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19970702 青柳正規 『トリマルキオの響宴』

青柳正規 『トリマルキオの響宴』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 6月20日、青柳正規トリマルキオの饗宴―逸楽と飽食のローマ文化』(中公新書)を読みました。

   * [トリマルキオの饗宴―逸楽と飽食のローマ文化] 青柳正規

 フェデリコ・フェリーニの映画で有名な『サテュリコン』は、あのローマ皇帝ネロの背徳の指南番ともいわれたペトロニウス(?-0066)が書いたとされる古代風刺小説です。『サテュリコン』はその大半が散逸したのですが、ほぼその原形をとどめて今に伝わっているのが、この「トリマルキオの響宴」と題された場面です。解放奴隷で成り上がりの大富豪トリマルキオの贅を尽くした響宴の一夜(それは毎夜続くのですが)を描き古来有名な箇所を、綿密に(重箱の隅を突つくかのように)考証したのが、この青柳さんの本。
 青柳さんの説によれば、ペトロニウスは大胆にも自分の仕えるときの権力者ネロを、自分より年少とはいえ、「トルマルキオ」のなかでからかい半分に批判しているそうです。やがて、ペトロニウスの前任者セネカ(この人は「背徳」ではなく「道徳」の指南番でネロの善政時代の功労者であったのですが)同様、皇帝の命により自死をさせられます。

 私の出会った「サテュリコン」本を紹介します。

 ジョン・レノン『ビートルズ革命』(片岡義男訳 草思社)126P「講演旅行は『サティリコン』だった」から。

 「ジョン ビートルズの公演旅行は、フェデリコ・フェリーニの映画『サティリコン』みたいでした。イメージとしてはそうであっても、実際はまたべつですけれど。私たちの公演旅行にいっしょについてくるのを許された人は、私たちの仲間になれた人だとみなされていました。とにかく、『サティリコン』でした。
 -- 名前はあげなくてもいいですから、その状況だけ説明してみてください。
 ジョン ええ・・・オーストラリアでもどこでも、とにかく、『サティリコン』なのです。『サティリコン』のなかに四人のミュージシャンがいるのを想像してもらえばいいのです。」

 「ローリングストーン」誌Jann Wenner氏によるインタヴューがおこなわれたのが1970年12月。
 『サテリコン』(Fellini-Satyricon)の封切はその前年の1969年。
 『フェリーニ、映画を語る』(筑摩書房)で、フェリーニが語る自作『サテリコン』。

 「だがこの断片の件は本当に私を魅了した。何世紀もの間に積った塵が、もう止まってしまった心臓の鼓動をまだ保存している、という考えに私は心を打たれた。マンツィアーナのペンションで病後の静養につとめていた時、そこの小さな図書室でペトロニウスを偶然に見つけ、大きな感動を得ることになった。大理石の柱、彫像の頭部、目の欠けた顔、鼻の欠けた顔、アッピア街道の墓場のような光景、あるいは考古学美術館の陳列品などが次々に頭に浮かんだ、大部分は捨てられ忘れ去られた、夢とも思えるようなものを内部に秘めた、散り散りの断片や切れ端。歴史資料で学問的に再建でき、実証的に受け入れられる歴史的な時代には興味がなかった。闇の中に沈んだ、巨大な夢幻の宇宙。その断片は揺れ動いてきらめき、私たちのところまで漂ってくる。この夢を、その謎に満ちた透明性、解読できない明晰さを、再構築する機会に私は魅せられたと思う。夢の中でもちょうど同じことが起きる。夢は私たちに密着した内容を持ち、それによって私たち自身が表現される。だが昼の光の下では、夢の内容を理解できる唯一の認識関係は、知的で、概念的性格のものでしかない。だから夢は私たちの意識には、移ろいやすく、分りにくく、関係のないものに映る。私は自分で勝手に決めてしまった。古代世界は存在しなかった。私たちがただ夢を見て作り出したに違いないと。私の努力は夢と空想との境界を取り払い、すべてを作り出し、次いでこの空想的作業を客観化し、身を引き離して、未踏査の未知のものとして探究することに注がれるはずだった。」

