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19961114 古瀬幸広・広瀬克哉『インターネットが変える世界』

古瀬幸広・広瀬克哉『インターネットが変える世界』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 5日、古瀬幸広広瀬克哉著『インターネットが変える世界』(岩波新書1996)を読み終えました。

 「ヒック・エ・ヌンク」という言葉があるらしいです。ヒッポファミリークラブの榊原陽氏がいっときよく口にしていたのですが、「Now and Here」の意味のラテン語(綴りは知らない)だとか。
 鳥類・哺乳類はわかりませんが、それ以外の動物は「ヒック・エ・ヌンク」の時空間の中で、その場そのときに応じた遺伝子のプログラムに従っていきているようにしか見えません。現在に対する過去、ここではないどこかを想定するには、言語という道具が必要だったのだろう、と私には思えます。
 その道具の性能を向上させること、また使うことに習熟することに長けていたのがヒトという名の猿で、そのすぐれた道具を武器に、地球上にその生息地を増やしつづけて行く。
 となると当然次なる大きなイノヴェーションは、文字の発明です。宙に空しく消えていくばかりの言葉が、時間と空間を凝縮する形で定着し、定着したがゆえに逆に時間と空間を越えて語り継がれる。
 その次が、言語の電子化・ディジタル信号化、そして電子ネットワーク化である、と思うのですが、いかがでしょう。

 『インターネットが変える世界』の第1章「「つなぐこと」に魅せられた世代」を読み始めるといきなり、産業文明への異議提唱者である思想家イワン・イリイチの名が出てきます。そこで、イワン・イリイチの用語「コンヴィヴィアリティ conviviality」というこの本全体を通してのキーワードが紹介されるのですが、著者はその語を「ともかく「みんなで一緒にいきいき楽しい」というニュアンスの言葉である。」と説明しています。
 インターネットの源流は「核戦争が起きても確保できる通信手段の開発」だったそうですが、「「つなぐこと」に魅せられた世代」がそんなあまり人間的とはいえないネットワークを、コンヴィヴィアリティなものに変えていったわけです(変えられた方にすれば、「わや」にしくさって、というところでしょうが)。
 単なる「言語の電子化・ディジタル信号化」は、人間同士を孤立させるだけのものでしょう。「「つなぐこと」に魅せられた世代」がその新しい言語を使い、使い勝手のよい電子ネットワークを構築していく過程でできあがったネットワーク、がインターネットであったというのが私なりの解釈です。

 これまでの言語の発展段階では、その発展のたびに侵略するものとされるものを生んできました。無文字文化に生きる人たちが、文字によって文明化された人間たちに抑圧されるのがいい例でしょう。
 著者は、第4章において、「コンヴィヴィアリティ conviviality 」という言葉を試みに「共愉的」という日本語に訳しています。
 今回の言語発展は、過去のそれとは違って、「共愉的」すべての人が楽しくなる可能性を持った「進化」であるような気がします。古瀬さんの「honya開業宣言」の中に「民主主義」という言葉を発見し「?」と思った私ですが、この『インターネットが変える世界』を読んでその疑問も氷解しました。
 「情報公開、共有こそが民主主義を支える根幹であ」る、と著者は書いています。使えるものと使えないものの間に壁を作る役割を果たした言葉が、今生まれつつある電子ネットワークによって、始めて人と人を繋ぐ力を獲得しつつある。それが民主主義でなくてなんでしょう。"Power to the people" (ジョン・レノンの歌の題名)なわけです。(久米さんのメールに"give and give"という言葉を発見しました。私はそれを「情報ポトラッチ」と呼びたいです)。

 「インターネットでも変わらない世界」にしないために、「共愉的」に楽しみたい一冊でした。



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