« 19971027 小泉今日子 『パンダのan an』 | トップページ | 19971104 坪内祐三 『シブい本』 »

19971030 ジャンヌ・ハンソン 『中年を悟るとき』

ジャンヌ・ハンソン 『中年を悟るとき』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 10月30日、『中年を悟るとき』(ジャンヌ・ハンソン 伊丹十三・訳 南伸坊・画 飛鳥新社)を「読んでいます」。

 「伊丹十三」「南伸坊」の共同作業とくれば、大いに興味を抱かざるをえませんが、いかんせん題名が「中年を悟るとき」。若いあなたには手が出ないところでしょうが、私はついこないだ39歳の誕生日を迎えたばかり、資格所有者といってもよかろう。その本を、江別市情報図書館の書棚からそっと取り出し、貸し出しカウンターへと運んだのでした。

 私が「青少年」だったころの愛読書の一つに勝海舟の『氷川清話』があります。大学に入りたての頃、何かのアンケートに「愛読書・氷川清話」と書いた覚えがある。

 若き日の勝さんは貧乏で、勉強はしたいのだが本を買う金がない、そこであらゆるツテを使って、書店からまた金持ちの蔵書家から本を借りては、その内容を必死で書き写す。それが結局自分のためになったのだという。
 「適塾」での福沢さんらといい、紀州の熊楠さんといい、昔の勉強家はそんな勉強をしていたものらしい。

 「青少年」のころにそんな勉強をしないで終わった私は、不惑の年に近づいて、書写ならぬ「データ入力」の日々。うーむ。

 さて、『中年を悟るとき』は、巻末の「訳者あとがき」で伊丹さんが書いているように「速読術で読めば三分で読めてしまう」分量の本です。
 そこで「入力癖」田原は考えました。

 「引用なんて、セコイ! 全文入力してしまえ!」

 前置きが長くなりましたが、本日は、「巻頭言」と「訳者あとがき」を。
 本文は明日にでも。

 「巻頭言」

 「中年宣言
 中年になったからといって、
 なにも哀れな存在になったわけでも、
 申し訳ない存在になったわけでもない。
 若くないことを恥じる必要なんか毛頭ない。
 むしろ逆なんだ。

 われわれ中年は象よりも賢く、
 烏よりも狡猾であり、
 力強さにおいては狼を凌ぐのだ。
 われわれ中年は己を知っている。
 人生において何が大切であるかを弁えている。
 われわれ中年は世間の何たるかを知っている。
 人間の機微が分かっている。加うるに、
 自分の成し遂げようとする目標を持っている。

 同時に、己の限界を承知している。
 そして、何よりも、
 人生の楽しみ方を知っているのだ。
 もしあなたがこの本のページを繙き、
 時に「ウン、これは俺と全く同じだわい」などと
 呟いてニヤリと笑ったら、
 あなたは紛れもなく中年である、
 とお祝い申し上げよう。」

 「訳者あとがき」
 「原題は、
"You know you're grown up when...."
 すなわち「大人になったと感じるのはこんな時。たとえば・・・」とでも訳そうか。
 著者ジャンヌ・ハンソン氏については出版元に問い合わせたがデータをえられなかった。常識的には女性の名前であるが、例外的に男名前である可能性がないわけではない。
 この本を訳してみないかという話があったのはもう何年も前のことである。「こんな本誰が読むんですか。売れるわけないでしょう」と一年ばかり放置しているうちだんだん疚しくなり、ある夜、突然一念発起して訳し始めたら結構面白くて二日で訳してしまった。
 原著にはアメリカ人の漫画家の描いたイラストがついていたのだが、これがまことに俗臭芬々たるカルトウーンだったから「こんな絵では私の高雅な訳文が死んでしまう。誰か浮き世離れした人はいないかね。軽くてしかも深遠な。たとえば、ほらほら、ウン、そうだ、伸坊さんがいい。伸坊さんに頼もう」ということになったのだった。
 原稿は伸坊さんのところに二年間滞在し、飛鳥新社もほとんど諦めかけていたら、伸坊さんもやはり疚しくなったものか、ある日どさりとイラストが届けられて、めでたく出版の運びとなったのであった(それにしても流石伸坊さんだ。絵がついてみると、本書もまことに「深い」ように思えてきたのである)。
 ところで、これは翻訳ではない。原文を併記しておいたのでおわかりになると思うが、学問的な意味において、これは到底翻訳とはいいがたいのである。では翻訳でなければ一体これは何なのか。はっきりいうと、私が勝手に著者の意を体し「もし著者が日本語が書け、かつ日本の社会について知っており、かつ日本の読者のために書いたらこんなことになるのかナ」という、まあ、アレンジといいますか、言い換えといいますか、そんなもんなのであって、要するに、私は、語学的厳密さを捨てて(怪しからんことに)原著の「精神」を翻訳したのであった。
 この本をどのように楽しむかは読者の自由だが(速読術で読めば三分で読めてしまう)、トイレに置く、医者の待合い室に置く、ページを切り取って年賀状に使う、などの正統的な使い方のほかに、
(一)私家版を作る。
(二)それが高じてインターネット上に私家版のホームページを開設し、日本中の中年から投稿を募る。
(三)投稿が山のように集まる。
(四)それを飛鳥新社が本にしようとする。
(五)原稿が伸坊さんに回され、再びそこでいつまでも滞在する。などの展開も考えられる。
 それでは手始めに、以下、私の私家版を即席で捻り出しておこう。

 朝起きたとき、すでにして疲れている。

 残った歯を一生懸命磨く。

 ほどよく飲む、という境地にはいまだ到っていない。

 眼鏡は四つ持っていて、自宅と会社に二つずつ置いてある。

 今度買う車は、おそらく人生最後の車になるだろう。

 十年先にわが家を建てる計画なんぞ聞きたくもない。

 昔あんなに面白かった映画が、
 今見直してみるとちっとも面白くない。

 昔ちっとも面白くなかったあの映画が、
 今見てみると実に面白い(ただし、こんなことは実に希です)。

 「エート、ホラ、ホラ、あの俳優なんてったっけ」。
 映画の話の半分はこれだ。

 木や花の名前は結構知っている。

 クイズに漢字の問題が出ると、大いなる優越感を持って見る。

 子供がひどい目にあうニュースは駄目だ。
 すぐにチャンネルを変える。

 そろそろ蕎麦の打ち方でも習うか。

 「いい女」がいなくなったなあ。今の女は、あれはただの子供だ。

 「こんな社会間違ってる」と思っているうちに、
 その「こんな社会」を息子たちに残す側になってしまった。

 人生に正解はない。この世に絶対の正義も存在しない。

 年を取ったらいい顔になるはずだったんだが。

 楽しいうちに死にたい。

  一九九六年夏            伊丹十三」


 『中年を悟るとき』 ジャンヌ.ハンソン 伊丹十三・訳 南伸坊・画 飛鳥新社 1996/09/19

 南伸坊さんの絵の素晴しさ!
 これは実際本を見ていただくしかないですね。
 しかし、この本はどのジャンルの書棚に入れられるのか。
 ちなみに情報図書館では「雑著」でした。


|

« 19971027 小泉今日子 『パンダのan an』 | トップページ | 19971104 坪内祐三 『シブい本』 »

12 ポルケ?ブックレヴュー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/6458/6512676

この記事へのトラックバック一覧です: 19971030 ジャンヌ・ハンソン 『中年を悟るとき』:

« 19971027 小泉今日子 『パンダのan an』 | トップページ | 19971104 坪内祐三 『シブい本』 »