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19961204 柳田邦男 『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』

柳田邦男 『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

1.
 11月27日、柳田邦男さんの『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』を読みました。
 感動しました。K茂さん、ご紹介いただきありがとうございました。

 医療と死を迎える患者とその家族を描くという点では同じテーマを扱っている、吉村昭冷い夏、熱い夏』を読んだのは、1992年12月のことでした。吉村さんの実弟が癌を発病し闘病のすえ亡くなられるまでが、ほとんど実話に近いかたちで書かれた小説です。
 当然のことながら、家族親族はその死が来ないことを祈り、懸命の努力を続けます。それでも力及ばず死期を迎えた時の、残された肉親たちの心情や人間模様は、読む者の心を打ちます。

 私はこの吉村さん(利尻島にも縁の深い作家です)の小説を読んだとき、今から二十年以上前に大腸癌で亡くなった母方の祖父のことを思いました。以前「鰊場」の話で登場した祖父です。
 中学生だった私は、癌がそれほど進行していない祖父を、素直に見舞う言葉が言えず、病院に行っても素っ気ない素振りしかできませんでした。祖父のほうも可愛げのない孫と思ってか、しばらく口もきかないほどだったのです。が、死の一週間程前、おそらく死期を悟った祖父に呼び出され、涙ながら「一生懸命勉強しなさい」と細い腕ですがりつかれるように言われました。
 人間の記憶というのは妙なもので、ベッドサイドに月刊『相撲』が置かれていたのをよく覚えています。

   『犠牲』で印象的だったことの一つは、柳田さんが「死」を人称で分けて、三つに分類していたことです。
 一人称の死。これは自分自身の死です。こんなもの書いていられない。
 三人称の死。これはひとごとの死。テレビの中で素敵なニュースキャスターが、世界の子供たちが飢えて死んでいくのです、とどれほど叫んでも、「かわいそう」の一言で終わり、一分後にはもう別のことを考えている。そういう死。
 二人称の死。これは、自分の愛する者たちの死。当然、つらい。
 『犠牲』はおそらく、柳田さんの本の中でも、柳田さんにとっても、もっとも切実な死について書かれた本でしょう。

 生きていることは素晴しい、と娘を見ていると思います。なろうと思えばいくらでもシニックになれるタイプの私なのですが、昨年父親になって子供の成長を見ていると、やはり生きている人間は美しいと思うのです。
 その娘が一歳の誕生日を迎えるころ、私の父が札幌の病院に入院しました。
 五月、父方の祖母の米寿のお祝いをしに帰郷し、一家総勢健康を確認しあったはずなのに。しかも、その病気が、祖父のものと同じらしい、と札幌に住む弟に聞かされました。尋常小学校を出て以来ずっと利尻で漁師を続ける父親を、心身ともにタフな人間と思い込んでいた私にはショックでした。
 七月四日悪性細胞の摘出手術を終え、父は、これまた祖父と同じように、人工肛門を持つようになりました。術後数週間して、私も単身札幌まで父を見舞いに行ったのですが、日焼けしていない父親を見るのは生まれて初めてで、どうにか元気になってほしいと祈らずにはいられませんでした。

 その夜、弟の家で、これからについて話合いました。
 少なくとも、私の娘が、その姿を記憶に留められるくらいまで父には長生きしてほしい、と私がいうと、弟は「そんなもの、なんの慰めにもならないだろう」という。いや、しかし、誰かが死んでしまえば残った者たちがその人を記憶していかないと、その人の生はやがて何にもなかったことになる、と私。
 亡くなった祖父の死は、日本の片いなかの寒村で事業に失敗して死んだおじいさんの死でしかなかったが、その生はその人にとっては唯一のものだった、という事実は、その人を知っている人がその人を語ることでしか残っていかない。それが残された者の一種の「つとめ」でなのではないか、と私には思えるのです。

 『犠牲』は、柳田さんの息子洋二郎さんが、心の病に苦しんだ挙句自死を試み、脳死状態になった後亡くなるまでを描いたものです。
 柳田さんもやはり作中のそこここで、洋二郎さんについての文章と洋二郎さん自身の文章を残してやることが、その生を確かなものにすることになるのではないか、と書かれています。
 優れたノンフィクション作家の作品であると同時に、一人の凡庸な父親が書いた作品であることが、『犠牲』を感動的なものにしているのです。

 お陰様で、父は順調に回復し、八月には利尻に帰郷できました。
 祖父の時代に比べたら、医療の発展にも目覚ましいものがあるのでしょう。そして、なにより私の父は、利尻での仕事と利尻の自然が好きなのです。
 佐藤さん@利尻町立博物館の話では、手術後は当分安静を申し渡されているにも関わらず、磯舟に乗って遊んでいるとか。とんだお調子者です。
 といいつつ、ひとまずは、ほっとしている私。

