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19980223 村上春樹 『若い読者のための短編小説案内』

村上春樹 『若い読者のための短編小説案内』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

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 2月20日、『若い読者のための短編小説案内』(村上春樹 文藝春秋)を読みました。

 帯によれば、「短編小説って、書くのは大変だけど、読むのは面白い! 吉行淳之介安岡章太郎丸谷才一・・・、戦後の日本文学の短編を、定説の垢を落として、まったく新しい視点から村上春樹が読み解きます。」
 どうして、帯の文句って、いつもこう嘘っぽいんでしょう。


 読む前から、読んでいて、読み終わって、さまざまな疑問がわきました。

 「まずはじめに」によれば、想定された読者は十代後半から二十代前半の若者だそうです。
 ほかの村上春樹本同様、それなり以上の売り上げを記録したのでしょうが、その年代の村上春樹ファンあるいはいわゆる「純文学」ファンて、どれほどいるのでしょうか。
 どうも、私の年代の人間が、「もう若くはないが、村上本だから、買っておこう」と買ったのが、売り上げの大半と勝手に想像します。
 私も、ほかの誰かが書いた「純文学」案内本なんか、うっとおしくて手にもとらなかったことでしょう。

 また、純粋な「文学」の読者というのも、すでに希有な気もしますね。
 ネットサーファーの多くが、すでに自分のホームページを持って、見る側よりも作る側にたっているのと同様、自分で「文学」創造をしたい人が、「文学」読者の大半をしめているのではないかと、私なんかは思うわけです。
 村上さん自身が、実作者の立場で読み進めているのですから。

 そういう意味では、村上さんの勘違いででき上がった本といえそうです。
 村上春樹名義でなかったなら、売れることも、世にでることもなかったかもしれない。たとえば、『若い読者のための短編小説案内』佐藤某鈴木某田中某・作で、あなたはこの本を見てみようと思いますか。
 勘違いしてくれて、おじさんはうれしいですが。


 吉行淳之介、小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三、いわゆる戦後の「第三の新人」の短編から始まり、丸谷才一、長谷川四郎とくるわけですが、後ろの二人に関しての文章が良いです。

 丸谷さんと長谷川さんのことを書きたくて、村上さんはこの本を作ったのではないか、と私なんかは勝手に想像します。
 その筆力に押されて、丸谷さんと長谷川さんの本を読んでみたいという気になってしまっている私です。


 丸谷さんについて書かれた文章から引用します。 
「僕は庄野潤三の「静物」を論じたときに、私小説作家は贔屓(ひいき)筋の読者のために作品を書く部分があるというようなことを言いました。つまり私小説の作家は自分というものを説明する必要がないのだと。なぜなら贔屓筋はその作家がどのような暮らしをしていて、どのようなところに住んで、どのような持病を持っているかというようなことまで、ひとつの事実として承知しているわけです。そこでは作家という存在がいわばクロノロジカルな既成事実として、ミクロコスモス的に成立している。

 ところが丸谷才一は逆では、彼はまったくのゼロから始めます。ひとつ小説を書くごとに、算盤(そろばん)を全部払ってしまいます。だから毎回毎回、入念なメイキャップが必要になってきます。彼は作品によって在日朝鮮人の焼肉屋主人になったり、子供を亡くした老医師になったり、逃亡中の徴兵忌避の青年になったり、いまどきの若い女の子になったり、夫に別れ話を持ちかけられて混乱する若妻になったりします。まったく自分とは別のキャラクターに生まれ変わるわけです。

 僕はこのあいだイッセー尾形の「なりきり芸」の舞台を見てきたんですが、あれにちょっと似ていますね(笑)。あの人も舞台の上で、ぐっと意識を集中して、ひとつのパートごとにまったく別の人格になりきってしまうんです。顔つきから声まで変わってしまう。丸谷さんの作品にもそういうところがある。

 丸谷氏はもちろんそのために、自己内部でずいぶん入念な準備というか、内的な根回しをしていると思います。でもそれを今までは人前には見せてこなかった。当然のことですね。一流の作家というものは、本当に苦労したところを人にはあまり見せないものです。ほんとうに汗をかいたところでは、汗をかいたそぶりさえ見せないようにする。

 ところが丸谷才一は「樹影譚」の中で、あっさりとこの自分の手の内を晒してしまっているわけです。楽屋裏までわざわざ読者を連れ込んできている。それも自分にとって必要なだけのメイキャップの時間をとって、たっぷりとみんなに見せ、それどころか読者に辛抱までさせている。芸と言えば芸だけれど、非常に危険な芸ですね。tour de force (離れ業)と言ってもいいくらいです。」
(174P)


