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19970317 岡田節人・南伸坊 『生物学個人授業』

岡田節人・南伸坊 『生物学個人授業』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 3月7日、『生物学個人授業』(岡田節人南伸坊、新潮社)を読みました。

   *

 大阪は高槻市にある生命誌研究館館長で、関西弁つかいの先生、生物学者岡田節人(ときんど)さんと、元「ガロ」編集長で、「大学に行っていない才能」「理解の遅い才能」を買われた生徒、東京生まれのイラストライター南伸坊さんとの、「おもろい」生物学講義録。

 第1講「生命は絶えたことがない」。
 まず基本的な大前提から講義は始まります。

「この三つを覚えて下さい。ハイ。
 ・細胞(生物は細胞から成り立っている)
 ・DNA(その要素成分の組合せで遺伝情報を担う物質)
 ・細胞核(DNAはこの中で働いて遺伝する)」
 「「いいですか? それは、生命は絶えたことがない! ということや。」」
 「そうして、真核生物は核にDNAを閉じこめることで、様々な複雑なカラダを持つことが出来たこと。」

 第2講「ちょっと哲学よりに生物学」。
 「死」の話であります。

 「生殖細胞に死はあるか? 生殖細胞に死はありません。体細胞は死にます。殺されます。個体が殺されるときは生殖細胞も死にますよ。でも、普通は生殖細胞はつながっているんです。
 生物学は研究ですからね。<<死の研究>>するよりも、生き延びるためにDNAはどないなっとるんか? という研究のほうが面白いね。」

 第3講「癌の話」。
 南さんの素朴な感想。

 「細胞同士がくっつくというのは、どういう仕組みになっているのか、何故、心臓は心臓の細胞同士だけでくっついて、心臓になるのか? そのカラクリがわかれば、細胞同士のくっつき方の弱い転移するガン細胞を、一つ所に固定しておくことができる。一所にとどまっているガンなら、それは切除してしまえば、おしまいです。ガンが人を死に至らしめるのは、ガン細胞が、ガン細胞同士でしっかりくっついていないからだというわけでした。なんと、学問というのは、おそろしくスゲエもんじゃないですか。」

 第4講「倫理基準について考えた」。
 クローンに関してそこここで(PORQUE-MLでも)話題になってますが・・・。

 「入れ換えた遺伝子の変化が、生殖細胞に及ばないようにする。体細胞だけ換えるようにするんです。遺伝子を換えること、それが持って生まれた個性の変革を強いることは事実です。これが生殖細胞に及んだら、子供の個性を、さらには子々孫々の個性を、不可逆的に変更するということになります。が、これを体細胞だけにしておけば、変革された個性、子孫には伝わらないです。
 ならば親の病気を治したって、子供には、やっぱり同じ病気出るから同じや、という議論はあるでしょう。しかし、これはあくまで親だけ、親の体細胞だけ施せばええことで、根本まで変えてしまったら、優生学というやつで、これは危険な考え方です。
 体細胞だけ換えたらええんです。私らの体、ほとんどが体細胞ですからね。そういうやり方で遺伝子治療はやるわけです。皆さん、その区別がついとらんですから」

 対して、南さん。

 「遺伝子治療やバイオテクノロジーを、マッドサイエンスや悪魔の所業のように思うのは現代の倫理ではなくて、大昔の教義の流用なんじゃないのか? 昔の方から見るのじゃなく、未来から振り返ってみるような倫理というのを、模索する時かもしれませんね。
 科学の進歩とか、新技術の驚異というようなものに目をみはって、バラ色の未来を夢見る人もあれば、ありあわせの倫理基準で眉をひそめる人もある。ふつうの人は、その両方を自分は持っていて、それを出したり、ひっこめたりしてバランスをとってるつもりだけど、本当にそうかな?
 両方持っていればバランスがとれるというもんでもないですよね。空中に架けられたシーソーの両方へ、行ったりきたりしているのかもしれないBたとえば体細胞と生殖細胞のちがい、というようなことを知ること、というのが、明日にでもクローン人間とバーで会うんじゃないかと恐怖したり、遺伝子整形の医者を紹介しろとせっつくようでないスタンス、ということになるんでしょう。」

 それを受けて、岡田先生。

 「また、「体細胞と生殖細胞のちがい、というようなことを知ること(これが生物学という科学が教えている生きものの基本)が、・・・恐怖したり、・・・しろとせっつくようでないスタンスとなる」というくだりは、学問の持つ真の意義を語ってつきない深みのあるものです。私の語りの基本の要点をずばりと把握していただいて感激です。科学をこんなふうに捉えていただくこと、それは羅列された事項を暗記する行為と全く異なり、はるかに本質的に科学に接近することになるのです。」

 というあたりで全体の四分の一です。きりがないからやめます。


 といいつつ、第13講「まとめ」から。
 南さん。

 「『幸福論』のアランという人は、教育についてこんなことを言っているそうだ。
 ◎私は遊戯の続きであるようなおもしろい授業をあまり信用していない。
 ◎ひとりでに興味のわくような、ということのいけない点は、人がそれに興味をいだくのに骨を折らぬということにあり、意志によってそれに興味をいだくことを学ばないことにある。
 前の意見に私は反対である。反対する理由は「遊戯」や「おもしろい」ということに対する洞察が浅すぎるからだ。「おもしろい」の反対語は「つまらない」であって「ためになる」「勉強になる」ではないということだ。
 後の意見には私は条件つきで賛成だ。興味をもつというのは楽しいことだと私は思う。そのことに骨を折るのも含めてだ。興味には段階がある。骨を折ることでおもしろくなることも「おもしろい」ことなのに、アランさんはそう言わない。この人は単に「おもしろい」とか「遊戯」ということばが嫌いなのである。」

 岡田先生。

 「あの豊かな生物自然を、これらの生きもののドラマを演じている役者たちと、全く遊離してしまってはなんとも、かえって貧しいものとなる、と私は考えています。遺伝子のお話も、美しい自然の物語に楽しく入り込めないものでしょうか。私のこの個人授業には、こういう私の気持ちをこめてみました。
 伸坊さんには、これを正しく消化して頂きました。深謝。」

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 『生物学個人授業』 岡田節人(1927- )・南伸坊(1947- ) 新潮社 1300円 1996

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