 20世紀末の極東アジアに生きるわれわれにも、そんな古代ローマの物語を読む機会が与えられているのは、ありがたいことです。青柳さんも参考にしたという岩波文庫『サテュリコン 古代ローマの諷刺小説』(ペトロニウス・国原吉之助訳 1991)は大きな本屋さんなら簡単に手に入ることでしょう。
 『サテュリコン 古代ローマの諷刺小説』巻末、国原さんの解題から。
 「しかしペトロニウスはなぜこのような卑賎な悪漢の話を上流階級の教養人の集まりであるネロやそのサロンのために書く気になったのか。
 ネロは夜になると変装し、友人らと町の中に潜入し、店の商品をかっさらい、通りがかりの男女に暴行を加え、あるいはおしのびで劇場に現れ観客どうしの乱闘をそそのかして喜び、あるいはマルス公園での大響宴には淫売婦を集めて奉仕をさせていた。のみならずネロは男女両性を凌辱し恬然として恥じなかった。このようにネロや若い貴族たちは、ときおり人生の倦怠感(taedia vitae)を発散させるために無軌道に走っていた。
 それでも現実にはしばしば暴走を掣肘されていたに違いないネロを、空想裡にもっと大胆に遊ばせてやろうと、ペトロニウスは主人公エンコルピオスをつくりあげたのではあるまいか。つまりエンコルピオスはペトロニウスの分身というよりもむしろ若きネロのモデルと考えられないだろうか。そうだとすれば、主人公自身がしばしば戯画され諷刺されていても不思議はないであろう。」

  『トリマルキオの響宴』から、印象に残った部分を抜き書きします。

 「パンとサーカス」について書かれた箇所(29P)。

 「そのような問題があったとはいえ、ネロの治政前半は文字どおり平和と繁栄の時代だった。都の住民は市民権をもつ限り、どのように貧しくとも最低限の食糧が皇帝によって保障されていた。最低限の生活を保障されていたので、市民の最大の関心事は、いかに生きるかというよりもいかに楽しむかであった。したがって、歴代の権力者たちは娯楽施設の整備に余念がなかった。公共浴場、劇場、円形闘技場、そして競馬場が着々と建設整備され、ほとんど毎日のようになんらかの催し物が開催されていた。最低限の食糧給付と催し物の提供、つまり「パンとサーカス」こそが皇帝の都における義務であり政策であった。」

 平和と繁栄の日本にフリーター(すでに「市民権」を得ている!)と残飯が増え、常時臨戦体制の隣国で深刻な「飢餓」が進行し続ける。

 「選挙運動としての剣闘士競技」(144P)。

 「街の有力者たちは選挙運動のために、あるいは重要ポストに就任できたことを記念して剣闘士の見世物を開催した。これらの場合の経費は有力者が私費で負担するのが原則だった。しかし就任記念の場合は一部を公費で負担することもある。エキオンが得意げに話す見世物は祭りのときに開催されるとあるので、純粋な寄付行為をよそおった有力者の人気取りと推測できる。
 見世物を開催する主催者は、さまざまな趣向をこらす必要があった。人気が高いだけに住民の目もこえていたからである。目玉となる剣闘士にだれを呼ぶか、剣闘士どうしの組合せをどうするか、アトラクションに何を準備するか、といったことを入念に企画しなければならなかった。
 (中略)
 どちらかが臆病だったり逃げまわったりすると、あるいはおなざりの闘いしかしないとき、観衆は「殺せ、鞭で打て、突け」と声を合わせて叱咤激励した。また一方が深い傷を受けると「勝負あった」と歓声をあげるのが習慣だった。もちろんどちらかが死ぬまで闘うことが義務づけられていたので、闘いのなかで致命傷をうけ命を落とすこともあった。しかし多くの場合、勝敗の行方が明らかになると劣勢にあった剣闘士は武器を捨てて砂場のうえに横たわり、左手で降伏の合図を出した。もちろん命乞いの印でもある。
 かれを放免するか否か、生殺与奪の権は主催者にあった。このとき、主催者はすぐに決定をくださず、観衆の反応を見極めた。観衆を満足させるだけの激しい闘いをくり広げたか、それともおざなりの印象を与えてしまったかという点である。もし十分な満足を観衆に与えたのであれば、布切れを振ったり指を空に向けたりして放免の合図をおくった。そうでなければ、親指を下に向けて殺すことを命じた。砂場のまん中でとどめの一突きをやらせるだろうという言葉は、剣闘士たちがちょっとでも手抜きをすれば主催者は容赦しないだろうという意味である。」

 接待型選挙運動の「伝統」は、二千年後の遠く離れた極東の地で、綿々と生き続けております。
 生き死に関わらない、ブラウン管の向こうの「キッチンスタジアム」での闘い。ちょっと野蛮さが薄れただけで、見世物の本質は変わらないのでは。

