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19961128 樺山絋一 『ルネサンスと地中海』

樺山絋一 『ルネサンスと地中海』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

1.
 中公文庫には、「日本の歴史」全26巻と「世界の歴史」全16巻という、ベストセラーがあります。
 「日本の歴史」の方は、歴史本ガイド本で橋本治さんの「まずこれから読め」紹介文をきっかけに、全巻読破しました。第21巻『近代国家の出発色川大吉著が一番印象に残っています。
 「世界の歴史」の方は、どこまでいったのか、本棚に全巻あることはあるが・・・。村上春樹さんが、確か『やがて哀しき外国語』の中で、「村上さんは学生時代勉強しなかったっていう割には、ちゃんと早稲田大学に合格してるじゃないですか」という一ファンの問いかけに、世界史は勉強しないで、中央公論社の「世界の歴史」を読んだのが良かった、と妙な弁明を書いていたように記憶しています。ませた高校生だな、十分勉強してんじゃねえか、と思ったのは私だけではないでしょう。
 その中央公論社から、私の旧シリーズ読破をまたず、「世界の歴史」新シリーズが刊行されはじめてしまいました。
 第16巻『ルネサンスと地中海』がそれです。

 「アート」という言葉は、一般的には「芸術・美術・技術」を意味します。
 広義では、「自然物ではなく、人の手の加わった物」というニュアンスを持つのでしょうが、ルネサンス期について書かれた本を読むと、特に人間精神が発露されるものは、すべてアートと呼んでいいのかなと思うのです。
 政治。マキャベリズムという言葉が生まれた時代のことですから、なんでもありです。『ボルジア家の毒薬』という映画もありましたね。政略結婚あり、暗殺あり。人智の限りを尽くしたようです。
 経済。長靴半島の東西の付け根にあるヴェネツィアジェノヴァ。ともに地中海貿易の盟主を目指してのつばぜりあい。貿易都市国家としてナポレオンの時代まで生き延びたヴェネツィアの話は、塩野七生さんの『海の都の物語』に詳しいです。
 学問。活版印刷術の発明が、トピックでしょうか。その技術は、限られた人しか目にすることのできなかった「聖書」を、一般庶民に、また彼等の住む土地の言葉で、普及させることになり、宗教改革が始まります。
 宗教。「神の代理人ローマ法王の人間臭さ。ヴァチカンの壮麗さ。
 そして、もちろん芸術。絵画・文学・建築・音楽・科学。人間復興と呼ぶにふさわしい。

 さて話は変わりますが、こないだの日曜日、久しぶりに京都に遊びに行き、高校の修学旅行以来二十年ぶりに、三十三間堂を見物しました。入場料(おっと拝観料といわなくちゃならんのか)五百円なり。うちの娘(昨日でちょうど一歳半)は千手観音に声かけてました。
 国宝「観音二十八部衆像」なんか見ながら思ったのですが、そういえばローマの教会見物で入場料(拝観料?)を払った覚えがない。
 とあるイタリア人女性とその彼氏(フランス人)を一日大阪案内をしたときのこと。京橋のパナソニックスクエアを見物したのですが、見終わっての一言が「ここはちょっと高いですね」。そういえば、大英博物館も、ただで入れるとか。
 「アート」は人間の共通の財産であってお金をとったりとられたりして見るものではない、有料にしても必要最低限の低料金にすべきだ、というコンセンサスみたいなものが、ヨーロッパの人たちのなかに存在するのでしょうか。だとすれば、それはルネサンスを通過したヨーロッパ人の心意気みたいなものなのでしょうか。

 梅棹忠夫さんが新聞で発言されていたのですが、日本の四十年後はお先真っ暗である、とのこと。なぜなら、あのバブル期のお金があった時代、そのお金を社会整備なり文化芸術面に使うことをしなかったから、ということです。
 京都も平安期、『源氏物語』の時代、世界でも最もすすんだ文明の地だったわけですが、あのバブルの時期、京の町屋も地上げにあいどんどんさら地にされ、その後のバブル崩壊で結局駐車場に早変わり、みたいなことが多かったようです。都市景観などという言葉は、空念仏みたいなもの。
 それが日本人の、自分たちの千年の都に対する仕打ちです。

 人間の文明とはどんなものなのかに関しては、日本人よりイタリア人のほうがよく知っているのではないか。そして、その知識の蓄積が、何十年何百年あとに、新しい文明を生むのではないか。 
 そう考えれば、今は経済的に苦しんでいるイタリアですが、いつかいまひとたびのルネサンスを迎えられるかもしれません。 さて、日本は。





2.
 極私的ルネサンス読書案内コラージュ。

 「ルネサンス renaissance」という言葉は、フランス語です。
 「一八五五年に、フランスの歴史家ジュール・ミシュレが『フランス史』第七巻にこの名をあてたのが、学術用語としては最初といわれる。」(『ルネサンスと地中海』18P)と書いてあります。

 樺山さんがその業績を意識して書いた歴史家の先人がブルクハルトブローデル
 ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』(中公文庫1974)、ブローデル『地中海』(藤原書店1993-1995)というのが、彼等の中心的著作らしいです。

 中公文庫の旧「世界の歴史」でルネサンス期について書かれているのが、『世界の歴史 7 近代への序曲』(松田智雄責任編集1975)。

 イタリアといえばこの人、塩野七生。
 『ルネサンスの女たち』中公文庫1973。
 『神の代理人』中公文庫1975。
 『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』中公文庫1989。

