を適用すべきである、と。
 私は「破防法」に反対の意見をもつが、今そのことにはたち入らない。ここでは、「祭政一致」がひとりオウム教団のみならず、昔三〇年代に、大日本帝国の内閣総理大臣がみずから掲げた「スローガン」でもあったことに注意したい。「祭政一致」、「絶対の忠誠」、軍部「独裁国家」、周囲の外国に対する「攻撃的な性格」・・・・。そこで諸外国が日本国に対して適用した「ABCD包囲網」に相当するのが、今日オウム教団に対する「破防法」であると、法相は考えているのだろうか。」(加藤周一『夕陽妄語』「日本の九五年」、朝日新聞1995年12月 日夕刊)。


 「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」とは、五百年以上も前に生きた兼好法師の言葉である。
 この五十年の間、われわれは「十五年戦争」という反面教師としての「先達」を持っていながら、何も学ばなかった。
 1995年が明けて、われわれは麻原という「先達」を、「教祖」としてではなく、持つことで、「十五年戦争」なり「オウム事件」なりから解放される方法を探すべきなのではないだろうか。



第五十二段 仁和寺にある法師
 仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
 さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしましけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
 少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。

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第八十七段 フューズが切れる話/下部に酒飲まする事は


第八十七段 フューズが切れる話
  私の毎日の仕事は、こわれた機械をまえに机に向かい、そのこわれ物をふたたび使えるようにすることだ。職業名は「サービスエンジニア」になるだろう。とはいうものの、現実の私は、一流のサービスエンジニアたちと同じ名をいただくことで、彼らのプライドを傷つけはしないかと恐れる、三流の修理屋だ。
 些細な原因で、物はこわれる。その些細ではあるが致命的な原因を、速く正確に見つけだせるかどうかで、一流と三流の差があらわれる。原因が発見できれば、その部分を交換するなり正常に戻すなりすればいいだけの話で、修理の大半はその時点で終わる。
 世間の皆様は、修理品が修理屋にかかれば、かぎりなくただに近い価格で、すぐさまきれいに直って当り前と思う。金を支払う側に立ったなら、私もそう思うし、そう願うだろう。だから故障の原因をなかなか発見できないときは、気が滅入る。三流の自覚はあっても、改めてその事実を目前にするのはつらい。
 そんなときは、ちょっと大袈裟な言い方だが、ないほうがいいようなものに新たな生命を与える必要があるのか、と思ったりもする。余分な物を持つことは、金・場所・時間の無駄である。


 テレビにアメリカの同業者たちが登場していた。それは、アメリカのテレビ番組がどんなものかを紹介する、日本のテレビ番組で、洋の東西を問わず、修理業者の手腕とその料金体系は疑念の念を持って見られているらしく、アメリカ側の番組スタッフがアメリカの修理業者の不正を糾弾するといった内容だった。
 テレビ局のスタッフが、数台の新品ビデオデッキに細工をし、あらかじめ電源部の保護用ヒューズを断線させる。そして、その機械を複数の修理業者に一台ずつ修理に出し、彼らの手腕を見るという筋書らしい。早い話が、テレビクルーによる囮捜査である。
 一週間後覆面テレビレポーターが各修理店を回り、その修理の実態を視聴者の前に明らかにしていく。当然のことながら、おそらく大半の人々が当然のこととは思わないのでその番組が成立したのだろうが、それぞれの業者によって、修理内容・交換部品・料金・接客態度どれをとっても、ことごとく違う。てんでばらばらと言っていい。
 電気製品に備え付けされる保護用ヒューズの抵抗値は、おのおのの機械ごとに、正しく決められている。修理者がヒューズ切れを発見した場合、回路内になんらかの不良があるか、回路設計時想定された以上の電気的衝撃が外部からかかった、と判断するしかない。
 ある業者は、切れたヒューズだけ交換して、修理を終えていた。ヒューズが切れる原因を深く追及することなく、壊れた部品を素直に交換し、それでとりあえず動いているなら良しとする。それはそれで一つの方策ではある。何かの突発的な不可抗力でヒューズが切れてしまっただけの話で、その被害を大きくしないように切れるのがヒューズなんだからという論理だ。
 ある業者は、ヒューズも含めて、変えられるだけの基板を、丸ごと交換していた。ヒューズだけ変えて良しとするのは、そのヒューズが切れる原因を深く追及することなく、やり過ごすことにほかならない。だけれども、原因究明はそう簡単にはいかない。かくなる上は怪しげな基板を全数交換、ということになる。
 またある業者は、ヒューズだけではなく、その溶断に関係あるのかないのかさだかではない部品を、やたら変えた挙句高額料金を取ろうとしていた。
 同じ故障を修理をするはずが、人間のしわざである以上、どうしてもその方法にはそれぞれの個性が出てしまう。故障原因の探究に修理者おのおのの世界観があらわれないはずはないし、その修理方法にその修理者の性格があらわれないはずがない。


