19961019 洲之内徹 『気まぐれ美術館』
洲之内徹 『気まぐれ美術館』
「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より
15日、洲之内徹 『気まぐれ美術館
』 (新潮文庫)を読み終えました。
今年読んだ本の中から何か一冊選べといわれたら、この本をあげるかもしれません(まだ二月もあるけど)。
雑誌「太陽」1996年2月号「特集・白洲正子の世界」を読んで、初めて洲之内さんの存在を知りました。
白洲さんと関わりを持った人を紹介するページ(森孝一さんという人によるもの)の、洲之内さんの部。
「洲之内さんを白洲さんに紹介したのは、小林秀雄である。といっても、じかに紹介した訳ではなく、「今一番の評論家だ」と小林さんから聞かされたからで、実際に本人と出会ったのは、それからずっと後のことである。
白洲さんの自宅の食堂の壁には、いまも松田正平さんの描いた、洲之内さんの肖像が飾ってあるが、白洲さんが洲之内さんのことを文章にしはじめたのも、洲之内さんが亡くなって、その人間の形がはっきり見えてきたからである。どうも、亡くなってから深まる付き合いというものもあるらしい。
洲之内さんの批評に、「セザンヌの塗り残し」といういい文章があり、それはセザンヌの画面の塗り残しについて、凡庸な絵かきならいいかげんに辻褄を合わせ、苦もなくそこを塗りつぶしてしまっただろうが、それをしなかった、できなかったのがセザンヌの非凡さであろう。そして青山二郎という人も、同じようにどこかへ片づけてしまえない人物なのではないか、というのである。
白洲さんは、「それはまた洲之内さん自身の塗り残しでもあった」と書いている。
白洲さんの骨董と、洲之内さんの絵画の付き合い方は、どこか似ていると思うのだが、「人間は知らなくとも、心のそこのほうでしっかり手をつないでいる」そういう付き合いであったという。」
文庫本カバーの著者プロフィール。
「(1913-1987)松山市生れ。左翼運動に参加して東京美術学校建築科中退。郷里で運動を続けるも、検挙。1938(昭和13)年、中国へ赴き軍の諜報活動に関わる。(中略)'74より死の直前まで「芸術新潮」に「気まぐれ美術館」を連載、(後略)」。
文庫巻末には、白洲正子さんの「「芸術新潮」昭和六十二年十二月号に寄せられた洲之内徹追悼文」が再録されています。
その末尾。
「最後にいっておきたいのは、洲之内さんには、一六五回もつづいた「気まぐれ美術館」の連載のほかに、もう一つの「気まぐれ美術館」がある。何十年もかかって集めた絵のコレクションで、その一つ一つに彼の愛情と、人生の重みが秘められている。洲之内さんは生前まとめてどこかへ寄付することを考えており、そういう話を私は何度も聞かされた。(中略)洲之内さんと親しい日とたちはそのコレクションが散佚することを恐れている。それが自然の人情というものだが、今となっては他人が口をはさむべきではないと私は思っている。よしそれが散佚したにせよ、洲之内さんが食べてしまって、消化しつくしたものならば、本人にとっては何の心残りもあるまい。心残りだと思うのは、自分の感情に溺れているからで、洲之内徹を知らぬ人の言である。彼が好きだった詩をあげておこう。
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ここらあたりは
草山ばかり
風に吹かれて
飲むばかり」。
松岡正剛の千夜千冊『気まぐれ美術館』洲之内徹
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