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19971113 松山巖 『うわさの遠近法』

松山巖 『うわさの遠近法』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 11月09日、『うわさの遠近法』(松山巖、講談社学術文庫)を読みました。

 「コレラ、ハレー彗星、千里眼、毒婦お伝・・・明治から昭和へ、激動の日本に生まれては消えた噂、デマ、迷信。人々の欲望や不安をのせて広まり、時には凄惨な事件までひき起こした様々な噂の驚くべき正体とは。情報機器が発達した今日においても依然として事実と噂の境目が曖昧な状況を踏まえて、噂を生み出す<時代の仕掛け>を問い直し、あざやかに近代日本を透視した庶民精神史。サントリー学芸賞受賞。」(カバー裏の文)

 「うわさを信じちゃいけないよッ」という歌い出しで始まる歌もありました。人間はうわさを信じがちであるという事実を歌ったものでしょう。
 どんな集団にも、光速より速い口コミネットワークが存在するようです。
 うわさがデマに変化したときの、それに捕えられた人間の行動にはこわいものがあります。
 一方、口コミが生むヒット商品みたいなものも、途切れることなく、現われるわけで、「うわさ」怖るべし、です。

 電子ネットワークにも「チェインメール」といううわさの形がありますよね。
 何カ月かまえ、複数箇所から、電子メールのテキストデータを開いただけでウィルスに感染するというメールをもらったことがありました。(長く電子メールを使用している人の話では、この手の「うわさ」は「忘れた頃にやってくる」天災みたいなもののようです)
 情報の出所は、真剣に追及していったなら確定できないに決まっているのですが、どこかのそれなりの権威・権力・名声を持った場所(に設定されている)。
 受け手に情報の増幅をせまるもので、たちが悪い。これほどたやすく拡大拡散のできるメディアもないし(しかも本当に光速だ)。

 やっかいなことに、本当にウィルスの被害にあう人(電子メールのテキストデータで、ではないと思いますが)が存在するわけで、その被害の大きさは、事情を知る人をビビらせるには十分。
 かくて、うわさの絶えることなし。
 人類は新しい形のうわさの生息場所を作りだしたとも言えそうです。

 『うわさの遠近法』「天譴(てんけん)、自警団、この際やっつけろ」という章から引用します。
 関東大震災のどさくさに「社会主義者」「朝鮮人」の逆襲があるのではとのうわさが流れたこと、そのうわさを意識的に(つまりはデマだという確信を持っていつつ)利用して、「この際やっつけて」しまった人たちがいたこと、が書かれています。
 このとき科学者の目で冷静に「朝鮮人の毒」などないことを説いたのが寺田寅彦さんであったのですが、その真摯な訴えも、うわさの暴風の前には効力がなかったに違いないのです。怖いです。
 今なら、われわれもそこから学ぶことができるでしょう(ホンマやな?)。

 「征服されるか、征服するかどちらかしかない。この二者択一しかできぬ判断が日本人を追いつめていたものであり、この論理に無理があることを知っていたからこそ朝鮮人の動きに、社会主義者の動きに恐怖をいだいた。この恐怖心こそ「この際! やっつけろ」という言葉を吐かせ、関東大震災の流言と残虐さへ走らせた震源であろう。
 しかも大事なことは、この意識が日常生活のなかで密やかに醸成されていったことだ。
 それは日本人の深部に流れる自然観ではない。急激に膨張した情報の洪水のなかで、見知らぬ顔が集まる都市文化のなかで、人は何事であれ瞬時に反応することを余儀なくされる。
 すべてのことが自分にとって意義あるか、ないか、二者択一をつねに迫られる。絶え間なく判断を要請される状況。絶えず自分の価値観を暴かれ、晒される世相。結局のところ判断停止にいたり、自己の周りに埋めがたい空白を作りだす。
 これこそ日本人が新しく得た「自然」、何事であり自ら然りとする意識であった。
 私たちは今日、この二者択一の判断を超える途を見出したであろうか。」


 『うわさの遠近法』 松山巖(1945- ) 講談社学術文庫1997
  原本は青土社1993

 :余談 「二者択一」の泥沼から逃れ出るためのツールに「想像力(創造力?)」があるかと思います。
 サッカーワールドカップアジア最終予選B組の日本の試合をすべてTV観戦してしまった田原ですが、よく日本選手にかけるとされる「イマジネーション」や「創造性」が、確かに欠けているのかなという試合が、予選中盤続きました。まあ、サッカーだけにしか、「創造性」を発揮できない民族がいるとしたら、それもちょっと困りものでしょうが。
 加茂さんの想像力は、フランスまで届かなかったようであります。それに影響される選手もちとヒヨワですが。

  隣国韓国に対する思いも、いまだに「二者択一」になる傾向の強い日本人ですが、五年後の「共同開催」が決定(天の配材かもしれません)し、「好き」「嫌い」、あるいは「勝つ」「負ける」の二者択一ではない友好関係が生まれるかもしれません。
 そのためにも是非、日本代表にフランスに行ってもらいたいものです。
 長年の韓国サッカーへの恐怖心から解放されるためにも。



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