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19961022 渋谷章『牧野富太郎―私は草木の精である』

渋谷章『牧野富太郎―私は草木の精である』  「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 17日、渋谷章(1948- )著 『牧野富太郎―私は草木の精である』 (リブロポート1987)を読み終えました。リブロポート「シリーズ 民間日本学者」の第4冊目であります。
 おなじみ広辞苑によれば、牧野富太郎 植物分類学者。高知県生れ。小学校を中退、独力で植物学を研究、東大理学部助手・講師。日本各地の植物を採集観察して多くの新種を記載。主著「日本植物図鑑」。文化勲章追贈(1862-1957)」

 牧野さんの名前はどこかで見て知っていたのですが、今年春利尻島に関する個人ホームページを開設するにあたって、深田久弥日本百名山』 (新潮文庫)の「利尻岳」を読んでいて驚きました。なんと深田さんはその中で「私の眼にした最初の利尻岳紀行は、『山岳』第一年二号に載った牧野富太郎氏のそれである。」と書いておられるのです(あんまりびっくりして「百名山」は利尻岳のとこしか読んでません。とほほ)。
「そうかあ、あの山に登った人だったんだ。」(ちなみに私はその山の麓で生まれ育ったのですが、登ってません。とほほ)と、俄然興味がわき、その『山岳』を探さねばと思った矢先、利尻町立博物館の文献リストに「植物 11 牧野富太郎 1906 利尻島と其植物 山岳、1(2):25-36.」と書いてあるのを発見したのでした。おそるべし、利尻町立博物館!
 博物館の佐藤さんにお願いして入手した「利尻島と其植物」もまた、ホームページのコンテンツにさせていただいたのでした。

 牧野さんは強烈な個性の持ち主だったようです。
 土佐の金持ちのボンに生まれ、束縛を嫌い小学校を中退すると、一心不乱に植物の研究に励みます。その後土佐からの経済的援助を断たれ、また研究のため足繁く通った東大の植物学の先生方からの「いじめ」にあうというような、幾多の困難に堪え逆境をバネについに植物学者としての名声と実績をものにします。
 何度も巨額の借金を抱えながらも悪びれることなく借金しに行ったそうで、その天真爛漫さと植物にかける愛の強さに借金の肩代りをする人が何度も現われたそうです。また、教授たちからの研究室立ち入り禁止・退職勧告等の「いじめ」も、牧野さんの才能を認める周囲の教授さんたちの運動で、何度も排除された模様です。
 いじめる側も、自分の能力が牧野さんに劣ることを薄々わかっていたわけで、読んでいた彼等にもちょっと同情してしまいました。運の悪い人たちだったのでしょう。

 また牧野さんは雑誌(もちろん植物学の)発刊マニアだったようで、何度も創刊廃刊を繰り返しています。また、植物の図案を現物により近いものにするために自ら印刷技術を学んだりもしたそうです。廃刊の理由は当然のことながら経済的問題で、借金を肩代りしてもらってはまた懲りずに雑誌創刊をして借金を作るという悪循環が、晩年まで続きます。
 牧野さんが今生きてたらどうでしょう。もしインターネットを知ったならば、さぞや面白いホームページを残してくれたのではないでしょうか(そんなに借金もしないですんだかも)。

 晩年は経済的にも恵まれ、幸福な日々を過ごしたようです。
 花束を抱えどこかの庭先で椅子に腰掛けた牧野さんの写真が、本の中に収録されているのですが、なんとも柔和な明るい笑顔です。「草木の精」を自称するだけあって、花のような微笑みです。

 ちなみに牧野さんが利尻山に登ったのは明治三十六年、四十一歳ぐらいのとき。まだ借金生活のころでしょう。当時の交通の便を考えれば、たいした力業です。
 見習いたいものです。



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