 電気・電子回路に限らず、社会的ヒューズのようなものがあるように思える。そこだけが切れることで、社会全体に大きな害は及ばず、とりあえずヒューズを付け替えることで、なんとか世界が動いていく。
 たとえば様々な犯罪者たちは、われわれに彼等の犯した犯罪は愚かで割にあわないものだと納得させ、犯罪を犯すことで訪れる破滅からわれわれを救う。犯罪者も、普通の生活者も、ある意味では社会の中の一個の部品であることに変わりない。
  青年たちは、暴力シーンと性的内容の濃い漫画雑誌を読む。その間だけは、憎たらしいが手出しできない奴の顔をしこたま殴り、現実ではそばにもよれないような女を犯すことができる。ページを閉じたらそんな世界もそれまで、そこそこに世の中を渡っていく。漫画雑誌をヒューズ代りにして、ストレスを少しつつ解放していく暮らしに、良い面でも悪い面でも、爆発的変化は起こりようがない。
 政治の世界にも、ヒューズ的人間が数多くいる。権力の中枢には置かれないまま、物言わぬヒューズでいいものが余計なこと言ったり、力なきヒューズでよいものが必要以上に権力を持ったり、受動的であるべきヒューズが能動的な働きをしてしまったら、本当の権力者がちょっと電圧をかけて溶断させた上で交換しておしまい、の首相を立て国家を運営していく。
 三流の私には縁遠い話だが、優秀な修理者は、ヒューズの切れ方溶断の仕方を見て、故障の原因にある程度の見込みをつけるという。おそらく、「賢人」や「識者」の人々には、この一見ヒューズが切れたような世界の、手早く付け替えてみてもヒューズがすぐ切れる原因を、うすうすわかってはいるのだろう。そう願いたい。しかしながら、残念なことに、彼等にはヒューズを交換するノウハウと、狂った回路設計そのものの変更をを始める勇気と技能は、持ち合わせていないようである。


 人間は機械ではないので、自分の中のヒューズが切れてしまったら自分でつなぐしかない。そして人間のヒューズは実によく切れる。ヒューズが切れた経験のない人間は、一旦切れてしまったらつなぎかたもしらず、切れっぱなしだろうし、ヒューズが切れたことに気すらつかないかもしれない。切れても気付かないまま動いている人間は、本人はよいだろうが、それはそれで困ったものだ。いつ火が吹くものやら見当がつかない。
 人間は機械ではないので、これが私のヒューズですと、体の中から取り出すこともできない。自分の中で何かが切れてしまったという感覚、それは確実につながっていなければならないものだ感じ取れる感性、そしてそれを自分自身で修復し自分自身をより良いものにしていける力、そのようなものが生きていく上で必要なのではないか。
 そんなことを考えながら仕事しているから、いつまでも三流なのだと、誰かからお叱りを受けそうな話でしたが。



第八十七段 下部に酒飲まする事は
 下部に酒飲まする事は、心すべきことなり。宇治に住み侍りけるをのこ、京に、具覚房とて、なまめきたる遁世の僧を、こじうとなりければ、常に申し睦びけり。或時、迎へに馬を遣したりければ、「遥かなるほどなり。口づきのをのこに、先づ一度せさせよ」とて、酒を出だしたれば、さし受けさし受け、よゝと飲みぬ。
 太刀うちはきてかひがひしげなれば、頼もしく覚えて、召し具して行くほどに、木幡のほどにて、奈良法師の、兵士あまた具して逢ひたるに、この男立ち向ひて、「日暮れにたる山中に、怪しきぞ。止り候へ」と言ひて、太刀を引き抜きければ、人も皆、太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を摺りて、「現し心なく酔ひたる者に候ふ。まげて許し給はらん」と言ひければ、おのおの嘲りて過ぎぬ。この男、具覚房にあひて、「御房は口惜しき事し給ひつるものかな。己れ酔ひたる事侍らず。高名仕らんとするを、抜ける太刀空しくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬りに斬り落しつ。
 さて、「山だちあり」とのゝしりければ、里人おこりて出であへば、「我こそ山だちよ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして手負ほせ、打ち伏せて縛りけり。馬は血つきて、宇治大路の家に走り入りたり。あさましくて、をのこどもあまた走らかしたれば、具覚房はくちなし原にによひ伏したるを、求め出でて、かきもて来つ。辛き命生きたれど、腰斬り損ぜられて、かたはに成りにけり。

