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19961225 赤瀬川原平 『新解さんの謎』

赤瀬川原平 『新解さんの謎』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 12月16日、赤瀬川原平(1937- )『新解さんの謎』を読みました。

 帯の惹句です。「怪人現わる! 女に厳しい、金がない。魚が好きで、苦労人 辞書の中にひそむ男の気配 辞書のページをかき分けて言葉の森の奥深くに迫る「新解さんの謎」に加えて 巷に氾濫するチラシの生態から、余白と地球環境、紙と神の怪しい関係等々を考察する「紙がみの消息」を収録。深遠かつ抱腹絶倒の 豪華二本立て・原平ワールド」。

 「路上観察者」の目で、三省堂「新明解国語辞典」を読む、というもの。本文引用して見ていただくのが一番でしょう。
「第三章 見えてきた新解像」から。

「「よのなか・【世の中】・同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。」
 SM「どきどきしますね、この説明は」
 という注記があった。たしかにそうだ。世の中の全遺伝子がこの一項目に凝縮している。苦労があり、さめていて、なおも苦労があり、無限苦労の永久運動。常に矛盾に満ちながら、というところがたまらない。それでいて持ちつ持たれつの統一があり、背の高い人と低い人、体重の重い人と軽い人、駅から遠い人と近い人、満腹の人と空腹の人、便秘の人と下痢の人。
 これがしかし一・二版では、もっとそっけなく簡単に片付けられている。
 「よのなか・【世の中】・人びとが互いにかかわりあいを持って住んでいる所。世間。社会。」
 ずいぶん違う。あまりにもあっさりしているというか、まだ世間を知らないというか、苦労の味に鈍感というか、ただの書生文というか。いずれにしろこの後に新解さんは苦労人となったようだ。そしてさめてもきたのだろう。
 「じっしゃかい・【実社会】実際の社会。〔美化・様式化されたものとは違って複雑で、虚偽と欺瞞とが充満し、毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会を指す〕」
 SM「読んでいてつらい気持になりました」」

「「どくしょ【読書】-する〔研究調査のためや興味本位ではなく〕教養のために書物を読むこと。〔寝ころがって読んだり、雑誌・週刊誌を読むことは、本来の読書には含まれない〕」
 これが一・二・三版で、四版では次のように。
 「どくしょ【読書】-する〔研究調査や受験勉強の時などと違って〕想いを思いきり浮世(フセイ)の外に馳せ精神を未知の世界に遊ばせたり人生観を確固不動のものたらしめたりするために、時間の束縛を受けること無く本を読むこと。〔寝ころがって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、勝義の読書には含まれない〕」
 勝義なんて誤植ではないかと思ったが、
 「しょうぎ【勝義】〔転義やひゆ的用法でなく〕その言葉の持つ、本質的な意味・用法。」
 というわけで、ちょっと私の方に学がなかった。
 しかし「読書」はさすがに凄い。さっきの「世の中」も凄かったが、読書となると何だか自分の宗教の教義について書き記すような、一字一句ないがしろにはできないというような、負けてなるものかというような、千秋楽、もう絶対に星は落とせないぞというような、磐石の構えというか、正攻法のきわみというか。
 寝ころがってはいけないし、漫画本はいけない。電車の中もいけないし、週刊誌もいけない。いやいけないわけじゃないが、それらは読書とはいわない。とにかくこれだけは譲れないというような新解さんの迫力というか、何か力みさえ感じられた。読書・本の世界というのは、新解さんにとっての聖域であることはたしかだろう。」

 私の「電車内読書」を、これからなんと呼べばいいのか・・・・。



 『新解さんの謎』 赤瀬川原平 文芸春秋 1996 定価1600円


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