19971225 荒木経惟 『天才になる!』
荒木経惟 『天才になる!』
「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より
12月22日、『天才になる!』(荒木経惟
講談社現代新書)を読みました。現代の日本を代表する写真家の初の自伝。
カバーには「「天才アラーキー」はいかにして生まれたか。破天荒な修業時代、超絶的写真論を語りつくす。」
伊丹十三
この同報でも10月30日に「No. 0154 ジャンヌ・ハンソン『中年を悟るとき』」として伊丹さんの訳業の紹介をしました。そのあとがきを今読み返してみました。
「今度買う車は、おそらく人生最後の車になるだろう。」あるいは。
「人生に正解はない。この世に絶対の正義も存在しない。」はたまた。
「年を取ったらいい顔になるはずだったんだが。」そのうえ。
「楽しいうちに死にたい。」
私も二十前後初めて出会ったエッセイスト伊丹さんの文章にはまったくちで、以後岸田秀
その死を知ったとき、あまりの唐突さに驚きはしましたが、なんとなく納得できる面もありました。なにかのきっかけで死んでしまおうと考えている人は少なくなく、そのきっかけで本当に死んでしまう人間は、常にある一定の割合でこの世に存在しているからです。酷薄な言い方ですが。
「天才アラーキー」はその点、決して自殺することはないでしょう。
その外見や行動に似ず、荒木さんはきわめて繊細な人間である、と私は常々思っているわけです。弱い人ではない。自分の仕事に、貪欲である。
性欲はあっても煩悩はない。
荒木さんの最愛の妻陽子さんが病気で亡くなったのが、1990年の冬。
私はそのニュースを、京都タワーの間近にある古い喫茶店で名物のカレーを食べながら読んだスポーツ新聞で知りました。
荒木さんは、その妻陽子さんの葬儀の間も陽子さんの写真を撮り続け、同年代のよきライバル篠山紀信さんとの私写真論争になったのでした。
伊丹さんはインテリの秀才でなんでもソツなくこなした人。
荒木さんは規格外の天才でひたすら生み出していく人。
伊丹さんの死は、その配偶者の生に大きな影を落とすであろうこと。
荒木さんの生は、その配偶者の死と生におおいに報いるものであること。
そんな気がします。
1940年生まれの荒木さんは、1990年に50歳。その歳で迎えた妻の死を「1回戦」の終わりと言い切って、以後ますます精力的に作品を発表し続けておられます。
これこそ妻陽子さんも本望というものでしょう。
さて「天才になる!」ですが、「電通修業時代」という章がおかしい。
天下の電通に「天才」ゆえに入社してしまうくだりから始まって、妻陽子さんとの社内恋愛のいきさつ、入社九年目の「肩タタキ」、等々。
電通社内で(社業とはなんの関係もない)「ゼロックス写真帖」を制作するあたりを引用しますと、
「(質問)ものすごい量ですね。一日何本ぐらい撮ったんですか。
どのくらいだったかな。たとえば顔ばっかり撮ってたときには、一日で二〇本から三〇本撮ってたんじゃない。だって、二八ミリつけて五〇センチとか、一〇〇ミリつけて一メートルとかで、顔に近づいたらばちゃーんって撮っていくわけだから。
(質問)だけどそれって、もしかして、電通のフィルムですか。
まあ、そうだね(笑)。全部そうだね。印画紙も。怒られたよね。一部屋自分の事務所っていうかオレの場所みたいなのを作って怒られた。電話も入れてくれっていったら、また怒られちゃって(笑)。もっとあとになって「ゼロックス写真帖」を作ってたときなんかは、会社が終わると、女の子たちがみんな、ゼロックスのコピーとったのを持ってきてくれるわけだよ。「はい、やりました」って。社内工場だな(笑)。」
竹中直人
「(質問)この写真集を電通で売れるだろうといって、陽子さんに五冊ぐらい持たせたという話は本当ですか。
彼女は持って行って売ってたよ。自分の新婚旅行の本を売るんだから、えらいっていうか、すごいね。自分が(被写体になって)ブツになると、客観視できるんじゃない。でも、それにしてもすごいよ。自分のファックシーンが写ってるんだぜ。
だからその当時の上司で、買って持ってる奴いるよ。「奥さんに買わされました。何だかよくわかんなかったけど、いま思うと名作ですね」って(笑)」
電通退社に関しては、
「仕事はしないし、「ゼロックス写真帖」は会社で作ってるし、一部屋もらっちゃって電話引いてくれとか言ったりしてたというのはあるけど、やっぱりスケベもののせいじゃないかな。
その頃「プレイボーイ」とか「平凡パンチ」とかで、必ず「あの電通の女陰カマラマン」って紹介される。オレが自分で「カマラマン」ってキャッチフレーズ作ったんだけどね(笑)。「あの電通の」って、必ず入るわけだ。やっぱり会社のイメージがあるから、「女陰カマラマン」がまずいんだよね。
それで、ある日上司に「相談がある」って呼ばれて、こういう事情で上で問題になってるって言われた。「どうする? もとの『さっちん』に戻るか?」って言うんだよ。「もとの『さっちん』」ていうのがおかしいよね。オレは子供の写真がうまいって言われてたけど、子どもの写真はニセ幸福論の広告にはピッタリなんだよ。寄せ集めのタレントが親子をやって、それもオレは幸せに撮れるんだから、こんな貴重な奴いないじゃない。カメラマンでいくか、カマラマンでいくかということなんだよ。
(中略)
でも、オレ、ついてたよね。九年目だったから、よし、よかったって、そのとき思った。向こうがそういうふうにしてくれたんだった。もし一〇年会社にいたらダメだった。オレはどこでも平気だから、どんな環境でもやっちゃうじゃない。その部長が偉かったよ。「おまえは辞めたほうが伸びる。こんなとこにいるんじゃない」っていうことを、暗に言ってくれたんだよ。」
最後に陽子さんについて、そして今後についての宣言。
「(質問)母親でもあり、パートナーでもあり、男でもあり、女でもあり。
そうそう。いいんですよ。少女で、娼婦だったなあ。
だから陽子が天才にしてくれた。そしていまもいろんな女たちがオレを天才にしてくれ続けてるの。いやあ、まだ終わりませんよ。「天才アラーキー」を超えますよ。いよいよ超天才だね(笑)。」
ピカソ
『天才になる!』 荒木経惟 講談社現代新書1371 1997/09/20
『ゼロックス写真帖』 荒木経惟写真全集13 平凡社 1996/12/20
:解説に『中年を悟るとき』で伊丹さんの文章にイラストを書いた南伸坊さん。その文章の題名が「過激にして愛敬あり」。言いえて妙。
伊丹さんの本に関してはまたいつか。
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