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第九十七段 寺田寅彦さんがいいました/その物に付きて


第九十七段 寺田寅彦さんがいいました
  寺田寅彦さんがいいました。
「自分の欠点を相当よく知っている人はあるが、自分のほんとうの美点を知っている人はめったにいないようである。欠点は自覚することによって改善されるが、美点は自覚することによってそこなわれ亡われるせいではないかと思われる。」



第九十七段 その物に付きて
 その物に付きて、その物をつひやし損ふ物、数を知らずあり。身に虱あり。家に鼠あり。国に賊あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。

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第百十五段 プーの人/宿河原といふ所にて


第百十五段 プーの人
 チャールズ・ラム『エリア随筆』に「首都の乞食の衰亡するを嘆くの辞」という文章がある。
 ラムさんは一七七五年に生まれ一八三四年に死んだということで、今から約二百年前のロンドンに、ラムさんの目から見てなにか乞食が衰亡するような事情があったらしい。
 がしかし、それから百年後、ロンドンの浮浪者群像を、ジョージ・オーウェルが『パリ・ロンドン放浪記』で描いていることを思えば、ラムさん(エリアさんというべきなのかな)の嘆きは杞憂であったということになる。
 大都市に寄生し、社会的弱者か不適応者で今にも消えてなくなるものとみなされがちなプー系の人(乞食、浮浪者、ホームレス等々)ではあるが、そんな一般ピープルの思い込みをよそに、その命脈は古今東西途切れたことはない。
 プー系の人は都市部でしか生きられないわけで、プー系の人に住みよい町であることが、活気ある大都市の条件であると言っていいのかもしれない。

 『徒然草』にも、東寺の門前に集まる「かたは者ども」が登場する(第百五十四段)。
 そのことから、十四世紀の京の都も、それらの人々を養っていくだけの余力を持っていたということがわかる。やはり一級の大都市であったのだろう。
 さて、二十世紀後半の日本。戦争も終って、経済も急成長を遂げ、平和で成熟した社会は、ホームレスを多数養うに足る大都市を何箇所も生みだした。
 「こてこて」の町、大阪ももちろんそんな都市の中の一つ。

 私はいっとき会社の近く天王寺区にある大阪府立夕陽ケ丘図書館に足繁く通っていた。午後九時まで開館しているので、勤め帰り利用でき、たいへんありがたかった。
 上町台地の高いところに位置する図書館なのだが、その坂下あたり一帯はプーのおっさんのメッカと言っていい。日が暮れてからその辺を数百メートルも歩けば、舗道の上に段ボールハウスを組み立て煮炊きをしているおじさんたちに必ず出会うことになる。昼間は昼間で、廃品回収業者から有料で貸与されるリヤカーを引き、日銭を稼ぐための、そして夜には寒さをしのぐための、段ボールを色々な店先で収集するおっさんたちを見かける。店の人たちも心得たもので、不要のダンボールを舗道に置いておけば、ものの三分もたたないうちにきれいに消えてなくなることを知っている。リサイクル態勢が整った、きわめて「エコ」な地域。
 さて、夕陽ケ丘。公立の図書館であるから、来るものは拒まず。図書貸出カードを作るには、身分を証明する書類が必要となるが、図書の閲覧だけなら何者であろうとかまわない。勢い、暑い夏の盛り、凍える冬の日々、閲覧室に「おっさん」たちの姿が増えることになる。

 そしてここからが大阪という町の成熟を感じさせるところだ。
 まず、一般ピープルの来館者から苦情が出るということがない。一般ピープルと「おっさん」たちが、適当な感覚をとって、自分の読書(あるいは本を開いての睡眠)に没頭している。ここでいう一般ピープルは、年齢性別を限るものではなく、老若男女である。
 そして、図書館側も「おっさん」たちを排除しない。ケアしているところを見たこともないが、無礼を働いているのを見たこともない。
 「おっさん」たちも、「一般ピープル」の迷惑になるようなことはしない。夏なら適当な冷房、冬なら快適な暖房を、心から楽しみ満足しているように見受けられる。
 人間関係がこなれているのである。

