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19970722 小林信彦 『現代<死語>ノート』

小林信彦 『現代<死語>ノート』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 7月4日、『現代<死語>ノート』(小林信彦、岩波新書)を読みました。

   * [現代「死語」ノート] 小林信彦

 カバーには「(前略)時代の姿をもっともよく映し出すのは、誰もが口にし、やがて消えて行った流行語である。<もはや戦後ではない>とされた一九五六年から二十年にわたるキイワードを紹介する、同時代観察エッセー。あなたはいくつ覚えて(知って)いますか。」と書いてあります。

 巻末「つけくわえておきたいこと」から、作者のこの本を書くにあたってのスタンスを表明する部分。

 「この本は、<死語による現代史(または裏現代史)>が作れるのではないかという発想からスタートした。核にはぼくの体験した現代史があり、流行語はそこから出てくるアブクのようなものという考えである。
 一九五〇年代には流行語は映画や小説から出ていた。やがて週刊誌が発生源になり、テレビ、CMという風に移りかわる。CMは文字通りコマーシャリズムのものだから、初めから流行語にするのを狙ってくる。結果として、CMのコピーを週刊誌が誇大に受けとめて、一般人の間では少しも流行していないものを<流行語>として認知する風潮が生まれた。
 ここでは、そういった<人工的流行語>はなるべく排除するようにした。」

 続いて小林さんの時代感。

 「書いていて痛感したのは、時代がどんどん悪くなっていることである。
 敗戦後、いちおうは<文化国家>を標榜した国が、高度経済成長(これは関係者さえ行き過ぎだったと反省した)とともに経済発展のみに狂った。
 東京オリンピックをきっかけとする国土の荒廃は、田中角栄の列島改造論後、さらにひどくなる。土建業関係の政治家の支配、官僚の底知れぬ腐敗が、田中内閣から旧経世会による専横へと約二十五年つづくのである。この本はロッキード事件で終っているが、時代の悪化は明らかである。」

 <死語による現代史(または裏現代史)>を書くという試みは、新書という制限された分量のなかで書かれているにしては、ある程度成功しているように思います。語り口は絶妙で、一気に読ませます。
 「時代の悪化」に関しては、どうなのでしょうか。1879年に生まれ1959年に死んだ永井荷風さん、東京生まれでその周辺の社会風俗を描くのに巧みである点で小林さんと共通するかと思いますが、も生涯を通して自分の生きている時代への嫌悪を口にしています。
 「隣の芝生」ならぬ「昔の芝生」ではないか、と思ったりもします。(もちろん今がバラ色の時代であるとは、申しませんが)

 私の生まれた1958年の死語は、<イカす><いやな感じ><シビれる><なべ底不況><黄色いダイヤ><一億総評論家時代><阪僑><ハイティーン><ながら族><私は貝になりたい><ミッチー・ブーム>等。
 時代としては、

 「この年は日本での映画観客動員数がピークに達したことで記憶される。
 一方、テレビの受像機は百万台を突破した。産業として成立するかどうかうたがわれていたテレビは、発足いらい五年間で発展のめどがついた。」
 「<ミッチー・ブーム>に貢献したのはテレビであるが、東京タワーが完成したのが十二月二十三日で、電波の状態がよくなった。
 つけ加えれば、十二月一日に一万円札が登場している。」


 『現代<死語>ノート』 小林信彦(1932-  ) 岩波新書 1997

#実は小林さんは、十代の終りから二十代のなかばにかけて、私のアイドルでした。
#最初に出会った中原弓彦名義の『定本 日本の喜劇人』(晶文社 1977)の印象は強烈で、何度も読み返しました。
#なぜ小林さんを読まなくなったのか。その仮説は次回に。



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