19971207 レイチェル・カーソン 『センス・オブ・ワンダー』
レイチェル・カーソン 『センス・オブ・ワンダー』
「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より
12月02日、『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン
上遠恵子
訳 佑学社)を読みました。
折しも、温暖化防止京都会議が行われております。
地球環境の汚染・破壊の実態を、時代に先駆けて告発したレイチェルさんの本を、それにあわせて読んだわけではありません。
その本を、一宮市のI井さんから数ヵ月前薦められたこと、前々回紹介した『複雑系の知』の中でも「ポエット(詩人)の知」に満ちた書物として紹介されていたことが、読書の直接のきっかけでした。
レイチェルさんといえば、まだ地球環境という概念もなかったであろう時代に書かれた、『沈黙の春』が有名です。四年の執筆期間の後、1962年に書き上げたものとか。
その本は、以後、農薬の使用を制限する法律の制定を促すなど、大きな影響を持ち、売れ続け、現在にいたっています。
農薬の過剰散布によって鳥たちが死に、さえずりの聞こえない「沈黙の春」の恐怖を、それこそ「ポエットの知」で書いたものです。
私が『沈黙の春』を知ったのは1970年代のなかば、二十歳前後、「別冊宝島」の第1冊、『全都市カタログ』で紹介されているのを見てのことでした。
「全地球カタログ」(Whole Earth Catalogue)という米国での出版物、すでにエコの思想満載、に影響されての出版物で、遅れてきたヒッピー、同時にパンクロックにも傾倒していた(!)、の私が、穴のあくほど眺めていた本です。
『全都市カタログ』50ページの紹介文。
「「沈黙の春」
この本が書かれてから、もう一〇年が過ぎている。現実がどうなっているか、ということを描くことだけで警鐘になる時代は、いまやその頂点に達している」
今読んでみると、いささか意味不明の文章ですが、さっそく本屋さんで新潮文庫版の『沈黙の春』を手にいれた記憶があります。
レイチェルさんは、『沈黙の春』執筆中に不治の病におかされます。
1964年に56歳の生涯を閉じるまで、自身遺作となることを覚悟していたとおぼしき、『センス・オブ・ワンダー』に手を加えていたそうです。
死の翌年、友人たちの尽力によってそれが一冊の本になって出版されます。
例によって引用を。
「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。」(21P)
「人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごすゆかいで楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘さを感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさを同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン--夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ--のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。」(50P)
「深く思いをめぐらせる」にたる地球の美しさが、すでに失われつつあるとしたら・・・。
怖いです。
『センス・オブ・ワンダー』 レイチェル・カーソン 上遠恵子訳 佑学社1991
『沈黙の春』 レイチェル・カーソン 青樹 簗一 訳 新潮文庫カ‐4‐1 1992 ISBN 4-10-207401-5
『全都市カタログ 都市生活者のフォークロア』 別冊宝島1 JICC出版局 1976/04/01
自然の宝庫、それこそ「宝島」だったこの島国が、田舎ほどあぶない(町中には産業廃棄物処理場も原発も核廃棄物貯蔵庫もありませんから)「ゴミの島」になってしまいつつあるのを、象徴するかのような雑誌が「宝島」です。
おじさんはカナしいぞ。
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