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19970124 村上春樹 『レキシントンの幽霊』

村上春樹 『レキシントンの幽霊』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

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 1月18日、『レキシントンの幽霊村上春樹(文藝春秋)を読みました。

 昨年末読んだ、朝日新聞夕刊連載、作家池澤夏樹さんの文芸時評。「年末恒例のアンケートで「今年のベスト5」を選びながら、迷いつつ」入れたという、『レキシントンの幽霊』について書かれた文章。

「(前略)あまりにうまくできている。一応の読書体験を背景に持った上で初めて村上春樹を読む読者はこの伎倆に感動するだろう。表題作を例にとれば、語り手はボストンに近い町にある友人の家に留守番として泊まり込み、夜中に幽霊たちのざわめきを聞く。静かな感興がある。しかし、あからさまな「感動」への誘いはない。メッセージはない。あるのは滑らかな語りであり、淡い情緒であり、読む快楽である。いわば共犯意識の上にのみ成立する快楽。その意識を共有できる読書人の数を数十万まで増やした彼の功績は、日本の文学にとって、やはり大きい。
 全体を貫くのはひややかな喪失感、いわば寒帯に住むことの孤独。(中略)
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 その一方、この短編集を律する過剰な技術主義、職人的な磨き上げの姿勢に、いわば早すぎる老成を読み取って戸惑うことも事実なのだ。その一つはパターン化。穏やかな日常生活に怪物が乱入するという話を村上春樹は何度となく書いている。軽いホラーと言ってもいい。今回の「緑色の獣」や「氷男」は、かつての「TVピープル」や「ゾンビ」の姉妹であり、作者はそれに磨きをかけるべく努力している、という印象は否みがたい。
 また、基本的に同じ話を何度となく書き直して提出する姿勢を読者はどう受け取ればいいのか。(中略)
 村上春樹は(当人にとってはどうでもいいことだろうけれど)今や日本に数少ない大作家の一人である。短編を磨きに磨く名人になるのは早すぎる。読者はむしろ果敢な失敗作を期待しているのではないか。(後略)」

 私は村上春樹の本が好きです。
 以前も書いたかも知れませんが、二十代の大半と三十代の前半、村上氏の精神的影響下にありました。ひねくれ者の私が、なにゆえにこの大メジャー作家にひかれるのでしょうか。
 「いわば寒帯に住むことの孤独」。やはり優れた作家である(らしい。読んだことない)池澤さんの言葉はさすがにプロと思わせるものです。
 私ならそれを、「禁欲主義の果ての快楽」と呼びますね。
 「温帯に住むことの退屈」に飽いた人々の「快楽主義の果てのストイシズム」。
 「寒帯に住むことの孤独」に誰もが耐えられるなら、「数少ない大作家」が山ほど現われることでしょうが。
 実は池澤さんの意に反して、「果敢な失敗作」をもはや誰も期待していないと、村上さんは感じているのかな、と思ったりもしました。



 『レキシントンの幽霊』 村上春樹 文藝春秋1996 1200円 ISBN4-16-316630-0


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