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19961104 中沢厚 『つぶて』

中沢厚 『つぶて』
  「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 「つぶて[飛礫・礫]小石を投げること。また、その小石。たぶて。(中略)つぶてうち[飛礫打]小石を投げつけること。いしうち」(『広辞苑』より)。

 「浜の真砂」とか「星」とかいえば、数の多いこと代名詞みたいなものですが、「路傍の石」もそれに負けず劣らずありふれて何の価値もないものだったはずです。一昔前までは。
 気晴しに石でも投げて遊びたいなと思っても、町中では手ごろなつぶてを見つけるのも一苦労で、あったとしても放り投げた先にこわい人間がいないとも限らない、パンチが飛んでくる。不便な世の中になったものです。
 小さな島で育った私は、よく断崖の上から海面に向かって小石を投げて遊びました。自分の手から離れた小石が放物線を描いて小さくなり、何秒か後に彼方の水面に波紋ができるのを見るのは楽しいことでした。
 「つぶて」の行為から、今あるボールゲームのほとんどが派生したといって間違いないのではないでしょうか。(一昨日の野茂、かっこ良かったですね)。無償の喜びが「つぶて」にはあるのです。

 地元である山梨県をベースに長く民俗学者として道祖神を研究していた中沢厚(一九一四~八二)さんが、「つぶて」に心を奪われるようになったのは、昭和四十二年九月からのことだそうです。
 その当時首相だった佐藤栄作さんの台湾訪問アメリカ訪問を阻止すべく空港に集ったデモ隊の投石模様をテレビで見た中沢さんは、「つぶてとは一体何だ」という問いにとりつかれます。中沢さんの少年時代、山梨は笛吹川での石合戦の記憶が蘇ったそうです。

 その「つぶて」に対する思いが、その名も『つぶて ものと人間の文化史 44』という本を生みます。
 古代世界(ギリシャ、ペルシャ、中国、韓国、そして日本)の「つぶて」に始まり、投石器の様々、日本中世の石合戦、石投げの民俗学的考察、一揆・打こわし等の政治的「つぶて」、そして日本の石合戦の終焉。そんなふうにおよそ考えうる「つぶて」に関する事項がその本には詰まっているのです。

 その中沢厚さんに「どうして父さんはそんなに石が興味があるの」と問いかけたのが、息子の中沢新一(一九五〇~ )さんでした。
 中沢厚さんのもう一冊の「石」本『石にやどるもの―甲斐の石神と石仏』のために書かれた新一さんの解説が、「野性のエレガンス」と題され、新一さんの本『蜜の流れる博士』に収録されています。新一さんの父親への愛情とその仕事に対するすぐれた分析に満ちた、素晴しい文章です。(息子の洗練は父の土着性を軽々と越え、世間にその名を知らしめるに至ったわけですが、中沢父ならば、もしそのような機会があったとしても、オウムと必要以上に接近することもなかったような気もします)。
 その文章によれば、中沢父の「つぶて」狂いは、「つぶて」行為に熱中した人々の記憶を呼び起こし、様々な人々を巻き込んでいきます。リンクすること。中沢子は「「つぶて」行為は、大きく言ってふたつの点で、人間の本質にかかっている。」として、「つぶて」にリンクするものとして、「想像力」と「スピード」を挙げています。

 そんな父子につかまったのが、歴史家網野善彦(一九二八~ )さんでした。
 『異形の王権』の中で網野さんは、ご専門の日本中世史の中にあらわれる飛礫の数々の事例を挙げ、その時代の今までの正統的な歴史記述の中では登場しなかった反体制的な動きを明らかにしていきます。
 実は網野さんは中沢父の義理の弟、当然中沢子の義理のおじ、なのですが、同じ「つぶて」について書いても、身近に互いに接しているはずなのに、これほどその表現が違うものかと一瞬思います。
 がしかし、同じことを言っているような気もしないでもない。
 点々と転がっている石ころが、人間の手によって「つぶて」として誰かに投げつけられると、「リンクさせるもの」として生命を得る、そのことの不思議さ。

 さて。
 「つぶて」読書の記憶も薄れかけていた私に、新手の「つぶて」を投げつけたのが「ラテン系」Y本E子さんでした。
 不意に襲ってきたメールに書かれていたURLにアクセスすると、そこには「アンデスの投石器」の文字が。中沢父の『つぶて』でほとんど触れられていないラテンアメリカの「つぶて」状況が、美しい祭礼用投石器の写真とともに語られていたのです。
 その「つぶて」に打たれたのは私だけではありません。そうですO本さんです。儀礼的な戦争としての「石合戦」はニューギニア、やはり死人もでるそうです、にもあると中沢子の文章にあります。時間空間を越えて「つぶて」は飛びかっているようです。中沢子は「野性のエレガンス」の中で書いています。「スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』の冒頭のシーン(人類の先祖が空中にむかって、彼が手にした最初の武器である骨を投げあげると、つぎのシーンではそれが宇宙ステーションに変化している、というあの感動的なシーン)」。
 今回この文章を書くにあたって、もう一度『つぶて』に目を通しました。そしたらありましたよ、「ラテン系」の話が。アマゾン奥地の原住民の投石ぜめの話で、「『朝日』一九七七年十月十一日」とその記事が載っているらしき新聞の日付まで書いてあります(二九七ページ)。

 さてさて。
 どうも私にはこのコンピュータというものも「つぶて」並みに、人間の「想像力」を増幅させその「スピード」を加速させる道具であるような気がするのです。
 放物線ならぬ電話線をとおり、世界中に放られる私たちの無数の「つぶて」。
 そしてその「つぶて」が起こす波紋。



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