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19891226 大丈夫の現象学

ルーマニア逮捕されたチャウチェスク大統領銃殺刑に処される 新大統領にイリエスク氏 旧大統領の罪状の一つはこの半月の間に弾圧虐殺によって六万人もの人民の命を奪ったこと 銃殺後死んで横たわる大統領夫妻の映像がTVで放映されたとか 反抗を続ける大統領派の秘密警察に対して精神的圧迫を加えるためとか 人心の掌握にためやむを得ずという説もあるが 何故それほどあせらなければならなかったのかという疑問は残る 世界の各国の反応も新政府は認めるが今回の死刑には遺憾の意を表している所が多い
 『数の現象学』 森毅 「こうした<数学の社会化>が、その一方で<数学の疎外>をも生み出している。学校の「数学落ちこぼれ」が社会問題になるのは、こうした情況の上にある。/ともかくも、これが数学の<現代>である。それを、過去の人類文化の最高の達成として賛美するのも、現代における数学を否定して過去の一時期の価値観に回帰しようとするのも、つまらないことだ。/<歴史>を考えることの1つの意味は、そうした過去を相対化できることにある。それは復帰不能な過去である。しかし一方、現在のなかに、姿を変えた過去は存在している。これを知ることは、同時に現在を相対化することでもある。トムやグロタンディェクの場合でも、<現代数学批判>とは言っていても、実際に彼らのやっていることは<現代数学>そのものであって、決して現代数学否定ではない。批判的に現在にかかわることだけが、現在を生きることであり、そしてそれは、現在を<歴史>において見ることである。/ここで、ちょっと逆説的なことには、この過去というのはすべて、<現代数学>の立場から見られていることである。所詮、人間にとって、過去とは現在からしか見れないものだ。その意味で、この数学史も「20世紀的偏見」によってなりたっている。それをあえて<偏見>と呼べるのも、そのこと自体、<歴史>の名においてである。/この数学史は、いっこうに必然の歯車を回していないように見えるかもしれない。たしかに数学の歴史を眺めて、それが偶然の連鎖であったような気も一方ではするのだ。ギリシャのあとにイスラムが、そしてその次にはヨーロッパが来たことを、とくに必然として位置づけられそうもないし、未来の文化がどんな<数学>をもたらすか想像もできない。それでも、<数学>というのが<人間の文化の流れ>としてあったことは、否みようもないことだ。<歴史>は、こうした必然と偶然の弁証法としてあるのだろう。/こうして、<<なぜ数学史なのか>>は、<<なぜ数学なのか>>の問いのためにある。とくに現代、<数学の社会化>と<数学の疎外>に引きさかれている現代を、現代の人間として生きるためにあるのだ。」



   * [数の現象学] 森毅

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