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19961125 寺田寅彦 『柿の種』

寺田寅彦 『柿の種』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 18日、寺田寅彦柿の種』を読みました。

 寺田さんの「自序」によれば、「大正九年ごろから、友人松根東洋城の主宰する俳句雑誌「渋柿」の巻頭第一ページに、「無題」という題で、時々に短い即興的漫筆を載せてきた」ものを百七六篇を集めたもの。
「なるべく心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」と寺田さんは同じく自序の中で書いておられます。が、私はといえば、一節一節が短いのをよいことに、ポジスライドをフィルムスキャナーで取り込む、その待ち時間を利用して「忙しく」読みました。寺田さん、すみません。貧乏症です、私は。

 一番印象に残った一節。

「自分の欠点を相当よく知っている人はあるが、自分のほんとうの美点を知っている人はめったにいないようである。欠点は自覚することによって改善されるが、美点は自覚することによってそこなわれ亡われるせいではないかと思われる。」

 前回前々回と紹介した『福翁自伝』によれば、福沢諭吉さんは、慶応義塾を現在あるような由緒ある大学にする気は毛頭なく(予想もできなかったでしょうし)、自分の没後は消えてなくなってもかまわないと書いておられます。

 諭吉さんと同郷の岡本さんからのレスには、その大学がエスタブリッシュメント化したへの疑問(たとえばあの幼稚舎入学希望者の異常過熱)が書かれてあり、「宗教も同じですが、創始者とその後に続くマーケティング人間の違いでしょう。」という説得力のある批評がそえられていました。

 また、久米さんからは「むしろ経済大国になった今日に、こうした建物と組織を作ることは難しいことが皮肉であります。」交詢社広辞苑によれば、「わが国最初の社交クラブ。一八八〇年(明治一二)福沢諭吉の創立。主として実業家の団体。」とあります)についてのレスをいただきました。

 組織として永続させるためには、「マーケティング人間」が必要であるのも確かとは思います。私の実家の宗派は浄土真宗ですが、日本の地の果てまで仏の教えを「実務的」に伝播させたのは、もちろん親鸞その人ではなく「マーケティング人間」たちです。その「マーケティング」技術が内向してしまうと、泥沼の相続劇・跡目争いになるようですね。どちらさんも。

 同じような話を、「ラテン系」Y本E子さんとの私信のやりとりの中でしていました。
 南米染織研究家であり、ご自分でも染織をなさる山本さんの実感を書かれたものなのですが、「糸を紡ぐ事、織る事、アンデスの子供なら5~6才からできる、初歩的な技術はあります。でも、彼女らの持つ根気(祈りかも?)が、私には欠如しているのですねぇ。」

 その返事に、私は柳宗悦のこと(私とY本さんの縁を結んでくれたのは、柳宗悦が「創始者」の「日本民藝館:http://www.mingeikan.or.jp/」のホームページでした)を書きました。
 「柳さんは無名の職人さんの根気強い仕事を、「他力」という宗教用語で賛えていましたね。「自力」の芸術などたかがしれていると。」
 「自力」の芸術は、自分の芸術の「美点を自覚すること」にほかならないわけですよね。

 そんなことを思いながら、NHK大河ドラマ『秀吉』の仲代利休腹切って首切られる編見てすぐ、『柳宗悦茶道論集』の「「喜左衛門井戸」を見る」をパラ読みました。
 「「喜左衛門井戸」は天下随一の茶碗だといわれる。」と始まるその小編はやはり、「欠点」と「美点」について考えさせられるものです。

「それは朝鮮の飯茶碗である。それも貧乏人が不断ざらに使う茶碗である。全くの下手物である。典型的な雑器である。一番値の安い並物である。作る者は卑下して作ったのである。個性等誇るどころではない。」「何故「喜左衛門井戸」が美しいか、それは「無事」だからである。「造作したところがない」からである。」

 のんびり本も読めない人間には、難しいことです。



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