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19961121 福沢諭吉『福翁自伝』

福沢諭吉『福翁自伝』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 15日、福沢諭吉福翁自伝』を読みました。

 「何をいまさら?」本、とでもいいましょうか。
 福沢さんといえば、大阪は適塾(1838-1862)で学んだことは有名です。
 幕末から明治にかけて優れた才能を輩出したその場のことを考えるとき、いつも比較してしまうのがヒッポファミリークラブの研究機関「トランスナショナル・カレッジ・オブ・レックス」(通称トラカレ)です。

 ちょうど一月前の十月二十一日、朝日新聞夕刊の科学欄にヒッポファミリークラブの記事が載っていました。
 「素人が作った理系本 英訳が米国で評判に」として、「フーリエの冒険」「量子力学の冒険」それぞれの英訳本が、米国の大学等で教科書として使われ始めていることを報じています。「素人」とはトラカレの生徒さんたちのことであります。
 記事の冒頭には「大学では理科にほとんど縁のなかった素人が作った物理、数学の本」と書いてありますが、これは間違い。高校卒業でも、家庭の主婦でも、トラカレの生徒になることができる、というのが事実のようです。入学するにあたっては、ノーベル賞物理学者ハイゼンベルクの『部分と全体』を読むこと、が表向き唯一の必要条件です(実は入学金が必要なことが唯一の欠点、と私はよく揶揄していう)。
 私は、1988年に出版されたという『フーリエの冒険』をその翌年に読んで、ヒッポファミリークラブの存在を知ったのですが、やはりすごい本だなこれはと思いました。当時の私は「素人」でありながら、電気関係の仕事についてしまい、なにやら釈然としない混沌とした精神状態でした。「波」の三要素さえわからない人が、そこから一冊の本の中で、フーリエ級数まで「お友達」にしてしまう過程を書いているのですから、面白くないわけがない。
 というわけで、私は文系出のサービスエンジニアとして生活の糧を得ることを続け、1991年にヒッポファミリークラブに入会したのでした(縁なくトラカレ入学はしませんでしたが)。

 適塾の生徒さんたちも洋学の「素人」さんたちでした。
 トラカレにも適塾にも共通するのは、先週『インターネットが変える世界』感想文で紹介したイワン・イリイチの言葉「コンヴィヴィアリティ conviviality」の精神ではないでしょうか。(古瀬さんの日本語訳は「共愉的」というものでした。そしてその説明として「ともかく「みんなで一緒にいきいき楽しい」というニュアンスの言葉である。」と書かれています)。

 人が場を作り、その場が人を作る。場の磁力を帯びた人間が、その力でまた人を呼び、場を再生する。
 そういう場を、どうすれば、いかにより多く持てるか。
 まず自分がその場を楽しむことかもしれない、と思えるようになったのが、ヒッポファミリークラブに入って得た成果のような気もしています。





 15日、福沢諭吉『福翁自伝』を読みました。つづき。

 私は財布を持っていません。現金はいつもリーバイス501の右前ポケット。たまには福沢さんもおられますが、そうでないことのほうが多い。えーと、今日は夏目さんが四人ですか。うーむ・・・・・、ちょっとさびしい。
 ポケット財布は、聖徳太子のお札のころからの習慣なのですが、昔の一万円は値打ちがありました。それに紙質が強かった。今のお札は駄目です、すぐしわくちゃになってしまう。
 このところマネースキャンダルのニュースばかりで、いささか憂鬱です。世の中金がすべてとまでは言わないが、金で買えないものもほとんどない、と思っている私ですが、だからといって何を買ってもいいわけじゃないだろう、と思わずにはいられません。(例。国会議員になって人の金をまき上げてホテルのスイートルームを借り切って暮らす。他にやることないのかよ、ですよ。)

 「およそ世の中に何が怖いと言っても、暗殺は別にして、借金くらい怖いものはない。」とは『福翁自伝』中の福沢さんの言葉です。一読してみてどうも嘘をつくタイプの人間ではなさそうなので、その言葉を信用すれば、福沢さんご自身一度も借金をしなかったそうです。金銭面でも、至極「健全」な人であったらしい。 生徒から学費を集め、その金をもとに、俸給制にして教師たちの経済的保証をする、という今では当り前のことも、福沢先生の発明だったそうです。(ヨーロッパの古い大学なんかはどういう給与制度だったのでしょう、ご存じの方お教え下さい。)
 三田にあった島原藩の大名屋敷跡をうまいこと買い取って、慶応義塾の敷地とするくだりは読んでいて面白い。どさくさまぎれといいましょうか、先見の明があったといいましょうか。

 私は幕末の人物の中では勝海舟が好きなので、ついつい勝さんと比較しながら『福翁自伝』を読みました。(勝海舟の『氷川清話』は愛読書の一つです)
 ご存じのように、福沢さんと勝さんはいっしょに かん臨丸(かんの字が変換できない)でアメリカに渡りました。「勝麟太郎という人は艦長木村の次にいて指揮官であるが、至極船に弱い人で、航海中は病人同様、自分の部屋の外に出ることは出来なかった」と福沢さんはかつての自分の上司を描いています。奇しくも『福翁自伝』刊行の年は、勝さんの亡くなった年でもあるようです。勝さんは上の部分を読んだのでしょうか。
 いずれにしても、二人が意気投合したとか仲が良かったという記述は、どちらの本にもなかったと思います。
 ただお互いに意識をしてないはずはなかった。とくに「幕臣」勝さんにとって、福沢さんは「ニューカマー」で「アンファンテリブル」だったのではないかと思います。
 二人の似ている点は、経済に対して一家言持っていること、長崎等々で洋学を学び開明的だったこと、本を買えず写本をよくしたこと(そしてそれがよい勉強になったこと)、身分制度のせいで子供の頃青年時代を通して貧乏だったこと、にもかかわらずその能力で晩年は名声を得て金銭的にも恵まれていたこと、殺すこと殺されることを理不尽と思いかつ人を殺さなかったこと、体力の裏付けがあって行動したこと。
 似ていない点、徳川幕府に対する忠誠心(福沢さんはまったくその手の精神を持ち合わせていなかった)、女ぐせ(勝さんは相当悪かったようです。セクハラ男です。福沢さんは愛妻家)、アジア近隣諸国に対するまなざし(これは勝さんのほうが優しいと思うのですが)。

 コンピュータネットワークの発達というものも、西洋の学問が入ってくるのと同じくらいのインパクトがあるのかなとも思います。慶応義塾大学といえば、東京大学・東京工業大学と繋いで、日本初のインターネット網を構築した大学でもあります。
 このネットワーク社会から、第二の福沢さんみたいな人が生まれてくるのでしょうか。
 その人がどんなに偉くなっても、そのころは電子マネーの時代で、お札の絵柄になって誰かのポケットの中でもみくちゃにされるなんてことはなくなっている、かな。
 (まあ、電子マネーそのものよりも、電子マネー社会での汚職・贈収賄の方法のほうが先に研究されそうな世の中ですから、裏金が作りにくいと判明したりしたら、電子マネーは採用されないかもしれませんが。・・・・。悪い冗談でした。)



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