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19970921 イーサン・ケイニン 『宮殿泥棒』

イーサン・ケイニン 『宮殿泥棒』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

   * [宮殿泥棒] イーサン・ケイニン 柴田元幸訳

 9月16日、『宮殿泥棒』(イーサン・ケイニン 柴田元幸訳 文芸春秋)を読みました。某メーリングリストで、「ポルケ」同人のT島さんが紹介されているのを見て以来、気になっていた一冊です。久々、翻訳小説にときを忘れました。
 「人格は宿命である」という、ヘラクレイトスさんの言葉があるんだそうです。

 その言葉を知る前の、個人的な話を少し。

  先月、私は実家のある北海道利尻島に里帰りしてまして、道でばったり、小・中学校時代の同級生に会いました。I田君という、見た目も実際も、たいへん誠実な人間です。僻村の学校でしたので、小・中の九年間、クラス替えなし、常に三十人足らずの同じ顔ぶれの同窓生の一人。
 今なにしてるだの、子供はいくつだ、というような話に当然なったわけですが、たまたまかばんの中にあった「TUVA - トゥバ」(私の第一作CD-ROM)を見せたところ、思い切り「ひろあきらしい、仕事してるなあ」と言われてしまい、驚きました。

 中学生時代から、私はこういう生活をすべく「宿命」づけられていたのか!
 私の「人格」は、中学生のときから、なんら進歩を遂げていないのか!

 そんなわけで、『宮殿泥棒』を読んで、「人格は宿命である」という言葉に出会い、妙に納得したのでした。

 訳者の柴田元幸さんによる「あとがき」が秀逸です(訳業も素晴しいですが)。
 それによりますと、作者のケイニンは1960年生まれ(私より年下だ!)スタンフォード大学で英文学、アイオワ大で創作を学び、ハーヴァード大で医学博士号を取得したという(むかつく)優等生さんで、現在も医師・作家両方の仕事を続けているのだとか。

 さらに柴田さんの言葉を借りますと、『宮殿泥棒』は、「あえて単純化すれば、優等生が、精神の量子飛躍をとげて枠の外に飛び出すか、あるいは飛び出しそこなうかをめぐって展開される物語である。」ということです。

 「優等生」という「人格」を「宿命」として背負った人々の、境界線上でのゆらぎがものすごくうまく描かれています。堪能します。また、すぐれた野球小説でもあります。

 例によって、引用を。

 スタンフォード=アイオワ=ハーヴァード的見地(なんのこっちゃ)からいえば、間違った引用の仕方でしょうが、なぜか印象に残った一節を。
 四篇収録された作品の三番目『傷心の街』(City of Broken Hearts)から。

 一応、その中編小説の筋書を書きますと。
 長年連れ添った妻アビーが、会社の上司のもとへと走ってしまい、その傷がいえないウィルソン(ボストン・レッドソックスのファン)のもとへ、西部の大学に通う息子のブレントがしばし里帰りをするも、「人格」の「宿命」的不一致で、うまくコミュニケーションがはかれない。それでも、息子なりの仕方で父を気づかうブレントの計らいで、レッドソックスの試合をみる球場で、ブレントが一人の中年の魅力的な女性を「ナンパ」し、ウィルソンとその女性マーガレットとのつきあいが始まります。

 「こんなふうに動揺するなんて、思ってもみなかった。自分のなかに、もはや自分ではコントロールできない部分があるような気がした。自分のなかに、もう一人の破滅的な自分がいて、新しい人生に乗り出す気になったとたんに、かつての思い出を持ち出してくる。もうずっと前から、彼が何をしようとアビーにとってはどうでもよくなっていたはずなのに、この期に及んでなお、彼女を裏切っている、と思ってしまうのだ。彼はパノスにもう一度電話をかけて薔薇の量を倍にした。その晩マーガレットとディナーで会う前に、マス・アベニューのバーでスコッチを二杯飲んで、川べりに散歩に出た。アビーのことが頭に浮かぶたびに州都を順番に暗唱したが、それも功を奏しないので、今度は四八六マイクロチップの組織構造を思い出してみた。こういうときには憂鬱な気分になるのも無理はないんだ、そう自分に言い聞かせたが、突然、歩道橋の下を抜けながら、これから会おうとしている女性のことがろくに思い出せないことに気がついた。どんな声をしているかも、どんな顔かも浮かんでこなかった。数分後、レストランに入ると、まずトイレに行って鏡で自分の顔を確かめた。いまの気持が顔に出ているのでは、と心配だったのた。それから、マーガレットもやはり同じように彼という人間を再検討しているのではないかと不安になってきた。けれども、テーブルに行くと彼女はすでに来ていて、立ち上がって彼にキスをした。彼は薔薇の花のことを思い出し、自分の不安には何の根拠もないのだと思った。ディナーが終わるころには、そもそも自分が何をそんなに恐れていたのかも思い出せなくなっていた。」

 あとは、本編を読んで下さい、ということで。 

 『宮殿泥棒』 イーサン・ケイニン 柴田元幸訳 文芸春秋 1997
 原書は「THE PALACE THIEF」 by ETHAN CANIN 1994

 本の名前にもなっている「宮殿泥棒」(THE PALACE THIEF)という言葉は、謎。
 「宮殿泥棒」が登場する話でもなし・・・。
 何か英語の特別な言い回しとか、諺のたぐいなのでしょうか?


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