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19891209 柳田大丈夫男全集 3

小説家開高健氏東京にて死去 58歳とか かつて彼は田原のアイドルだった 今はさしたる感慨なし 先日読んだオーウェル『動物農場』に寄せられた短文が最後の開高健体験 その「かつて」の時代に書いた大中赤黒日記を昨夜からぱらぱら読みかえし始める 副題をつけるなら「ある種の凡庸の記録」がいい 今日読み終えた『全集』中の「菅江真澄」も「日記の人」であった その人達の孤独を誰が知るのだろう 後世の「日記の人」の理解を待つばかりである 忘年ボーリング大会 悲惨なスコア 「北極星」で食事
 『柳田国男全集 3』 「終りに今一つ、校訂者一箇の興味に過ぎぬものを附け加えておきたい。『奥の手振』を読む人は、私でなくても必ず心づくであろうが、この日記のごとく鳥類の記事の、豊富なる日記は珍しいようである。鉄砲が横行する現代関東の郊野などと比べて、人口のまだ少ない寛政年間の奥南部に、はるかに鳥が多かったのは怪しむに足らぬが、それ以上にもなお幾つかの理由はあったかと思われる。第一はこの海峡に突出した二つの半島は、空を旅する者の東西南北の大道であった。尻屋の燈台に嵐の吹く夜などは、迷うてあの光明に引き寄せられて落ちて死ぬ鳥が、数も種類も非常なものだということを聞いている。渡り鳥の故郷は北の方に多い。嶺を目標に来たり帰ったりしようとすれば、たいていは自然に白井秀雄の頭の上を、啼いて通ることになったのかも知れぬ。しかも旅人にはその声に耳を傾けるような、余裕のあったこともまた事実である。余裕という語は当らぬかとも思うが、とにかくどれだけ友人が多く、また款待せられていた旅人でも、日の暮早朝の徒然というものはあった。それがまた鳥の最もよく啼いて通る時刻でもあったのである。盆とか正月とかの土地の人の忙しい頃は、奇寓者の特に無聊を感ずる季節である。下北半島ではその季節が、外の地方よりもさらに鳥の声の多い時であったのではあるまいか。もしそうならばたとい天性ではなくとも、旅人は鳥を愛するようにならずにはいられなかったわけである。遠く松前の果てから鶴の羽をたった一枚、故郷の旧友の家に送って来たという逸話なども、始めて北の島に渡り着いた際の、彼の境遇を思い合わせるとなかなか哀れは深い。白井氏は秋田の問屋からの紹介状を一通、大切に携えていたのだが、わずか三年の延期の間に政情が変って、絶対に他国者の上陸を許さぬようになっていたことを知らなかった。それで船中に憂愁の日を送っているうちに、ふと詠じた一首の歌が、        まって、特別の取計いをもって許されたというのは、実は仲に立って斡旋した人があったのである。しかし最初の数週間はまだこれという友もなく、また有力者に扶助せられ、領内を見あるくほどの便宜も得られないで、ひとり浜辺へ出てこのような微々たる物を、拾い上げて心を慰めるの他はなかったらしいのである。その鶴の羽が三州へ到来したのが、わずか三月の後であったことを思い合せて、それを幸便に托した日の孤客の心情は想像し得られる。』



   * [柳田國男全集 3 ]

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