 「ローマの奴隷」(155P)。

 「四〇〇人以上と推定されるトリマルキオの奴隷は、トリマルキオとその家族の生活だけでなく、社会的、経済的、宗教的活動を円滑に行うために所有されている都市奴隷であったと思われる。この都市奴隷は、財産管理人や十人組頭のような上級の専門奴隷と、門番や伝令のような専門奴隷の下でさまざまな雑用に従事する下級の一般奴隷とからなっていた。
 (中略)
 ローマ帝国の総人口を五〇〇〇万から六〇〇〇万とするなら、八〇〇万人から一〇〇〇万の奴隷がいたことになる。この膨大な数の奴隷を長期にわたってどのように維持したのかはローマの奴隷制を考えるうえで避けて通れない問題であるにもかかわらず、十分に解明されていない。(中略)
 あるモデルによれば、一〇〇〇万人程度の奴隷を長期にわたって維持するには四〇万人前後の奴隷を毎年補充する必要があるという。一〇万人をこす奴隷を獲得できるような征服戦争がしばしばあった紀元前一世紀までとは大きく異なる帝政時代、戦争などの暴力行為による奴隷の新規調達はおそらく以前の一割にも満たなかった。ようやく実現されたローマの平和は、奴隷の補充にも平和的手段しか行使できない状況を生んだのである。
 その平和的手段の中核をなすものが二つあった。一つは、奴隷と奴隷の間に生まれる子供たち、つまりは奴隷自身による自己再生産という手段である。もう一つは、ローマ社会に広く普及していた嬰児遺棄という習慣を前提とする手段である。」

 最近の金融スキャンダルを見るにつけ、実は私は「闇の世界」のために働く奴隷の一種ではないかと、ついつい思ってしまいます。
 この二千間で変わったことといえば、「奴隷」さんたちが自分は「奴隷」であるとそれほど意識しないでも働けるようになったことでしょうか。そんなシニカルな目でわが家の「自己再生産」の産物を見ると不憫でなりませんが、「飢餓」隣国で生まれなかっただけ、彼女も幸せかもしれません(小市民的発言)。
 日本の少子化は、「奴隷」制維持に対する「奴隷」たちの、ささやかな反抗かも。その結果、こないだの戦争でやったように「労働力」を「新規調達」するような侵略戦争(隣国の飢餓の一因でもある)が起きないことを祈ります。

 「プラグマティスト、トリマルキオ」(162P)。

 「その日の修辞論争は、敵対する貧乏人と金持についてであった。極貧の身から大富豪に成り上がったトリマルキオであるから、興味ある話題であると同時に一家言もっていた。おそらくトリマルキオは経験にもとづく論をくり広げたのであろう。その結論としての「もしそれが事実なら論争する余地はない。もし事実でないのなら論争は無意味だ」というトリマルキオの言葉は秀逸である。なぜなら、いま話題としていることが事実であるなら論争する余地のないのは当然のことであり、事実でなければ空理空論、馬鹿げているという意味にとれるからである。つまり、事実でなくとも論争に意味がなければならないとトリマルキオは断言しているのである。このことこそ、修辞論争の命題を設定するときのもっとも重要な条件だったのである。そのことを修辞学の訓練を受けていないトリマルキオが喝破したのである。経験でつちかった慧眼が、学問の脆弱さを射抜いたのである。」

 バブリーな響宴の主催者自身は、それほどバブリーでもなかったという話。

 最後に現代の「響宴」の場を見事に描写したフェリーニさんの言葉。『フェリーニ、映画を語る』から。

 「『サテリコン』はアメリカン・スクエア・ガーデンでロック・コンサートの後に試写された。若者が一万人ぐらいいただろう。マリファナやヘロインの臭いが煙にのって鼻先まで漂って来た。あの信じられないようなヒッピーの一群が、途方もないオートバイや、電球のついたけばけばしい色の自動車でやって来る様は、素晴しいみものだった。雪が降っていて、マンハッタンの高層ビル群は窓一杯に灯をつけ、輝く氷の壁のようだった。
 映画は熱狂的にむかえられた。一シーンごとに若者たちは拍手をした。多くは眠りこみ、愛しあっているものたちもいた。完全な混乱状態の中で映画は仮借なく進んでいったが、巨大なスクリーン上では、会場で起きていることがそのまま映し出されているような気がした。予想もできなかった不思議なことなのだが、その最もありえないような環境に『サテリコン』は最も自然な居場所を見つけたようだった。記憶の中の古代ローマと、未来人のような観客との間に、かくもひそやかな合意と、決して絶えることのない微妙な関係があることが不意に明らかになって、映画は自分が作ったものとは思えなくなった。」

 「文明」とは何だろうか。
 改めて考えてみたくなりました。


 『トリマルキオの響宴 逸楽と飽食のローマ文化』 青柳正規(1944-  ) 中公新書1352 1997
 #帯での表記は「サチュリコン」、青柳さん自身の文中では「サテュリコン」

 『ビートルズ革命』 ジョン・レノン 片岡義男訳 草思社 1972
 #「サティリコン」
 『Lennon Remembers -- The Rolling Stone Interviews』 Jann Wenner 1971
 #「Satyricon」

 『フェリーニ、映画を語る』 フェデリコ・フェリーニ ジョヴァンニ・グラッツィーニ 竹山博英訳 筑摩書房
 #「サテリコン」

 『サテュリコン 古代ローマの諷刺小説』 ペトロニウス 国原吉之助訳 岩波文庫 1991


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