 ある夜の出来事。
 閲覧室の一角に腰掛けていたのだが、臭うのである。超高温多湿の大阪に暮らしながら、お風呂に入っていない人の臭いだ。かなり強烈である。
 が臭いは目には見えない。気のせいだろうか。
 あたりを見回したところ、斜め向かいに座る、小奇麗な女子学生が目にとまった。平静な顔をし、一心不乱にノートに何やら書き込んでいるが・・・。ハンカチを左手に持ち、口に当てているではないか。

 「鼻で息をするな! 口でするんだ そうすればにおいはわからない」というセリフが、山上たつひこさんの『光る風』の中にあったな、そういえば。

 それでも、何の問題も起こることなく、図書館は閉館時間を迎え、一般ピープルは一般的な夜を迎え、「おっさん」は段ボールハウスへ向かい、大阪の夜はふけていくのである。
 おそらくは「東寺の「かたは者ども」」の時代から、この町は、そんな日々を積み重ねてきたのである。

 その後、夕陽ケ丘を含め府内に何箇所かあった府立図書館は統合されて東大阪市に移転となった。夕陽ケ丘は特許関係の書類を集め、その業務を特定された。私も行かなくなったし、「おっさん」たちの書斎も消えただろう。
 図書館移転の理由は、単に手狭になったからだと思う。が、「おっさん」たちの攻勢に耐え兼ねて、だったりしたら笑える。そんな風に思ってみたい。
 いずれにしろ、「動く歩道」やらを無理やり設置してホームレスを排除したどこかの首都と比較すると、やはりこの「こてこて」した町にそれなりの歴史を感じないではいられない。



第百十五段 宿河原といふ所にて
 宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候ふ。かくのたまふは、誰そ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。
 ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりけるにや。世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て闘諍を事とす。放逸・無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。

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第百二十一段 香川の犬捨て箱/養ひ飼ふものには


第百二十一段 香川の犬捨て箱
   1996年9月22・23日と、妻の実家がある、香川県香川郡香川町(県郡町とも同じ地名の行政区は日本でもここだけとか)に行ってきました。梅田発高松行の高速バスに北大阪急行の桃山台から乗って四時間、坂出から高松までの讃岐路は瀬戸大橋、無数のため池、田んぼの畔の彼岸花等々を一望できるワインディングロードでした。

 私が高松(香川町は高松市のベッドタウン)に行くとき、かならず訪れる場所が、かの有名な栗林公園です。で、栗林公園といえば、付属する栗林動物園(ちょっと話の転回に無理あり?)。栗林動物園といえば、「ナマケモノ」。動物園入口には「本物のナマケモノいます」という看板。(「偽物のナマケモノ」にも心ひかれますね、そんなものがいるなら)。
 今回先に香川入りしていた妻は、私には会うなり「栗林動物園のあのゴリラ死んだらしいで」。今年のお正月入った栗林動物園の、ゴリラ舎の寒々とした風景といささか生気にかけるゴリラの様子に、「動物虐待やわ」と妻は憤慨していたのでした。その死を在香川の友人から告げられたらしいのですが、ちょっとショックだったようです。

 思い出すのは、「香川の犬捨て箱」。
 たまたま目にした午後3時のワイドショー(オウムも震災もなかった平和な時代の)に、発見した「香川に犬捨て箱が!!!」のキャッチフレーズ。なんのことやらと眺めていると、どこぞの香川県内の学校を訪れるレポーターのその行く先に・・・、といういつものパターン(そうか矢ガモが話題になった頃の話だ)。
 その昔(かつい最近までか)、香川県には、そこここの学校に「犬捨て箱」、人間が蓋を開け不要の犬をそこに捨てる、犬はそこから出られない、があったらしい。
 ちょっと驚いて、帰宅後、いや結婚後か、西宮生まれで小中高と高松の学校に通った妻に聞いてみると、確かにそんな箱があったという。もっとも、犬が捨てられるたび、子供たちが蓋を開け餌をやったり世話したり遊んだりで、それはそれで楽しいひとときであったとか。
 回収さえされなければ。

