19970725 塩野七生 『サイレント・マイノリティ』
塩野七生 『サイレント・マイノリティ』
「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より
7月22日、『サイレント・マイノリティ』(塩野七生
、新潮文庫)を読みました。
カバー裏のコピー。「みずからのおかれた状況を冷静に把握し、果たすべき役割を完璧に遂行する。しかも皮相で浅薄な価値観に捉われることなく、すべてを醒めた眼で、相対的に見ることができる人間--それが行動的ペシミスト。「声なき少数派」である彼らの代表として、大声でまかりとおっている「多数派」の「正義」を排し、その真髄と美学を、イタリア・フィレンツェで綴ったメッセージが本書である。」
上の「行動的ペシミスト」の条件をことごとく満たすことなく、かといって「多数派」にも回り切れない、わたしのような小人物は、ただただ感服・平伏して拝聴するばかりの内容。ときどき無性にしたくなってしまう、被虐読書の典型。これだけ気持ちよく痛めつけられては、快感のあまり、次の一冊に手も伸びようというもの。
といいつつ、1992年から年一巻ずつ刊行中と聞く、『ローマ人の物語』は、未読。快感の先送り?
あの中野翠さんが文庫本巻末解説。(ちなみに、あの中野さんですら「"解説"などつけるのは、しかもこの私が"解説"などつけるのは、せっかくの面白い話を「ようするに」の一言でひきずり落とし、小さくまとめるようなもので、とんでもない「野暮」「僭越」というものだ。遠慮したい。」(283p)と書いているのです。塩野さんの「力」が、質量とも、無類であることの証明ではありますまいか)
その解説でも触れられていた「自由な精神」(162p)という文章が、一番心に残りました。
第二次世界大戦前後の時代を生きた出版人レオ・ロンガネージは、「ファシズムが天下を謳歌していた時代は反ファシストとして敵視され、戦争が終って民主主義の時代を迎えるや、保守反動と非難された」のだそうです。
塩野さんは、その周囲の評判反転の理由を書くでもなく、文章につけられた表題「自由な精神」のなんたるかを説くでもありません。ただ、ロンガネージの遺した日記体の一冊から、いくつかの文章を抜粋して紹介しています。
その、さらなる抜粋。
「一九三八年一二月一五日ファシストに追われナポリにひそむロンガネージ。
ファンファーレ、旗の波、延々と続く行進。
一人の馬鹿は、一人の馬鹿である。二人の馬鹿は、二人の馬鹿である。一万人の馬鹿は、"歴史的な力"である。
(中略)
(一九四〇年)五月二七日
すべての革命は、街頭からはじまり、食卓に終る。
一九四一年一月一〇日
イギリス人はこの戦争に勝つだろう。なぜなら、彼らは、戦争以外のことならばすべてできるからだ。ドイツ人は、この戦争に負けるだろう。なぜなら、彼らは、戦争だけしかできないからである。
(中略)
同年一一月六日
ムッソリーニのリトリア訪問の記事を載せるについて、政府からの伝達が各新聞に伝えられた。それによると、すべての関連記事には必らず、次の一文をつけ加えなければならないというわけだ。
"総統は、玄関に通ずる階段を、若さあふれる大胆な足どりで登られた"
(後略)」
「(前略)一九四四年、ローマも"解放"された。
(一九四四年)二月八日
われわれ国内亡命者たちのよく行くレストランの給仕に、一人の五十年配のアメリカ人の少佐が、女を紹介してくれと頼んだという。条件は、若い女でなく三十ぐらいの歳がよく、静かでまじめな性格で結婚の経験があること、ましてや未亡人ならば、それにこしたことはないというものだった。このアメリカの少佐によれば、これらの条件をだしたのは、良心の呵責を感じないですむためという。五十年配のアメリカ人は、さらにつけ加えた。
「家庭の平和を、それが誰のものといえども、乱したくないのだ」
ヴィンツェンツオという名の給仕は、もちろんのこと、この上等な客の希望を満足させようと努めた。そして数日後、格好な女を一人探し出したのだ。服装のセンスが良く、すらりと美しく、まじめで上品な、しかも未亡人だった。少佐は、この未亡人宅に、ほとんど毎日のように、数々の贈物を持って訪れるようになった。しかし、未亡人は、週に一回はこの少佐を、墓地へ伴うのを忘れなかった。黒ずくめの服をまとった若い未亡人は、夫の墓の前にひざまずき、花を捧げ、静かにすすり泣くのである。アメリカ人の少佐はそのそばで、謙虚な姿勢を崩さず、ともに祈るのだっった。
ヴィンツェンツオは、われわれにだけはそっと告げる。
「ほんとうを言うと、彼女は未亡人でもないし、墓も、見知らぬ人の墓なんですよ。だけど、どうだって言うんです。誰にしたって、生きていかなくちゃならないんだから」
(中略)
同年八月七日
ファシスト党の首脳たちの下品さと不正直さは、青春をファシズムの崩壊を待つことで費消し、ために復讐の念に燃えている老いた教授のモラリズムにとって代わられた。ただし、この人たちは、ファシズムが崩壊した今、彼らの生きがいであったものも同時に失われてしまったことに、つまり、ファシスト党は、これらの消耗した反ファシストたちの、無害であった反ファシズム運動を正当化できた唯一の党であったことに、気づいていないようである。
(中略)
同年八月一九日
「あなたは、民主主義者ですか?」
「かつてはそうでした」
「将来、そうなりそうですか?」
「願わくば、なりたくありません」
「なぜ?」
「ファシズム下に、もう一度もどらねばならないからです。独裁政権の下でなら、ようやく、民主主義を信ずることが可能なような気がするので」
同年一〇月九日
思想や主義が、わたしを恐怖におとし入れるのではない。恐怖におとし入れるのは、これらの思想や主義を代表する、「顔」なのである。」
『サイレント・マイノリティ』 塩野七生(1937- ) 新潮文庫 1993
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* [サイレント・マイノリティ] 塩野七生
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