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19970410 立花隆 『ぼくはこんな本を読んできた』

立花隆 『ぼくはこんな本を読んできた』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 4月9日、『ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論』(立花隆 文藝春秋)を読みました。

 立花さんといえば、今の日本で最も優れかつ最も有名なジャーナリストです。そんな立花さんの読書狂の一面を伝えるのがこの、『ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論』です。
 ゆっくり読書したいがために、勤務していた出版社を辞めてしまう。それでも数十年後に、その読書を題材にした本を、その辞めた出版社から出版する、できる、のですから、立花さんはすごい。
 印象に残った部分を例によって抜き書きしますと。

 「人間の精神、人格というのは、ある意味で、その人の過去の記憶の総体によって作られているともいえるわけです。「これが私だ」というものは、過去の記憶の総体、経験の総体であるわけです。そうすると、そういうオートマトン的な自分というものに満足している人の記憶とか意識の内面というのは、空洞化した中を日々の行為がただ流れすぎているだけで、その人の本質として残っていくものは、よくよく思い起こすと何もないという人間になってしまう。
 そういう意味で、人間の知的欲求というのは、その人間の本質部分をつくっていく、もっとも根本的なドライブ要因であるということがいえると思います。
 日本には、百歳以上生きる人がいまたくさんいるんですね。百歳の人の脳だけを調べた研究というのが、実はあるんです。百歳になったら、脳も相当機能が低下しているんじゃないかと思われるでしょう。でも、まったくそうじゃないんです。これは人によって、驚くほど違いがありまして、本当に健康な人の脳は、六十代の人の脳とほとんど変わらないんです。
 もちろん老化というのはありますよ。それほど年をとらなくても、われわれだって、物忘れが激しくなったり、人の名前が出てこなかったりということがありますよね。あれは実は、ごく小さな脳硬塞が脳の中で起こっているからなんです。MRIという最近の進歩した撮影装置を使うと、それがはっきりとわかる。しかし、脳というのは非常に複雑で精緻な構造になっていますから、小さな脳硬塞がいくら起きても、すぐにバイパスが通って機能が保全される。使っていれば使っているほど、そういうバイパスがちゃんとできるような仕組みになっているんです。筋肉や他の臓器に訪れる単純な老化とは、まったく性質が違うんです。ですから、適切に使っていけば、脳というのはとことん持つ。しかも、今日、これまでお話ししてきたように、オートマトンの自分に満足しないで、知的欲求を常に新しいものに振り向け続けている人間というのは、永遠に内面的に成長を遂げていくことができる。まさにそういう生き方こそが、本当の意味で、人間としてよりよく生きるということなのだろうと思います。」

 「知的好奇心のすすめ」から。

 単なるこわもておじさんではない証拠をあげると。

 「×月×日
 天才アラーキーこと荒木経惟は、私と同じ高校の同窓生である。日常さほど親しくしているわけではないが、いつも遠くからその仕事は見守ってきた。特に「噂の真相」に彼が連載している写真日記は欠かさず見ている。いつもは面白半分に目を走らせるだけなのだが、三年前、夫人の陽子さんが亡くなる前後を記録した写真日記にはまいった。見ているうちに読んでいるうちに涙がとめどもなく出てきておさえられなくなった。その写真は後に写真集『センチメンタルな旅、冬の旅』(新潮社 二七〇〇円)におさめられた。あれ以来荒木を当代随一の写真家と評価するようになった。そして、荒木をこれほどまでに惚れさせた陽子さんが生きているうちに一度でも会っておきたかったと思った。
 荒木陽子+経惟『東京日和』(筑摩書房 二八〇〇円)は、陽子さんが書き遺した文章に、荒木が沢山の写真と日記をそえてできた本だ。陽子さんの想い出が写真に文章にギッシリ詰まっている。こんなに深く愛せる女と出会えた荒木をうらやましく想った。」
 「×月×日
 谷川俊太郎の新しい詩集『世間知ラズ』(思潮社 一六〇〇円)が出た。
 冒頭の「父の死」は次のようにはじまる。
 "私の父は九十四歳四ヶ月で死んだ。/死ぬ前日に床屋へ行った。/その夜半寝床で腹の中のものをすっかり出した。/明け方付添いの人に呼ばれて行ってみると、入れ歯をはずした口を開け能面の翁そっくりの顔になってもう死んでいた。顔は冷たかったが手足はまだ暖かかった。/鼻からも口からも尻の穴からも何も出ず、拭く必要のないくらいきれいな体だった。"
 最後の「立ちすくむ」は次のように終る。
 "立ちすくむ/たぶんそれが今ぼくのいちばん正確な姿/印刷され走査され解説された無数の幻が散らばる/朝の台所の荒野で"
 久しぶりに詩を読むのもいいものだ。ましてそれが久しぶりの谷川俊太郎であればさらにいい。」

 「私の読書日記」から。

 それでも、いうべきことは、きちんと、はっきりという、立花さん。

 たとえば、朝日ジャーナルの創刊から休刊までの集大成『朝日ジャーナルの時代』(朝日新聞 三〇〇〇円)について書かれた文章。その雑誌上で多く仕事をした立花さんの作品が一本も入っていない経緯を書いているのですが、そうとう手厳しく、その雑誌の最後の編集長とそのアンソロジーの担当編集者をお叱りになってます。
 中途半端な切り抜き引用の許される内容ではなく、かといって全文引用するには長いので、ここではページ数だけ。213ページです。
 立ち読みするなり、借りて読むなり、買って読むなりしていただければと思います。

 いずれにしても、たとえば角栄さん関係だけでも、後世に残る仕事をされたのだろう(立花さんの本をあまり読んでいないので推量でしかいえない)と思うのですが、偉い大家になってしまって先生呼ばわりされることがないのは、いわゆる「文系」の領域だけに仕事を限定していないからではないか、とふと思いました。
 自然科学を勉強している人は、謙虚な方が多いような気がします。自然について、人間が何も知らないことをよく知っておられるからではないか、と田原は勝手に想像するわけです。自然科学の研究者の前では、大立花も生徒にならざるを得ない。研究者がそうである以上に、謙虚にならざるを得ない。だから一生懸命勉強する。

 でき上がってしまった「先生」より、貪欲なよき「生徒」であるべきことを教えられた一冊でした。


 『ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論』 立花隆(1940- ) 文藝春秋1995

 立花さんのご紹介:
 『センチメンタルな旅、冬の旅』 荒木経惟 新潮社
 『東京日和』 荒木陽子+経惟 筑摩書房
 『世間知ラズ』 谷川俊太郎 思潮社
 『朝日ジャーナルの時代』 朝日新聞


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コメント

はじめまして!こんにちは!
内容がとても興味深かったので、トラックバックさせていただきますm(__)m

投稿: 涼微 | 2007.01.24 16:40

> 涼微 さん
 トラックバック&コメント、ありがとうございます。
 こちらからもトラックバックさせていただきます。
 どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: 田原@BB | 2007.01.25 09:11

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