 さて、犬捨て箱は、本当に香川県にあったのでしょうか?
 あったとして、香川県だけの風習(?)だったのでしょうか?
 ご存じの方メール下さい。



第百二十一段 養ひ飼ふものには
 養ひ飼ふものには、馬・牛。繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかゞはせん。犬は、守り防くつとめ人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど、家毎にあるものなれば、殊更に求め飼はずともありなん。
 その外の鳥・獣、すべて用なきものなり。走る獣は、檻にこめ、鎖をさゝれ、飛ぶ鳥は、翅を切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、 ・紂が心なり、王子猷が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。
 凡そ、「珍らしき禽、あやしき獣、国に育はず」とこそ、文にも侍るなれ。

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第百二十五段 パスカルさんはいいました/人におくれて


第百二十五段 パスカルさんはいいました
 パスカルさんはいいました。
 「似た二つの顔は、そのいずれの一つも別に人を笑わせはしないが、並ぶと、似ているというので人を笑わせる」。



第百二十五段 人におくれて
 人におくれて、四十九日の仏事に、或聖を請じ侍りしに、説法いみじくして、皆人涙を流しけり。導師帰りて後、聴聞の人ども、「いつよりも、殊に今日は尊く覚え侍りつる」と感じ合へりし返事に、或者の云はく、「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなん上は」と言ひたりしに、あはれもさめて、をかしかりけり。さる、導師の讃めやうはあるべき。
 また、「人に酒勧むるとて、己れ先づたべて、人に強ひ奉らんとするは、剣にて人を斬らんとするに似たる事なり。二方に刃つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が頭を斬る故に、人をばえ斬らぬなり。己れ先づ酔ひて臥しなば、人はよも召さじ」と申しき。剣にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。

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第百二十七段 試験に出ない徒然草/改めて益なき事は


第百二十七段 試験に出ない徒然草
「改めて益(やく)なき事は、改めぬをよしとするなり。」(『徒然草』第百二十七段)。

 かの有名な『徒然草』の、あまり有名じゃない章段。そして、『徒然草』中、最も短い章段でもあります。
 なぜ有名ではないのか? 勘繰るに、受験問題にするには、短すぎるし、現代語訳しても誰も間違えないから。
 それはともかく、あまりに短く、普遍的で、かつ的確な文章なもので、『徒然草』を読んでいて、この章段に出会うと虚をつかれます。不意討ちされる楽しみのあるのが、『徒然草』読書です。

 一見、保守反動的発言に見えますが、実はその正反対で、改めて益あることは改めるべきだ、と言外に言い切っている。すごい。
 しかし、私の想像ですが、兼好法師がそれをできなかったからこそ、あえて言葉にして書き残したのではないか。(「一日一善」してる人はそれだけで忙しくて、人に「一日一善」なんて言っている暇ないぞ、というやつですかあ)。

 ということで。
 それを改められるかどうかは置いておいて、改めて益あることを探すところから始めましょうか。



第百二十七段 改めて益なき事は
 改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり。

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第百四十二段 命根性の話/心なしと見ゆる者も


第百四十二段 命根性の話
 私は北海道の僻地の生まれで、地元の中学を卒業してすぐ家をはなれた。二十歳をすぎてからずっと、道産子のことばでいう、「内地」でくらしている。実家は北海道本島からさらにとおい離島にあり、里帰りをしようものなら、時間的にも金銭的にもちょっとした苦労をともなう。東京や関西から北海道に帰省する場合、たいていの人は飛行機を利用する。つい最近まで私はそれをせず、陸路海路を乗り継ぎその道中にながい時間と多くの旅費を費やしていた。
 世間では、不便をかえりみずあえて飛行機に乗りたがらない人間は、当人が口にする理由はともかく、ようするに怖いんだということになっている。実家をはなれて数十年、私は人に自慢できるほどの何者にもついぞなることがなかったが、飛行機嫌いの臆病者というありがたい名前をいただくことになった。
 母方の祖母によれば、飛行機事故で死ぬのは恐ろしいことではないらしい。
 その手の事故では、多額の保険金が、実家がある島の人々が一生かけても稼げないほどの金額が、航空会社から遺族に支払われるし、だれにも迷惑をかけないですむ、などという。しかし、保険金が支払われるのは、保険金の受取人に対してである。命をはって自分が稼いだ保険金 を自分で使えないのだから、こんなばかばかしいことはない。それこそ死にたくなる。
 祖母は、一人で死ぬこともないのだから、こわくもないだろう、とこれまた恐ろしいことをいう。
 たしかに、たいていの飛行機事故では、乗客がひとまとめになって死ぬ。たまたま同じ飛行機に乗り合わせた人間と、一つの運命をともにすることで、自分の死が孤独ではないものになるとは思えない。じゃ愛する人といっしょならいいのか、と聞かれても答えようがない。誰も道連れにはしたくないし、誰の道連れにもされたいない。
 だいたいにおいて、飛行機事故による死には選択の余地がない。物理的に、往生際の悪い死に方ができないようにできている。抜け駆けして、自分一人だけ、飛行機から脱出することもかなわないし、万が一外に出られても、太平洋上空一万メートルだったりする。

