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19971104 坪内祐三 『シブい本』

坪内祐三 『シブい本』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

10月30日、『シブい本』(坪内祐三、文芸春秋)を読みました。

   * [シブい本] 坪内祐三

 1958年生まれの文筆家による表題通り「シブい本」たちへの書評集です。表題に反して文章は軽妙でわかりやすいのがありがたい本でした。
 カバーの装画は、あの「のらくろ」。妙に目につきます。

 一番最初に紹介される本が『のらくろひとりぼっち』(高見澤潤子、光文社NF文庫)。潤子さんといえば、他ならぬ「のらくろ」の作者田河水泡さんの妻で、あの小林秀雄さんの実妹であります。

 「田河水泡(高見澤路直)は若き日、ダダイストの芸術家グループ「マヴォ」の一員だった。中でも、もっとも過激な一人だった。逆さ吊りになってパフォーマンスをしている有名な写真も残されている。」(14P)。

 「入力癖」田原が、九月から延々打ち込みを続けている本があります。
 戸田達雄さんという方の『私の過去帖』という本です。北海道移転の際、「ポルケ」同人の岡本さんから紹介されたもので、こちらもまた表題通り戸田さんが、その生涯に出会った人々について、書き連ねたものです。
 萩原朔太郎竹久夢二をはじめ、有名な名前も登場するのですが、この戸田さんも「マヴォ」の一員だったのだそうです。

 巻頭の写真の中には、萩原朔太郎に贈ったというオブジェを囲む、「ダダイスト」二人、戸田達雄さんと田河水泡さんの写真もあります。
 前ページの「著者近影」、広告代理店オリオン社の創業者にして重役だった戸田さんの顔、とはうってかわって、「マヴォ」時代の写真は過激です。
 マッシュルーム・カット(これも古い言い方か)の、きのこの傘がいっそう広がった頭をして、着ている洋服も形容しがたいものです。(私はそれもこれも含めて、ベニテングダケルックと名付けました)

 岡本さんのお話では、戸田さんの葬儀には田河さんも列席されたそうです。
 「過去帖」ですから、当然、その本の中では、戸田さんは田河さんについて一章を割くということはしていません。

 「過去帖」の中で紹介される様々な生の中でも、特に過激に感じられたのが、「マヴォ」の発足当時からのメンバーだった尾形亀之助の末期です。
 「マヴォ」中心メンバーとの確執から、そこを離れ、無頼の生活で親の財産を食いつぶし、昭和十七年、四十三歳の若さで全身衰弱のまま一人息絶えるというものだったとか。

 戸田さんは、一時、その亀さんにくっついて歩き、いろいろおごってもらっていたらしいのですが、覚悟を決めつつあった亀さんに連れられての長野県への旅行の一節が印象的です。
 温泉につかり、出て酒を飲み、ピンポンをするを何日も続け、さすがに東京に帰りたくなったという戸田さんに、尾形さんは知人あてのハガキを何枚か何十枚か託します。
 そこには、
   ここらあたりは
   草山ばかり
   風に吹かれて
   のむばかり
           亀
と、だけ書かれていた、というのですが・・・。

 その詩(らしきもの)を見て、私はびっくりしてしまいました。
 昨年10月読んだ『気まぐれ美術館』(洲之内徹、新潮文庫)でその詩を目にしていたからです。

 そのときの「ポルケ同報」の一部を転載しますと。

「文庫巻末には、白洲正子さんの「「芸術新潮」昭和六十二年十二月号に寄せられた洲之内徹追悼文」が再録されています。
 その末尾。
「最後にいっておきたいのは、洲之内さんには、一六五回もつづいた「気まぐれ美術館」の連載のほかに、もう一つの「気まぐれ美術館」がある。何十年もかかって集めた絵のコレクションで、その一つ一つに彼の愛情と、人生の重みが秘められている。洲之内さんは生前まとめてどこかへ寄付することを考えており、そういう話を私は何度も聞かされた。(中略)洲之内さんと親しい人たちはそのコレクションが散佚することを恐れている。それが自然の人情というものだが、今となっては他人が口をはさむべきではないと私は思っている。よしそれが散佚したにせよ、洲之内さんが食べてしまって、消化しつくしたものならば、本人にとっては何の心残りもあるまい。心残りだと思うのは、自分の感情に溺れているからで、洲之内徹を知らぬ人の言である。彼が好きだった詩をあげておこう。

 ここらあたりは
 草山ばかり
 風に吹かれて
 飲むばかり」。」

  そんなわけで、尾形亀之助さんと洲之内徹さんのつながりを究明するのが当面の私の課題の一つになったのですが、『シブい本』にはその「気まぐれ美術館」に関する書評もあります。その一部。
 「例えば「蛇と鳩」という一文は次のように書き始められる。
 <この頃私は金を拾うということがなくなったが、昔はよく金を拾った。そういう時期があった。いま考えてみると、それは、私がいちばん金がなくて困っていた時期である。百円がまだおおかたお札の頃であった> 続いて実際に金を拾った経験が幾つか語られる。ある年の冬、炭が切れたけれど、買う金がない。近くの酒屋兼炭屋に炭を注文し、留守中に届くよう、時間つぶしに銀座で映画「悪の報酬」を見る。「それを一回半見て席を立ち、まだ映写中でひと気のない階段を地下から上ってくると、階段のまん中に、八つに折ってきれいに畳んだ千円札が落ちていた」。女子学生が後生大事に定期入れにしまっていた金かもしれない。「そう思うとちょっと切ないような気がした」けれど、その千円でライスカレーを食べ、残りの金で炭代を払った。その酒屋の前で百円札が四枚入った札入れを拾ったこともある。その札入れを彼は何年間か愛用した。画商になって少し金が出来たころ、五万円持って、故郷の松山にいる好きな女に会いに行く。その時、ガラ空きの列車の中で、フトした隙に札入れごとすられた。
 そんなことが語られて行く内に、いつしか絵の話に導かれ、そしてタイトルにある蛇と鳩が登場する。まるで手品を見ているようである。」
(39,40P)。

 『シブい本』の最後のほうで、また「過去帖」の人が登場するのですが、長くなりましたので、よしときます。

 索引がついていないのが、ちょっと困りものですが、「文科系の本」が好きな方には、おすすめの一冊であります。


 『シブい本』 坪内祐三 文芸春秋 1997/06/15

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