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19970918 阿満利麿 『柳宗悦 美の菩薩』

阿満利麿 『柳宗悦 美の菩薩』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 9月13日、『柳宗悦 美の菩薩』(阿満利麿 リブロポート)を読みました。

 「民芸」という言葉は、今や日本語として定着していますが、古い言葉でも誰が作ったとも知れぬ言葉でもありません。(かといって、「お宝鑑定団」が営業用に製造したものでもありません)

柳宗悦は、こうした無名の職人や工人の手になる雑器類、日常生活用品に新しい美を見い出すなかで、「民芸」という言葉をつくる。「民芸」とは、すでに幾度もことわりなしに使っているが、あらためていえば、民衆的工芸の略なのである。水尾比呂志氏の考証によれば、民芸という言葉が誕生したのは、一九二五年(大正十四)年暮れのことであった。そして、「民芸」の二文字を手にしたところから、柳宗悦の芸術論は急展開をとげる。」(『柳宗悦』92P)
という言葉だそうです。

 その柳宗悦の見い出した「美」の数々を体感できるのが、日本民藝館です。吹田市民だったころは、市内にある万博公園の大阪日本民藝館によく通ったものです。
 東京は駒場に本館とでもいうべき日本民藝館があるわけですが、そのホームページを制作・管理・運営なさっているのが、東京大学人工物工学研究センターのO武M保子さんです。
 URL : http://www.mingeikan.or.jp/
 そのページ内にあるネットワーク民芸友の会に私も参加している(といっても、O武さんから同報送信される民芸館の新着情報を読むだけ)のですが、『柳宗悦』読書のついでに、友の会あてに住所変更のメールを出し、末尾に「今、阿満利麿さんの『柳宗悦』読んでいます。」 と書き添えました。

 翌日、O武さんからレスが届きました。
 「「思想・歴史」の「柳宗悦の生涯」を作成する際に参考にした本」とのこと。

 これだけでは、わかる人にしかわからない文章ですが、さらにその翌日、鳥取在住のMさんから「解読」メールをいただきました。
 やはり『柳宗悦』中に登場した地名「鳥取県気高郡青谷村」に関して、どんなところなんでしょうねえ、という私の私信に対するレスです。
 Mさんのお友達の情報として、
>柳宗悦の生涯
>http://www.mingeikan.or.jp/
>鳥取県青谷町のホームページ(公式のページではなさそう)
>http://www.daisen-net.or.jp/tottori/aoya/
と書かれているではありませんか!
 もちろん、「「思想・歴史」の「柳宗悦の生涯」」は、Mさん経由の「柳宗悦の生涯」です。

例のごとく引用を。

「柳宗悦が、自ら民芸と名づけた一群の品々は、柳によるとほぼつぎの五つの特徴をそなえているとされる。一つは無銘の品であること、二つは作家ではなく職人の作であること、三つは実用品であること、四つは大量生産の品であること、五つは美しさをとりわけ狙ってつくられたものではないこと。
 柳によると、これらの特徴をそなえた民芸品は、ほとんどいつも、例外なく美しい。美しいばかりか、名のある作家の手になるどの作品よりも美しい。たとえば、本阿弥光悦の手ひねりの茶碗はすばらしいが、朝鮮の雑器であった井戸茶碗に比べれば美の質がちがいすぎる。仁清の赤絵がどんなに歴史上有名であっても、古九谷の品々と比べることができるであろうか。柳宗悦は、このように反問しながら、無名の、特別に知識もなく、またわざわざ美しいものをつくろうと狙うこともない職人によって大量に制作される品々が、なぜ美しくなるのか、という疑問をいたいた。そしてそれは、浄土真宗の「凡夫成仏」の教えを知ることによって氷解したという。一体、「凡夫成仏」とはどういうことなのであろうか。」
(『柳宗悦』94P)

「専修念仏においては、凡夫は凡夫のままで、そのありのままの姿で阿弥陀仏によって救われていく、と教える。柳宗悦の心をとらえたのは、この凡夫のままで、あるいはありのままの姿で救われていくという点であった。それは、特別の知識や才能をもつわけではない職人の作品が、なぜか例外なく美しくなるという民芸の事実をよく説明してくれるのではないか。凡夫を職人という言葉におきかえ、救われるという言葉を美しくなる、と置きかえてみれば一目瞭然であろう。職人のつくるものはそのままで皆美しくなる!」(『柳宗悦』97P)

「つまり、職人の作業には、職人の意識的な努力とは別に長い伝統が関与している。もし、職人の意識的な努力を、仏教用語にならって自力とよぶならば、民芸品は、自力による作品というよりも他力がつくる品物という方がふさわしい、と柳宗悦は考える。もちろん、この時の他力とは伝統というのが正しいであろう。柳宗悦は、のちに、力弱いものが安全に世を渡ることができるのは伝統の力によるとくりかえしのべるが、妙好人という、凡夫成仏の証拠を目の当りにすることによって民芸品が美しくなる理由をさぐりあてることができたのである。それが、柳の妙好人への主な関心なのであった。」(『柳宗悦』107P)

 その「妙好人」の好例「因幡の源左」さんが住んでいたのが、「鳥取県気高郡青谷村」なのですが、その話はまた別の機会に。 Mさん経由で教えていただいた上のhttp://www.daisen-net.or.jp/tottori/aoya/ページ、いきなり源左さんの手をあわせるイラスト座像が登場して面白かったです。
 「ようこそ」。


『柳宗悦 美の菩薩』 阿満利麿(あま・としまろ 1939- ) リブロポート 1987

 柳宗悦(1889-1961)の著作で文庫化されているもの:
 『工芸文化』 岩波文庫 1985
 『南無阿弥陀仏』 岩波文庫 1986
『手仕事の日本』 岩波文庫 1985
『民藝四十年』 岩波文庫 1984
『柳宗悦妙好人論集』 寿岳文章編 岩波文庫 1991
『柳宗悦茶道論集』 熊倉功夫編 岩波文庫 1987
『柳宗悦随筆集』  水尾比呂志編 岩波文庫 1996
『柳宗悦民藝紀行』 水尾比呂志編 岩波文庫  1986
『新編美の法門』 水尾比呂志編 岩波文庫 1995
『蒐集物語』 中公文庫 1989

柳宗悦についての著作
『柳宗悦』 鶴見俊輔(1922- ) 平凡社 1976
『評伝-柳宗悦』 水尾比呂志 筑摩書房

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