  妹の弁によれば、そういうのは命根性が汚いのだという。
 帰省で親兄弟がひさびさ顔をあわすなり、祭事で親戚一同集まるなりするごとに、なんどとなく、妹のそのことばを聞いた気がする。私はそのたび、ああそうですか、と力なく言っていた気もする。
 どうもその「命根性」なることばがよくわからない。「命根性が汚い」どころか「命根性がない」らしいのである。情ないと言えば、これほど情ない話もない。ただ、そういうものがこの世に必要と思うかといえば、そうも思わない。この日がその日ではないとは、誰も言い切れないわけで、今日のこの日も、どこかの誰かのその日になっている。毎日「根性」を出して生きていくのは、おそらくしんどいことだろうし、そんな生活はごめんこうむりたい。真実その「命根性」やらを発揮しなくてはならないときに、その「命根性」が枯れ果てていやしないかと心配する。
 確かに、私は自分の命が惜しい。生きられるものなら、百歳まで生きたい。この世に生きていることはあまり健康によくないと思うが、私はこの世の美しさを見つけることに面白みを感じ、その美しさを愛している。「命根性」を身につけることで、この世の美しさを堪能できるのなら、それを身にもつけたい。
 飛行機に乗るごと、「根性」をいれなくてはいけないとしたら、その乗り物は大層疲れるものではないか。
 さて、私の妹は三人の子供の母親である。子持ちになった彼女から「命根性」の話を聞いた覚えはない。大体の人間は子を持つと意気地がなくなる。『徒然草』に登場する「あらえびす」ではないが「人の情け」が初めて知れてくるのだろうか。
 人間は、生への執着をそう簡単に断ち切れるものではないだろう。「根性」や「潔さ」だけで解決するならば、生きていることの面白みや旨みも、どこにもなくなってしまうような気がするのである。

 1994年春、私はその、飛行機とやらに十時間余りも乗り、イタリアはローマまで向かった。
 窓の外には、政治的理由でほんの十年前まで見る事の出来なかったシベリアの雪の景色が、何時間も続いた。人の住む気配などないかのような、果てしなく続く氷原に、たしかにそれと知れる、人間がつくったであろう道路が真直ぐに続くのを見るとき、われわれの心は踊る。
 吉田健一氏の文章に、人間の文明について書かれたものがいくつかある。その中の一つに、飛行機に乗って雲の上から雲海を眺める人間の境地について語っている箇所があった。雲海の美しさと、その美しさを人間に堪能させることになった飛行機という文明の利器と、この世紀になって始めてその美しさを発見した人間を称えた文章だったように思う。
 飛行機事故は怖いが、飛行機の窓から眺める異国の景色やどこの国であれ雲海の景色は美しい。乗る必要のない飛行機に乗る必要はない。が、乗ってしまった飛行機を、ただの乗り物にしておく手もない。
 美しい物を見つめるために、長生きしたいと思う私は、やはり、「命根性が汚い」のだろうか。



第百四十二段 心なしと見ゆる者も
 心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり。ある荒夷の恐しげなるが、かたへにあひて、「御子はおはすや」と問ひしに、「一人も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、もののあはれは知り給はじ。情なき御心にぞものし給ふらんと、いと恐し。子故にこそ、万のあはれは思い知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべき事なり。恩愛の道ならでは、かゝる者の心に、慈悲ありなんや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。
 世を捨てたる人の、万にするすみなるが、なべて、ほだし多かる人の、万に諂ひ、望み深きを見て、無下に思ひたくすは、僻事なり。その人の心に成りて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべき事なり。されば、盗人を縛め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の饑ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒の産なき時は、恒の心なし。人、窮まりて盗みす。世治らずして、凍餒の苦しみあらば、科の者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはん事、不便のわざなり。
 さて、いかゞして人を恵むべきとならば、上の奢り、費す所を止め、民を撫で、農を勧めば、下に利あらん事、疑ひあるべからず。衣食尋常なる上に僻事せん人をぞ、真の盗人とは言ふべき。

