« 19970113 土屋雅春 『医者の見た福澤諭吉』 | トップページ | 19970122 三田村鳶魚 『捕物の話 鳶魚江戸文庫1』 »

19970120 津野海太郎 『本はどのように消えてゆくのか』

津野海太郎 『本はどのように消えてゆくのか』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 1月4日、『本はどのように消えてゆくのか津野海太郎(1938- )著(晶文社)を読みました。

 帯、「活字本と電子本の大共存時代が始まった! 宮武外骨からDTP、OCR、WWWまで「本」の再定義をこころみる最新エッセイ集 「インターネット電子出版入門記」(書き下ろし100枚)を収録」
見開き。
「--印刷されない本(電子本)もまた本でありうるのか。
 それを考えることが、おのずから、未来の本の実質をかたちづくってゆくことにつながる。「本」と「マルチメディア」とどちらの語のほうが長続きするか。わたしは「本」だと思う。生きのこるのは「マルチメディア」ではなく、おそらくは、これから長い時間をかけて周到かつ大胆に再定義されることになる「本」という概念のほうであろう。(あとがき)より。」

 読みながら、津野さんと私のコンピュータ・ネットワーク経歴がよく似ているのに驚きました。
 活字が好きで(私はおそらく津野さんほどではないにしろ)、コンピュータには縁がないだろうと思っていたこと。まず、タイプライター代りにワープロ専用機から入っていった(富士通のオアシスというところまで同じ)こと。
 コンピュータ(当然マッキントッシュ)を手にしてからは、パブリッシング目的でWWWに注目していったこと。その過程で、BNNムック『ASAHIネット・オフィシャル インターネットスターターキット』を読み、翔泳社の『インターネット ホームページデザイン』でHTMLを勉強し、見るより読むページを作ったこと。
 そして今、電子本のフォーマットとして、ボイジャー(http://www.voyager.co.jp/)社の「エキスパンドブック」に注目していること。
 等々。偶然とはいえ・・・。

  「まちがい主義」という文章の一部。

「バカということばがまずければ、前者を「未熟な」と、後者を「無知な」といいかえてもいい。無知な個人が未熟な機械をつかうのだから、とうぜん、イライラする。こころの安定がいとも簡単につき崩されてしまう。となれば「コツ」はコンピューターの操作技術や技法のレベルにとどまらず、かぎりなく哲学のほうに近づいてゆかざるをえまい。哲学、あるいは精神衛生術である。コンピューターと気楽につきあいつづけたいと願うならば、私たちはそれぞれのしかたで自分用の精神衛生術を身につけておく必要がある。私の場合であれば、以下の「まちがい主義」ともいうべき考え方がそれにあたる。
 --コンピューターはかならずまちがう。われわれ人間がいつもまちがっているように。コンピューターも人間もまちがいを重ねながら、そのたびにすこしずつ利口になってゆくしかないのだ。」

 これはよくわかりますね。私は最初のコンピュータを買って二年半なのですが、その間、何度自分のアホさ加減にあきれたことか(相変わらずアホだが)。それでもこうして毎日コンピュータに向かっているということは、とりあえずは、文字通り「向いている」としかいいようがないですね。

 そんなアホにも希望を与えてくれる文章。
 「長老たちのコンピューター」という文章から「水上勉のコンピューター」。

「水上さんがコンピューターというのはキャノン製のDTP専用機だった。おなじものを京都の仕事場のほかにも、成城学園の自宅、信州の山の中、若狭の一滴文庫に一セットずつ設置し、それらを電話回線でつないで、いつどこでも同一の条件で原稿が書けるようにしてあるのだとか。
 デスクトップ画面の「原稿」ファイルをひらくと、最近、水上さんが書いた小説や随筆原稿のありかをさししめすアイコンが整然とならんでいる。その一つをクリックすると、白い画面に書きかけの原稿が黒々したタテ書きで表示された。水上さんのような文壇の長老作家が、いま、こんなふうに一休さんや良寛さんについての文章を書いているなどと、いったいだれが想像するだろうか。
 機械で原稿を書くだけではない。自作の墨絵をスキャナーでとりこみ、モノクロ印刷したものに手彩色をくわえたり、中国人留学生の力を借りて仏典データベースをつくる構想を練ったり、いろいろたのしんでらっしゃるようす。七十歳をこえて二度の大病から生還した作家が、ひところフロッピーから遺稿が発見されて話題になった安部公房などよりも、はるかに本格的にコンピューターをつかいこなしているのである。」
 「新しいものへの旺盛な好奇心さえあれば、年齢の多寡に関係なく、人間の「基本的な」はこんなあたりにまでも楽にひろがってゆく。あとは手仕事をいとう気持があるかないか。水上さんは近ごろ、骨壷制作に凝っていると聞く。でも、骨壷だけではない。コンピューターにも凝っているのだ。骨壷づくりとコンピューター。どちらもまめな手仕事である点ではおなじ。」



 『本はどのように消えてゆくのか』津野海太郎・著 晶文社 1996 1900円 ISBN4-7949-6244-4
 『インターネットホームページデザイン インターネットエンジェルたちのためのWWW & HTML』吉村信・家永百合子・鎧聡・編著 翔泳社 1995 2400円 ISBN4-88135-242-3


|

« 19970113 土屋雅春 『医者の見た福澤諭吉』 | トップページ | 19970122 三田村鳶魚 『捕物の話 鳶魚江戸文庫1』 »

12 ポルケ?ブックレヴュー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 19970120 津野海太郎 『本はどのように消えてゆくのか』:

« 19970113 土屋雅春 『医者の見た福澤諭吉』 | トップページ | 19970122 三田村鳶魚 『捕物の話 鳶魚江戸文庫1』 »