 長谷川さんについて書かれた文章から引用します。

 (長谷川四郎という作家・翻訳家・詩人の「非日常」体験、戦争とその後のシベリア抑留、がその人にとって消し難く強烈であったことを書いた後) 

「彼のそのようなジレンマの体験は、現在ここにいる、より若い我々=表現者にいくつかのことを教えてくれます。

 ひとつは、我々の多くは「非日常」を持たないわけだけれど、それはある意味では幸運なことであるかもしれない、ということです。我々は戦争も経験していません。平和という、いわば限りのない退屈の中で生きています。また我々の多くは--都会に住む多くの非とはということですが--もう「土着」(中上健次的な意味での土着です)さえ手にしてはいない。すべての事象は色彩を欠いて平板化し、平板じゃないものはややこしい意味の迷路の中であっという間に蜘蛛の巣にからめ取られ、現世的メディアによって滋養をあらかた吸い取られてしまう。あとにはかすかすの抜け殻しか残らない。「じゃあ俺たちはいったい何を書けばいいのだ」、というのが現在の文学にとってのひとつの大きな命題になっています。そこには目に見える切実な文学的テーマやサブジェクトは存在しないみたいです。

 しかしだからこそ、我々はそのような平凡な日常の表層の下から、自分の二本の手で平凡ならざる新鮮な「非日常」を掘り起こしていくことができるんじゃないかと、僕は思うのです。それはたしかに簡単なことではありません。でもそれこそが実はもっとも重要な達成ではないかと思うのです。そうすることによって、我々は少なくとも、長谷川四郎が戦後日本の退屈な「日常」の中で直面しなくてはいけなかったジレンマを回避することができるのではあるまいか。

 そのような「場」に、もし長谷川四郎を我々が最初から得ていたとしたら、彼はそれこそ非常に興味深いスタイリッシュな物語を、我々の前に差し出してくれていたのではないかと想像するのです。彼の感光紙が「非日常」の強すぎる光線に焼き尽くされてしまうこともなかったのではあるまいかと。これはもちろん、ひとつの強引な仮定に過ぎません。しかし僕は彼の小説を読むたびにいつもふと思うのです。満州と戦争とシベリアのない長谷川四郎は、ひょっとして今我々が目にしているものより、より巨大な長谷川四郎になれたのではないかと。

 僕が長谷川四郎の作品に惹かれる意味はたぶんそこにあるのだとうと思います。そして僕が長谷川四郎の作品から、正の方向にも負の方向にも、学ぶものもそこにあるのだろうと。」
(229P)


 例によって「誠実」な「あとがき」から。
 「僕はいつも思うのだけれど、本の読み方というのは、人の生き方と同じである。この世界にひとつとして同じ人の生き方はなく、ひとつとして同じ本の読み方はない。それはある意味では孤独な厳しい作業でもある--生きることも、読むことも。でもその違いを含めた上で、あるいはその違いを含めるがゆえに、ある場合に僕らは、まわりにいる人々のうちの何人かと、とても奥深く理解しあうことができる。気に入った本について、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは、人生のもっとも大きな喜びのひとつである。とりわけ若いときはそうだ。皆さんにもおそらくそういう経験があるのではないだろうか。

 もちろん文学にとって、的確な批判も大事なことである。しかし僕としては、気持ちの良い午後に、「そういえば、こんな素晴しい本をこのあいだ読んだんだよ」とか誰かに語りかけられることの、「そうだね、あれはほんとうに見事な小説だったね」と語り合えることの、単純で純粋な喜びの方をより大切にしたいと思う。僕自身、そういうものによって励まされ、ずっと小説を書き続けてきたのだから。

 喜びをわかちあうこと--それも僕がこの本を書いた理由のひとつである。もしあなたがここに取り上げられた短編小説のどれかに興味を持って、実際にそれを手にとっていただけたとしたら、更に言えば、もし読んで気に入っていただけたとしたら、それに勝る喜びはない。」
(241P)


 私も、この一連のメールを機に、あなたのお気に入りの一冊を増やすお手伝いができるとしたら、それに勝る喜びはありません。 (なーに言ってるんだか!)

『若い読者のための短編小説案内』 村上春樹 (1949- )
 文藝春秋 1997/10/10 ISBN4-16-353320-6

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