 個人的な話を長々としてしまいました。
 明日は、脳死・臓器移植・インフォームドコンセント等々、『犠牲』を読んで思ったことを、書いてみたいと思います。






2.
 医療について書かれた部分に目を向けてみます。

 柳田邦男さんは、先端医療に関するすぐれたノンフィクションを発表しつづけ、様々な公共の諮問・研究の場に有識者として参加される方です。取材や執筆にあたっては、「科学的であること」を自分に課しているその柳田さんが、脳死状態のわが子を前に「感情的」になってしまう姿に、人間としての誠実さを感じました。


 インフォームド・コンセント。
 「説明と同意」というのが日本語訳だそうです。当たり前の話であるべきことが、当たり前に行われなかったのは、お医者さんたちが「偉かった」からでしょうか。

 自殺し脳死状態におちいった洋二郎さんを前に、柳田さんは悩みます。「息子の死を無駄なものにしないためにはどうすればいいのだろうか」。「科学的」な柳田さんが最終的に勝ち、洋二郎さんの直接的同意はもちろんないものの生前の言動や書き残した文章から推測して、臓器移植を決心するわけです。
 そこから、救急医の富岡さんや移植コーディネーター(こんな職業があるのを初めて知りました)の玉置さんと柳田さん一家の間に交される会話は、まさしくインフォームド・コンセントのあるべき姿と感じられました。

 臓器移植。
 印象に残った部分を抜き書きしてみます。

 生前の洋二郎さんと「脳死」をテーマにしたテレビ番組を見た際、洋二郎さんの残した言葉「脳死推進派の人たちは、なんであのように反対を押し切ってまで脳死を人の死としたがるのだろうか」40p。
 これはわれわれ素人が一番に感じる素朴な疑問です。
 柳田さんによれば、それはまた一番核心をついた疑問でもあるとのこと。

 当然、柳田さんにとって同業者で同時代を生きる立花隆さんの『脳死』に関する記述が出てきます。101p。

「脳死の定義や脳死の診断方法の是非について論じる場合には、立花氏のいう通りだと思う。
 だが、いま私が直面しているのは、四日間の経過のなかで、明らかに脳死状態に滑り落ちていきつつある息子の、人生における最も大事な時間を、いかにして納得できる意味のあるものにするかという問題だった。センチメントこそ、思考の大事な要素だった。」

 135pには柳田さん自身の「脳死」判定に関する考え方が紹介されています。
 「実は、私も理念としては、脳死をもって人の死としてのよいのではていかと考えてきた。しかし、現実に脳死を人の死と認めると、日本の医療現場の現状では、タテマエのきれい事だけではすまないで、失うものも大きいという危惧を抱いている。
 なぜなら、死にゆく者の命も、臓器移植を待つ者の命も、等価であるはずなのに、脳死・臓器移植論のなかでは、死にゆく者の命=患者・家族全体を包む精神的ないのちのかけがえのない大切さに対しては、臓器移植を待つ者の命の千分の一の顧慮も払われていないからだ。」

 161pには、先の素朴な疑問に対する解答の一部が示されます。

 「脳死・臓器移植の推進に熱心な医師や在米の日本人外科医が、新聞や雑誌に寄稿している文章のなかに、しばしば登場する「日本は遅れている」という言葉も頭に浮かんできた。
 「日本は遅れている」という叱咤激励の言葉は、明治の文明開化以来、西洋に追いつこうとする知識人によって、繰り返し使われてきた。それは日本のリーダーたちにとって、西洋合理主義の限界に目を向けることなく、ほとんど強迫観念になってきた。
 そして、いままた脳死・臓器移植についても、「日本は遅れている」と叫ばれている。何が遅れているのかというと、具体的には、(1)移植医療の技術水準は十分に高いのだが、実践できないという点で遅れている、(2)脳死を人の死と認めない人が多いという点で遅れている、(3)臓器提供という奉仕の精神が定着していないという点で遅れている、ということを意味しているらしい。」