 私の好きなルネサンス本『文芸復興林達夫(中公文庫1981)。


 「インテルメッツォ<人びとの肖像>」として紹介されるルネサンス群像。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ(一四五二-一五一九)。
 「万能人(ウオモ・ウニヴェルザーレ)」といえば、この人。岡本さんから紹介されたのが『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫。
 ダ・ヴィンチを登場させた物語としては、化学者にして児童文学作家のカニグズバーグ(1930- )『ジョコンダ夫人の肖像』(松永ふみ子訳 岩波書店1991  E. L. Konigsburg : The Second Mrs. Giaconda, 1975)が好きです。

 ジェロラモ・カルダーノ(一五〇一-一五七六)。
 まず医者で、それから「数学者として、三次方程式の解法をもとめた。「カルダーノの公式」という。確率論をはじめて提唱した。物理学者としては、「カルダーノの輪」なる装置を考案した。」(『ルネサンスと地中海』74P)、そして大の博打好き。はっきりいって、わけがわからない。
 『わが人生の書 ルネサンス人間の数奇な生涯』(青木靖三・榎本恵美子訳 社会思想社現代教養文庫1989 De vita propria liber : Gerolamo Cardano)を昔読んだ記憶がありますが、凡庸な現代人にはやはりわけのわからない本でした。

 ミシェル・ド・モンテーニュ(一五三三-一五九二)。
 そのドイツ・イタリア旅行期である『旅日記』の中には、「完工近いサン・ピエトロ大聖堂やヴァティカン宮殿の現状広告もそえられ」(『ルネサンスと地中海』318P)ているそうです。モンテーニュ紹介文の副題は「イタリア観光旅行事始め」。納得です。

 カラヴァッジオ(一五七三-一六一〇)。
 この画家については、私の個人的な思い出とともに、次回に。





3.
 「世界の歴史 第16巻」『ルネサンスと地中海』樺山絋一、さらにつづきです。

 1994年五月初め、私はローマにいました。
 ローマっ子の医科大学生ニコラとペットのコリー犬ミロに案内され、ボルゲーゼ(ボルジア家の屋敷跡?)公園を抜け、スペイン坂を下り、ポーポロ広場に出ました。
 その広場に面した教会らしき建物を指してニコラが言います。
 「いいかいユロ(私のニックネーム「よーろー」をボレア家の人々は「ユロ(JURO)」と発音していました)、この中にはCaravaggioの絵がある。この入り口をまっすぐ入った突き当たりだよ。その左右の二枚がCaravaggioのものだからね。いい?真ん中のは違うよ。ミロを連れてきたんで僕は中に入れないから、一人で見てきて。いい?真ん中は違うよ」
 今だからこそ、上のような意訳もできますが、そのときは何がなんだかわからないまま。
 言われた通り、突き当たりの礼拝堂(チェラージ礼拝堂というらしい)の絵三枚を見ました。お恥ずかしい話ですが、Caravaggioの二作とそれに挟まれた凡作(ニコラがあれほど違うと言ったのに)の差などわかりもしなかったのです。
 だいたいCaravaggioが誰かも知らなかった。

 「カラヴァッジオ[Michelangelo Merisi da Caravaggio]イタリアの画家。宗教画に写実描写と強い照明法を導入し、バロック美術に大きな影響を与えた。(一五七三-一六一〇)」(広辞苑より)。

 『世界の巨匠シリーズ カラヴァッジォアルフレッド・モワール解説、若桑みどり訳(美術出版社)の図版とその解説によれば、私がそこで見た絵は「聖ペテロの磔刑」と「聖パウロの改宗」という絵で、ともに1600年頃に描かれたもの。

 ニコラをホストに、私は一週間ほど、ニコラの両親と弟のルカの四人家族、ボレア家にホームステイしたのでした。
 ニコラのお父さんのダニエレは、芸術家(!)。詩人で画家だという。初めての対面のときは、緊張しました。日本ででも「芸術家」の人にあったことなどないのに、よりによってローマで現役の「芸術家」の家にしばらく滞在することになって、話など合うのだろうか。必死(表には出さなかったが)の努力の成果か、何とか気に入ってもらえたようで、素晴しい一週間になったのですが。
ホームステイも佳境に入ったある日の夕暮れ、ダニエレに誘われダニエレの芸術仲間ピエトロと三人で、ドイツ産のフォードに乗り現代芸術家の個展巡りをしたときのこと。
町全体が美術館と言ってもいいローマで、ローマっ子の案内で世界的に有名な芸術作品を見たあとですから、どの個展を見てもなんだか味気ない。
帰りの車中で、私はその現役芸術家たちを前にうかつにも言ってしまったのです。
「これだけ、すばらしい芸術がすでに生み出されているのに、Caravaggioみたいなものがどこででも見られるところで、何を描いても徒労に終わりはしないのだろうか。新しい芸術の生まれる可能性なんてあるんだろうか」。
 車を運転しながら、ダニエレは言いました。
 「Caravaggioだって、その当時はまったくの前衛だったんだ。」

 いずれにしても、乱暴者で各地を転々とし、生涯を通しわずか五十点ほどの作品を残し、三十八歳になる前に死んでしまったCaravaggio。
 樺山さんの書かれるところに従えば、Caravaggioは生前からそれなりの評価を得ていたようですが、モワール説ではその真価が美術史上で発見されたのは今世紀に入ってからと書いてあります。どうにもはっきりしません。
 確かなことは、四百年も前に描かれた絵が、今もあのポーポロ広場近くに存在するということ。Caravaggioは生きている、ということ。

 そして、ダニエレのいうとおり、明日のCaravaggioがいまこの瞬間も世界のどこかで、絵筆(マウス)を握って、キャンバス(モニター画面)に向かっているのでしょう。


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