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19970113 土屋雅春 『医者の見た福澤諭吉』

土屋雅春 『医者の見た福澤諭吉』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

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 12月31日、『医者のみた福沢諭吉土屋雅春(1928- )著(中公新書)を読みました。

 副題「先生、ミイラとなった昭和に出現」。帯、「生前、日本の近代化のために大活躍した福澤諭吉は、死してもミイラとなって明治、大正、昭和の激動期を見すえてきた。この稀有な出来事から発想して、著者は医者の立場から明治の先達に新たな光を当てる。大阪の適塾での医学との出会い、欧米での病院訪問と衛生環境・食事の体験、東大一派によって苦境に立つ北里柴三郎の支援、脚気論争における森林太郎の理不尽、福澤自身の健康法など、多くのエピソードを混じえ、足跡を辿る。」

 朝日新聞12月1日の読書欄。評者・猪木武徳さんによれば、「(前略)やはり迫力があるのは第五章「官学対私学」であろう。脚気の原因をめぐる森林太郎(鴎外)を中心とする東大学派と、海軍軍医高木兼寛との論争には高木に軍配が上がる。また諭吉の庇護した北里柴三郎のペスト菌発見をめぐって、鴎外は「北里の香港から捕らえて帰った菌は贋物で、仏蘭西のエルザンが見出した菌が本物であったということは欧羅巴ではとっくに知られている」という事実無根の説を吐く。いずれも文豪鴎外を畏敬する者にはいささかショッキングなエピソードであろう。
 脚気が食事(白米)と関係しているという海軍の高木兼寛の発見を、長い間陸軍は認めようとはしなかった。そのため、日清戦争では陸軍の戦死者の数よりも脚気で死んだ数の方が何倍も多くなった。さらに日露戦争では三万人近くが脚気で命を落としたと記録されている。陸軍の兵食が改革されなかったため、兵力に大きな被害をもたらしたのである。こうした組織や権威の傲慢さと頑迷さは、最近の日本の薬害問題でも露呈したとはいえないだろうか。とすると日本はこの百年、あまり変わっていないということになる。」

 『医者の見た福澤諭吉』188p「これに対し海軍では、日露戦争での脚気患者はわずかに一〇五人で、脚気による兵力の低下もなく、日本海海戦で勝利を収め、麦飯の効果が異論を挟む余地のない揺るぎないものとなった。」

 私にとって、いろいろ馴染み深く、興味深い名前が登場しましたので、少し紹介しますと。
 ベルツ博士。諭吉一度目の脳卒中のとき、治療にあたったそうです。『ベルツの日記』を昔読みました。明治期の雇われ外人教授の一人。洋行帰りの日本人が「西欧から学ぶものはもう何もない」と豪語するのを聞いて、愕然とするエピソードが書かれていました。自身も追われるように東大を去ったようです。(プロ野球でいうなら、去年ヤクルトにいたオマリー選手状態)

 シーボルト。この同報でも何度か登場した名前。種痘を日本に導入しようとしたのですか。初めて知りました。諭吉の師、緒方洪庵は精力的に種痘の普及につとめたそうです。また諭吉さんは、シーボルトの娘で女医のお稲を、積極的に応援していたようです。

 イザベラ・バード。イギリス人女性のバードさんは、病気療養のため世界を旅行して歩き、その土地の紀行を書いていったのですが、明治十一年、西欧の女性として初めて江戸から北海道まで、若い日本人通訳とともに、馬で旅行したときの紀行文『日本奥地紀行』を記しました。アイヌの人達について書かれた文章は特に印象的です。

 諭吉さん本人について知るには、やはり『福翁自伝』のほうがよろしいようです。
 鴎外さんについては、やはり意外でした。 



 『医者の見た福澤諭吉』土屋雅春著 中公新書1330 1996、720円、ISBN4-12-101330-1
 『ベルツの日記』エルウィン・ベルツ(1849-1913)著 トク・ベルツ編 菅沼竜太郎訳、岩波文庫1979
 『ふぉん・しいほるとの娘吉村昭著、毎日新聞社1978
 『日本奥地紀行』 イザベラ・バード(1831-1904) 高梨健吉(1919- )訳 平凡社東洋文庫240 1973 "Isabella Lucy Bird Bishop : Unbeaten Tracks in Japan 1880"


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