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19970906 山本昌代 『エルンストの月』

   * [三世 桂三木助] 山本昌代

山本昌代 『エルンストの月』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 9月05日、『エルンストの月』(山本昌代 NOVA出版)を読みました。
 山本昌代って、誰? という問いには、映画にもなった『居酒屋ゆうれい』の原作者と答えるのが、一番手っ取り早いでしょう。といいつつ、私は、その小説も読んでいないし、映画も見ていないのですが。
 その彼女の初めてのエッセイ集です。

 私が山本さんの存在を知ったのは1991年に、その当時ずっと購読していた女性雑誌「CREA」中の文章を読んででした。『エルンストの月』巻末の「初出一覧」によれば、「CREA」10月号に「シンプル」というエッセイをよせています。
 その号は、バブル末期に発刊されたと思うのですが、きたるべきバブル崩壊の日々を見据えた内容になっていたようです。

 その「シンプル」の一部。
 ちなみにこの文章を書いた当時、三十を過ぎたばかりの独身女性、の山本さんのヘアスタイルは「丸刈り」です。今は知りません。

「(前略)
 毎年十二月になると、ポリエステルの綿入れジャンパーを買いに、ジーンズショップへ出かける。
 大体いつも同じ型。その年によって違う色を選ぶ。
 ひと冬、同じ一枚を着続ける。
 洗うのは洗濯機を使うが、干してある間、ふるえている。寒いので。
 春が来て、梅が咲く。その年はじめての紅梅に出会った日、裏地の端にはさみを入れて、少しずつ綿を抜いていく。
 陽気が戻ったり、雨が降ったりするうち、ジャンパーは中身を減らして平たくなっていく。
 綿を全部失くしたところで、裏地を切りとる。
 毎年、四月頃である。
 薄っぺらになって、洗濯も楽。
 桜の季節を楽しんだ後、今度は袖を切り落とす。ジャンパーは襟付きチョッキになる。
 よく雑誌で目にする、バードウォッチャーのような恰好で、元気よく散歩に出る。
 五月の終わりから六月のはじめになって、縁のあったその服と、さよならする。
 真冬から初夏まで、着替えが要らないわけである。
 必要に迫られて、何となく思いついた方法であるけれど、自分では大層気に入っている。
 フェザーと違い、ポリエステルの綿は肩に重いから、それに服地自体も、安物のせいだろう、かなり量感があるので、季節の移りかわりにつれ、だんだん身軽になっていくのが、とても快い。
 早目に綿を抜き過ぎたり、気温が急に変化したり、年によって勘の鈍りや冴えもまちまちである。
 洗いざらしで、くたびれた感じで、少し汚れが目について、清潔、という上着の好みに、はじめのうちはやや気に入らなくても、別れの頃には、不思議と合っていく。
 大切な一枚になっていく。
 シンプルであることを選ぶのは、たとえば、日光東照宮より東山銀閣をよしとする、そういった美意識とはまた別の話だと思う。
 装飾的(デコラティブ)なシンプリシティというものも、立派に存在する。
 姿勢の問題よ、と考える。」
 以前阪急神戸線の車窓に見える風景の美しさを書いたことがありましたが、同じようなことを、私より巧みに、書いていてくれました。
 1987年の「六甲」という文章。
 ちなみに山本さんは横浜出身の人。
谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のをんな』の中に、六甲おろしの描写が出てくる。
 冷えこんだ。厳しい風だそうである。
 どんなものであろう、と想像しているうちに吹かれてみたくなり、六甲へ出かけた。
 大阪から神戸に行く時は(その逆も)、大抵阪急線を使う。東でいうなら東急東横線といった趣きの落ち着いた電車であるが、窓から見る風景を考えれば、どうしても阪急に軍配が上がる。
 六甲の山裾から海に向けて、歪みもないゆるやかな傾斜がひろがっている。天然の地形かと疑われるほど、美しく整った眺めである。
 生活水準の極めて高いらしい人の住む家々の塀から零れた緑が、尚更景色を豊かに彩り、窓ガラスが閉っていても、思わず深呼吸がしたくなる。
 一度桜の季節に乗ったことがある。確かに陽気が急に緩んで、花が一斉にほころんだのだ。電車の中の人たちが声をあげていた。」
 今回、久々に山本昌代さんの本を読んでみようと思ったのは、愛知県一宮市在住の岩井さん、もちろん「ポルケ」同人、から、杉浦日向子の『百日紅(さるすべり)』を読んでいるというメールをいただいたのが、きっかけでした。

 葛飾北斎とその娘お栄を主役にすえたその漫画は、傑作です。
 「是非!」本です。

 やはり、その二人を主役にすえた山本昌代の『応為担担録』という小説があるよと、岩井さんに私信したら、こちらのほうが、なにかしらむずむずと山本さんの本が読みたくなったのでした。

 「応為」は「おーい」、北斎が、出戻りで同じ屋根の下に住み画業の手伝いをさせている我が娘に呼びかけるその声を、そのままその娘の画号にしたものだそうです。
 ときには、北斎の代筆までしたらしいそのお栄さんの、北斎死して後の消息は、知れないとか。

 そんな親子を描いた『応為担担録』を書いたのは、津田塾大学在学中の「女子大生」山本さん。
 杉浦さんのデビューも二十そこそこではなかったでしょうか。
 本当の才能にはかないません。

 それはともかく。
 最後に「北斎の一筆画譜」という文章を。

「絵を描く人なら誰でも持っている基本姿勢を、セザンヌがたいへん簡潔な言葉で表現している。良い絵画を創る上で最も大切なこと、それは自然、個性的創造、芸術の法則、この三つの結合であると。
 そして三番目の芸術の法則について、彼は幾何学的構成説を唱えた。自然は球体、円錐体、円筒体としてとらえられなければならない、という考え方である。
 セザンヌは一八三九年の生まれであるから、彼よりも少し早い時期に、北斎がこれと似た意見を述べている。規矩方円(きくほうえん)説として今日知られているのがそれで、絵画の対象はすべて円と四角で把握できるというものである。
 規とはブンマワシ、つまりコンパス。矩はサシガネ、曲り尺のことである。この二つを使いこなせれば、細密画も十分に描けると、北斎は主張している。そして実際にどのようにその技術を駆使して作画をするか、その指導書を出版している。
(中略)
 茶を好まず酒を呑まず、美食を喜ばず、服装には無頓着で、道楽といえば引っ越しくらいだった。一日に数回越したこともある。
 画料は高かったが、金の袋の中身を確かめずに御用聞きに渡してしまうので、いつも貧乏だった。
(中略)
 版画にしても肉筆にしても、北斎の描く動物たちは(稀には植物も)眼光鋭く、威嚇的な性質のものが多い。彼の性格をあらわすようにである。ところがこの画譜に描かれた生きものは、人も含めて、たいへんに穏やかで平和な様子である。
(中略)
 いつまで眺めても飽きることのない、デッサン力の怖さのようなものを見せてくれる一冊である。」
 そう、「デッサン力の怖さのようなものを見せてくれる一冊」でした。

 『エルンストの月』 山本昌代(1960- ) NOVA出版1995 
 『百日紅』 杉浦日向子(1958- ) 実業之日本社
 『応為担担録』 山本昌代 河出書房新社文庫1990 河出書房新社1984

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コメント

2005/10/07 アップしました。 谷崎潤一郎さんは「東京から関西に移民した人」と捉えていいんだろうか?

投稿: 田原@BB | 2005.10.08 08:04

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