 救急センター富岡医師の選択。
 『犠牲』の登場人物の中で、私が一番魅力を感じたのは、洋二郎さんの担当医となった富岡医師です。
 180p。
「午後の清拭の後、ベッドサイドに座って、ぼんやりと欅の大木を眺めていると、富岡医師が入ってきた。
「今回の洋二郎さんのことでは、自分もいろいろ教えられました」
 と、いつになく控え目な口調で切り出すと、
「実は、自分も骨髄バンクにドナー登録しようと思うんです」
 私は立ち上がって、富岡医師を見つめた。
「先生、ほんとですか」
 私は洋二郎の顔を見降ろした。
 <<洋二郎、先生がおまえの遺志を引き継いで、骨髄バンクにドナー登録してくださるんだそうだ。やったね! ドクターにそんな決心をさせるなんて凄いじゃないか>>
 そう叫んでやりたい気持ちだった。
 富岡医師は、続けた。
「骨髄移植については、意外に医師たちの関心は低くて、ドナー登録をしている医師はほとんどいないんですね。救命センターで働いているからには、すすんでドナーにならなければと思いましてね」
 私は胸がいっぱいになった。

 日本人は臓器提供の奉仕の精神が希薄だと嘆き、脳死・臓器移植の推進論を吐く移植医たちでさえ、献腎登録している人は少なく、骨髄移植のドナー登録に至っては、ほとんど関心外という実態を思い起こすと、私はますます富岡医師の決心の重さを感じた。」


 素朴な疑問の解答がまたここにもありますね。

  『犠牲』の最後には、「低体温療法」という脳死患者に対する画期的な療法が紹介されています。「従来の救命医療であれば、すでに蘇生限界点を越えたとして、治療は中止され」(232p)るような患者さんに、その療法で治療を続けた結果、劇的な生還を果たしたというものです。
 「一体、脳内が何日もすべて灰色に覆われていたとき、脳神経細胞はどうなっていたのだろう。林助教授に聞くと、脳のなかはまだまだわからないことばかりだという。
 こんな奇蹟的な生還を可能にした低体温療法のチャレンジは、早めに治療を放棄してしまう欧米の移植先進邦からは生まれなかったものだ。私は、強烈にそう実感した。実は生還したのはふじ子さんだけではない。十人、十五人とつづいているのだ。そのドラマは、また別の物語として、いずれ筆を起こすことになろう。」

 人を生かす技術。
 人を殺さず人を生かす技術。
 あらゆる領域で、そんな技術の進歩が待たれているのではないでしょうか。



 


3.
 この一週間、『犠牲』の紹介をいただいたK茂さんと、その本に関しての、メールのやり取りをしていました。一部転載いたします。
田原>>医療をジャーナリストの目で描く側面と、自殺せざるを得なかった子供を持った父親の心情を描く側面があって、その両面が均衡して一冊の本になっている。どちらかだけ取り出して紹介すると、柳田さんが本当に言いたかったことがうまく伝わらない、ような気がします。

K茂>>そうですね。私はどちらかといえば後者の気持ちを優先させて読んでいた気がいたしますが、田原さんにそう言われてみると、そこに100%浸かりきってもいなかったように感じます。その間を行き来した苦しみを今になってあらためて感じました。

田原>>私は、あの本の登場人物中では、実は洋二郎さんを一番身近に感じます。
 あと救急センターの富岡先生には人間的魅力を感じました。柳田さんに出会うことで自らドナーになる決心をするくだりには感動しました。

K茂>>医者の良い話は最近聞いてなかった(薬害エイズ等)ので、私も富岡先生には感動いたしました。
私は子供もいないくせに、父親としての柳田さんに同化していましたが、洋二郎さんを身近に感じた人は多いのですね。私は何人かの友人にこの本を薦めたところ、何人か感想を送ってくれたのですが、「彼(洋二郎さん)の見たもの、考えていたこと、感じていたこと、自分自身を見ていたことが私に似ていて胸が痛かった」「私よりも彼(洋二郎さん)はいろいろなことに対してもっと深く考えて答えを出そうとしていたのだと思う」「与えられなかった人たち、感じることのできなかった自分の犠牲になってしまったのかもしれない」というものがありました。
「一生を終えてのち残るものは、我々が集めたものではなく、我々が与えたものである」という言葉は忘れられません。
映画「リバー・ランズ・スルー・イット」の息子を殺された牧師の最後の説教「(相手が拒むとしても)ただ一つ確かなのは、我々は与えることができるということである」を思い出しました。大事なことだと思っています。

 K茂さん、ありがとうございました。

 前回のメールの参考として、朝日新聞11月6日付け夕刊に載っていた小松美彦玉川大助教授「脳死・臓器移植、学会"見切り発車" 代替医療確立こそ急務」の一部。
 「日本移植学会は、自身に有利でないものまで含めて、詳細な移植情報を素人にもわかるように公開すべきであろう。なぜなら、学会自らが今回の声明で「全公開」をうたっているからである。例えば、以下のような事実とそれに対する見解である。脳低温療法という画期的治療法を実質的な脳死患者二十名に施したところ、十三名が蘇生はおろか社会復帰を果たしたという事実(この報告者自身は脳死患者という言葉は用いていない)。」



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