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19961218 長田弘 『失われた時代 1930年代への旅』

長田弘 『失われた時代 1930年代への旅』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 12月2日、長田弘(1939- )著『失われた時代 1930年代への旅』(筑摩書房 1990)を読みました。

 1930年代を生きたヨーロッパの芸術家たちの「死」について書かれた本です。

 作者自身の後記によれば、「この本は、風景を読み、言葉を歩くことをとおして、ひとりの思想紀行として、一九七一年のソヴェト、ポーランド、七二年のスペイン、フランス、七五年のイギリスへの、すべて個人的な旅にもとづいて書かれた。ソヴェト、ポーランド、イギリスをのぞいては、車(ルノー・カトル)により、じぶんで運転し、走行距離はおよそ6200キロになった。」

 この同報メールで一番最初に紹介した本も、実は、長田さんのものでした。『アメリカの心の歌』(岩波新書)がそれです。

 そんなことを読後ややしばらくしないと思い出さなかったのは、その本とこの『失われた時代』の質的な大きな違いのせいでしょう。前者は、活力を失わないアメリカの今をポピュラー音楽を通して描き、後者は、沈滞するヨーロッパの今世紀もっとも暗かった時代の思想家たちの死に場所を訪ねる紀行文ですから、それも無理ないことかもしれません。

 ジョージ・オーウェル(1903-1950)。
 イギリス人。『動物農場』や『1984』で有名なこの作家はまた、スペイン市民戦争に一兵卒として参加し『カタロニア賛歌』というルポルタージュを残しました。

 ジョン・コーンフォード(1915-1936)。
 イギリスはケンブリッジの学者一家の出身で、曾祖父の一人があのチャールズ・ダーウィン、無名の学生のままスペイン市民戦争で命を落とします。

 フェデリーコ・ガルシア・ロルカ(1898-1936)。
 スペインの詩人は、フランコ率いる反乱軍の一団によって、つまりはスペイン人の手によってスペインで、殺されます。(余談ですが、「死神博士天本英世さんはロルカの大ファンでしたよね)。

 ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)。
 ドイツ人。ナチス支配を逃れパリに亡命していたものの、そのフランスもドイツ軍の支配下におかれ、さらなる亡命先アメリカに逃れようとたどりついたスペインの小さな村で、ヴィザがおりるのを待ち切れず自死。 

 ポール・ニザン(1905-1940)。
 フランス人。ドイツ軍との戦いに臨み、北フランスオードリュイクにて戦死。

 ボリス・パステルナーク(1890-1960)。
 ロシア人。スターリン時代の思想弾圧・粛正にたえ、それは実に運が良かったと長田さんは書いておられますが、『ドクトル・ジバゴ』をやがて執筆。「六〇年にパステルナークがペレジェルキノの家で死んだとき、詩人のアレクサンドル・ガリチはうたった。「パステルナークはじぶんのベッドで死んだ--そのことこそ同時代人としてのわれわれの誇り」」

 ファシストナチススターリニズム
 全体主義体制がしかれてしまってから全体主義に対抗するのは、不可能に近いことのようです。

 一九世紀のマルクスさんから、1917年のロシア革命、そして1989年の東欧諸国の激変やベルリンの壁の崩壊まで、この世紀は社会主義共産主義の変遷を抜きにしては考えられないでしょう。ロシアもこれからどうなることやら。
 たとえば、上のジョン・コーンフォード君なんか、おとなしくケンブリッジで学究生活をしていれば、なんの問題もなく一生を終えられたはず。なぜ世界中の若い世代が、その思想にとらえられ、コミュニストとしての行動を選択したのか。(今、ペルーの日本大使館を占拠するゲリラたちも「コミュニスト」を名乗っているのでしょうか)
 私も小学生のとき、浅間山荘安田講堂のテレビ中継を、利尻島の白黒テレビで、意味もわからずながめていた覚えがあります。以来、政治的ポリシーのないまま、傍観者として数十年を生きているわけですが、いいのか悪いのか。

 さて、『失われた時代』にもどりますと。
 ジョン・コーンフォードの生地を訪ねての文章、「イギリスの小さな町--ケンブリッジ一九〇〇/一九一五」は秀逸です。私は単純な人間なので、ケンブリッジを訪ねてみたく、コーンフォード君についてもっと知りたくなりました。



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