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第二百二十九段 試験に出ない徒然草、ふたたび/よき細工は


第二百二十九段 試験に出ない徒然草、ふたたび
  「試験に出ない『徒然草』」、第二弾です。

 第二百二十九段。
 「よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ。妙観が刀はいたく立たず。」

 これで全文です。
 「細工」は「職人など手先の器用な人」の意味。相撲取りのことを「相撲」と呼ぶようなものでしょう。
 妙観さんは八世紀の僧で、箕面勝尾寺の観音像と四天王像を彫刻したそうです(『徒然草』西尾実・安良岡康作校注 岩波文庫)。

 パワーマックにまだ手の届かない(金銭的な理由で)私の、慰めの一文であります。
 (1997年当時の話。 1998/02/08・注)

 この章段を引用した、「試験にでそうな」文章。
 小林秀雄の「徒然草」の一部。
 「兼好は誰にも似ていない。よく引合いに出される長明なぞには一番似ていない。彼は、モンテエニュがやった事をやったのである。モンテエニュが生れる二百年も前に。モンテエニュより遥かに鋭敏に簡明に正確に。文章も比類のない名文であって、よく言われる枕草子との類似なぞもほんの見掛けだけの事で、あの正確な鋭利な文体は稀有のものだ。一見そうは見えないのは、彼が名工だからである。「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず」、彼は利き過ぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感している自分の事を言っているのである。物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。(「文学界」昭和十七年八月号)」。
 全文をご覧になりたい方は、小林秀雄『無常という事』でどうぞ。

 余談ですが、モンテーニュの「エセー」は池波正太郎さんの愛読書だったみたいで、「池波正太郎の銀座日記(全)」を読むと、「モンテーニュは男らしくていいねえ」などという言葉に出会えます。

 上の小林文に言及した、杉本秀太郎『徒然草』「あとがき」。
 「小林秀雄の『無常といふ事』は、創元社から昭和二十四年一月に改装初版の出た直後に買い求めて以来、忘れ得ない書物となった。私は十八歳になったばかりだった。同書に収めてある『徒然草』を論じた五頁にも満たない短文は、長いあいだ私を眩惑しつづけた。「つれづれなるままに」という語の解釈にあたって、私にはあの短文に最も多くを負うたという自覚がある。けれども、小林秀雄の素描した兼好の肖像は悲槍味が濃すぎると、今では思うようになった。モーツァルトにも、ゴッホ、セザンヌにも、西行、実朝にも、ドストエフスキーにも、あの人は同じ悲愴なタッチと色調をあたえる。笑いは消されてしまう。
(中略)
むつかしい顔ではなくて、相好を崩している兼好が、私には想像できる。鹿の生まれ変りとおぽしい美しい女に動かされる色好みの心を小林秀雄はよく承知していたはずなのに、それを「言はずに我慢した」のは、精神の劇を追い詰めるという批評の構えを崩したくなかったのだろう。
(中略)
何でも言える文体のお手本なら、ほかならぬ『徒然草』に見当たるではないか。」
 これは鋭い小林秀雄批判。

 今という時代には、小林秀雄の「徒然草」より杉本秀太郎『徒然草』のほうがぴったりくるかな、と思う私です。



第二百二十九段 よき細工は
 よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ。妙観が刀はいたく立たず。

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第二百三十段 (のようなもの)/五条内裏には


第二百三十段 (のようなもの)
 札幌市中央区の北海道拓殖銀行本店(大通り西3丁目)に、盗っ人(のようなもの)があらわれた。各メディアが語るところによれば、大通りを挟んで拓銀本店の南側に本店がある北洋銀行と拓銀の間で権利委譲の正式契約が結ばれようとするその前日、「バールのようなもの」で「北海道拓殖銀行」と書かれた行名プレートを剥ぎ取り、拓銀本店から持ち去ったものがいた。「誰が」と捜査が開始されたが、何日かのち、盗っ人(のようなもの)も「バールのようなもの」も見つからないまま、札幌駅のコインロッカーに行名プレートだけが発見された。
 拓銀経営破綻になにかしらの思いを抱くもの(のようなもの)の仕業であったのだろう。

