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19970819 藤沢周平 『用心棒日月抄』

藤沢周平 『用心棒日月抄』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 8月17日、『用心棒日月抄』(藤沢周平 新潮文庫)を読みました。

   * [用心棒日月抄] 藤沢周平

 この本が世に出てまもないころ(1980年前後)、私は雑誌「ニューヨーカー」に収録された、都会的で小粋とされる短編集を集中的に読んでいました(日本語訳されたものですが)。アーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」がやはり特に印象に残っています。
 訳は圧倒的に常盤新平さんのものが多かったので、そのまま常盤さんのエッセイを読むようになり、そこで初めて『用心棒日月抄』という書名を目にしたように記憶しています。

 時代小説=ジジくさい、という類型的な考え方にとらわれていたのでしょう、いくら常盤さんのお気に入りでも、食指が伸びないまま十数年がたちました。
 こちらもすっかりおじさんになり、塩辛うに系の食べ物がおいしく感じられる今日このごろ、この名高い時代小説を初めて堪能しました。

 この本なら、英訳されて「ニューヨーカー」に載ったとしても、なんの違和感もないでしょう。

 人物描写もストーリーもおいしいのですが、特に印象に残ったのが、ところどころに現われるストーリーには直接関係のない、情景・風景描写の素晴しさ。
 主人公又八郎が江戸の町を歩いているのが、われわれが今の時代に自分の町を歩いているのと同じ感覚で伝わってきます。

 文庫の200Pから300Pから、抽出しますと。

 「駕籠を帰したので、おせちの用が終ると、三人は歩いて広大な大養寺の境内を出た、戌の刻(午後八時)近いと思われる町は、人通りもなく、家いえの灯もまばらだった。だがその町の上に、あかるい月の光が照りわたっていて、歩きわずらうようなことはなかった。夜気は幾分冷えている。神谷町から増上寺北の切通しに出る道は、ゆっくりした下り坂になっている。三人は坂下まできた。」(219P)
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 「千住街道に出て、浅草御門を入り、両国橋をわたる。きらきらと日を照り返している大川の水の上を、船がせわしなく行き来している。橋を渡る人ごみにまじって歩いていると、肩のあたりが熱くなるほどの日射しだったが、光はまぎれもなく秋のもので、汗ばむことはなかった。空も川波も青く、時おり橋の下から吹き上げてくる風は、ひやりとした冷たさを含んでいる。」(259P)
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 「橋ぎわの道からやや低くさがっている枯草の間にうずくまっていると、足もとから冷えがのぼってきて身体を包んだ。又八郎は膝の上で手を握り、時どきその手を押し揉んだ。町の灯が、堅川の水面にほのかな光を投げかけ、その反射光の中に、三ツ目橋がおぼろに浮き上がっているほかは、闇だった。」(273P)
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 「冬近い日暮れの空を映した川は、間もなく北に遠ざかり、水辺を埋める枯れ葦の原も遠のいた。道は、だだっ広い畑の中を、まがりくねってすすみ、ところどころに木立に囲まれた村落や、雑木林が点在するだけになった。その広い野のむこうに、青黒い稜線をきわ立たせているのは、相模の大山という山だった。又八郎は、そのことを渡し船の中で、人が話す声で知ったのである。」
(300P)

 これほど喚起力の強い文章もないでしょう。
 さりげない風景の記憶の積み重ねが、生きていることの証ではないかと思ったりするのは、しっかりジジくさくなりつつある証拠でしょう。

 さあ、利尻行って、うに食うぞお!!


 『用心棒日月抄』 藤沢周平 新潮文庫1984 新潮社1978

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