 朝日新聞より。
「■拓銀プレートが駅ロッカーから見つかる
 盗難翌日から使用

 経営破たんした北海道拓殖銀行の本店(札幌市中央区)から24日に盗まれた行名プレートが、29日午後2時すぎ、JR札幌駅1階南口の大型コインロッカー内で見つかった。
 25日午前から使用されていた。

 拓銀本店では、閉鎖した支店にあった小ぶりのプレートを26日に付けたばかり。広報室は「もう一度本物を付けたいが、すっかり有名になってしまい、また盗まれないか心配だ」と話している。」



第二百三十段 五条内裏には
 五条内裏には、妖物ありけり。藤大納言殿語られ侍りしは、殿上人ども、黒戸にて碁を打ちけるに、御簾を掲げて見るものあり。「誰そ」と見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さし覗きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、惑ひ逃げにけり。
 未練の狐、化け損じにけるこそ。

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第二百四十三段 仏とは/八つになりし年


第二百四十三段 仏とは
  阪神大地震で倒壊したある著名な宗教建築が、大半の被災者たちの生活が元に戻る前に、どこからか湧いてきた潤沢な金の力で早々に新築された。
 震災のわずか二週間あまりまえ、その宗教建築に「宗教行為」として初詣でに向かった数百万にも及ぼうかという参拝客のほとんどは、地震の被害にあい、その中の何十人か何百人か何千人かは亡くなった。その年の家内安全もお祈りしたであろうに。
 翌年のお正月に間にあわせたかと皮肉の一つも言いたくなるほど早く、宗教家屋を耐震仕様にして新築するだけの金を、本当に神にもすがりたい気持ちでいる人々のために、義援金にでもまわせなかったものか、というのが不信心な人間の思うところである。宮大工という存在はあるが、彼等も地震後の再建のために存在するものでなし、われわれが死んでも生きているはずの神様ではない、今そこに生きる人間の住まいを建てるべき大工さんの手も、神様が奪っていったのである。
 おそらく当事者には当事者なりの理屈があってのことだろうと思う。長い歴史に裏付けられた象徴としての存在なのだから、被災者の心の支えにならないはずがない、ということもできる。「こうべ」という都市は漢字で「神戸」と書くが、それはその祭神を守る場所という意味なのだそうだ。守られてばかりで、守るものを守らない、過保護な神様だとしても。
 その神を祭る人々の住む町と、その町に祭られる神では、神のほうが偉いのだろう。神様たちの話だけあって、あまり人間的な話ではない、と言ったらいいすぎだろうか。

 新聞紙上で、阪神大震災に関する一枚の写真を見た。
 震災による火災で住宅の跡形もない焼け野原を背景に、赤い前掛けを掛けられた小さな縦長の瓦礫が写っている。不思議なことに、日頃不信心である私も含めて、われわれは一目で、それが、死者を悼む人が作った即席の仏様であると知る。
 その写真は多くのものを、われわれに語りかける。
 それは、死者にとってもそれを弔うものにとっても、突然の死だった。飾りけのない本物の心ばえは、単純な表現として現れるのだろう。平時の、予測できる死の訪れであったなら、その仏像は大枚を叩いた後に作られる物になっていただろう。
 その瓦礫の仏様はわれわれの胸を打つ。
 何かの始まりさえ感じさせる。

「仏作って魂入れず」という諺が日本にはある。
「仏」を作ることは、それほど難しいことではない。それに「魂」を入れることは、限りなく難しい。というような意味だ、といったら曲解だろうか。
 われわれは、たとえば「経済成長」というような美名のもとに、数多くの物質的な「仏」たちを作り出した。内実は経済活動でしかない「宗教行為」に励む、数多くの物質的な「教祖」たちを生み出した。「仏」さまと「教祖」さまが溢れた世の中で、自分の「魂」のありかを失ってしまった。
 人間はあくまで人間であって「仏」ではない。ただ一生のうちに何度かは、何者か、それは自分自身のものかもしれないし通りすがりの人のものかもしれない、の「魂」に触れて、生きていることの意味を更新される瞬間がある。

 空から降ってきたのか、土から湧いてきたのか、わからない。
 ただ、「仏には、人の成りたるなり」ということだけは、確かなようだ。



第二百四十三段 八つになりし年
 八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏は如何なるものにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教えによりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教え候ひける仏をば、何が教え候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。

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