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19980302 穐吉敏子 『ジャズと生きる』

穐吉敏子 『ジャズと生きる』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 2月25日、『ジャズと生きる』(穐吉敏子 岩波新書)を読みました。

   *

 巻末の著者紹介から引用しますと。
 「穐吉(秋吉)敏子 1929年、中国東北部(旧満州)の遼陽に生まれる。46年、家族とともに大分県別府市に引揚げた後、ジャズ・ピアニストに。48年に単身上京し、ブルー・コーツ、シックス・レモンズ等を経てコージー・カルテットを結成。56年、米国のバークリー音楽院に留学。59年、卒業。同年、チャーリー・マリアーノと結婚、一女をもうける。のち離婚。69年、現夫君ルー・タバキンと再婚。72年、ニューヨークからロスアンゼルス近郊に移住。翌73年、アキヨシ-タバキン・ビッグバンド発足。82年、ニューヨークに戻り、翌83年、トシコ・アキヨシ・ジャズ・オーケストラを結成、今日に至る。82年、『ダウンビート』誌の国際批評家投票で作曲、編曲、ビッグバンド3部門で第1位。またグラミー賞候補に15回のぼっている。」


 なぜ、この本を読もうとしたか、について書かせていただきますと。

1. 私は、音楽が好きです
 特定の音楽ジャンルが好きということはなくて、どのジャンルであろうとそれが「よい音楽」である限り。(作家の村松友視さんの言葉「ジャンルに良し悪しなし。ジャンル内に良い悪いがあるだけだ」に深く影響を受けています)
 特に、1960年以前に生まれた人にはジャズに接する機会も多かったはずで、私もよくNHKFMのジャズの番組(二十年ほど前は毎週何時間ものジャズの番組が存在したのです)を聞いていました。

2. 秋吉満ちる好きだった
 秋吉満ちるさんは、穐吉敏子さんの「一女」。『ジャズと生きる』中にも、しばしば母親としての自分と音楽家としての自分のギャップに悩む穐吉さんが登場します。

 秋吉満ちるさんは、十数年前、日本で芸能活動をしていて、相米慎二監督の映画『光る女』に主演しました。プロレスラーの武藤敬司さんや安田成美さんが共演してました。
 当時から穐吉敏子さんの名前だけは知っていて、その娘さんという興味も多少あったかと思うのですが、まあ単純に満ちるさんが美人だからということで、その映画を見にいきました。

3. 小野彰さんのホームページに『ジャズと生きる』の書評発見

 「ポルケ」を配信させていただいている小野彰さんのホームページ「Higashi-Koshigaya Chronicle」(URL : http://www.onox.com/)に、『ジャズと生きる』を「必読書」と書いた書評を発見。1,2、あわせてのいろいろな思いと相まって「読まねば」と思いました。

 小野さんのページは、音楽ファン(特にクラシック)の方には、たいへん面白いものに違いありません。ご覧あれ!
#そして小野さんはムーンライダースファンでもある! うれしいっす。

4. ベース宅に『ジャズと生きる』本体を発見

 江別市に越してきてから、ずっとお世話になっているT橋K治さんもジャズファンです。北海道にあるJRの会社(ばればれですな)にお勤めのT橋さんは、私の高校の先輩でもあるのですが、なにより大のジャズファンで、ご自分でも職場のお仲間とバンドを組まれ、楽器は(もちろん、ニックネームのゆえんたる)ベースを担当されています。
 そのT橋家の本棚に『ジャズと生きる』を発見した私は、早速貸し出しをお願いしたのでした。


 まずは、小野さんの書評を紹介させていただきます。
 小野さん、転載許可ありがとうございます。

「穐吉敏子さんのこと

 穐吉敏子さんの名前を知ったのは大学生の時だから、今から約15年前になる。エキストラとして参加していた某大学のジャズ・オーケストラで彼女の曲("Studio J")を取り上げることになったのがきっかけ。さっそくアルバムを手に入れて聴いてみたのだけれど、それまでせいぜいカウント・ベイシーデューク・エリントンしか聴いたことがなかった自分の耳に、そのアレンジはやたら新鮮に響き、とにかくカッコ良かった。

 とりわけ、その当時の新譜だったアルバム"Farewell"や、先の"Studio J"を収録した"Insights"は、木管アンサンブルを効果的に用い、またホーンセクションのハイ・テクニックをベースとしたバッピッシュな曲想には眼も眩むよう。"After Mr. Teng"あたりで聴かせてくれるトシコさんのピアノソロもキマっていたけど、譜面に接する機会が多かったこともあって、彼女に対するイメージはまず「作・編曲者」だった。

 穐吉敏子さんが恐るべきキャリアを持っていることに薄々気付き始めたのは、もう少しジャズを聴くようになってから。それにしても、夫ルー・タバキンとのリハーサル・バンド録音以外にはレコーディングも少なく、ピアニストとしてのトシコさんの全貌は依然として掴みづらかった。

 そんな折りも折り、岩波新書から『ジャズと生きる』という、彼女の自伝が出版された(1996年10月21日第1刷)。息もつかずに読み切ってしまったが、とにかく必読書として推薦。日本人として、女性として、アメリカでの成功も挫折も淡々と語られる、その迫力。そして、並々ならぬ信念と自信。

 交友関係として登場する巨匠たち。バド・パウエルミンガスジョン・ルイス、評論家レナード・フェザーなどなど。若き渡辺貞夫も渡米前にカルテットを組んだ仲間として。

 とても久しぶりに"Farewell"を聴いてみたくなった。亡きミンガスに捧げられたこの曲での、ルー・タバキンのソロには、トシコさんへの暖かい愛情が感じられて、いつ聴いても涙が出そうになる。(1996.11.10)」


 なるほど、『ジャズと生きる』は面白い本でした。

 天分にも恵まれていたのでしょうが、音楽を、ピアノを、ジャズを愛する一人の女性が、その愛の深さと信念の強さで、自分の道を切り開いていく姿は、感動的です。

 特に私には、離婚後幼い子を連れて経済的に行き詰まり、ジャズを捨てる決心までするあたりから、良きパートナーのタバキン氏との出会いのあたりまでが、印象に残りました。

 と当時に、一人の人間の人生を変え、そこからフィードバックされる作品によって、多数の人間の人生に影響を及ぼす、音楽の素晴しさを感じないわけにはいきません。


 本文からの引用。

 その信念の強さをうかがわせる一文。

 「芸術は生き続ける
 昔、六六年から七二年まで、七年近くアップアップしていた時代にいろいろな本を読んだが、私の心の慰めになったのは、全部、権力(パワー)と芸術家との対立を書いたものだった。ダ・ヴィンチのような天才も、自国からは受け入れられなくて、晩年はフランス貴族に保護を受けていた。(母親の出身がどうのこうの、また、傍からの政治的な告げ口や何からしい。今も昔も変わらないようだ。)千利休と秀吉との対立など、特に私は興味をもった。自由を大切にし、他から押付られることを好まない芸術家と、服従を期待、また押付けることを好む権力者とは勢い対立するが、結局、一時的には権力者が勝つ。しかし、切腹させられた利休にしろ、遠島になった世阿弥にしろ、彼らの芸術は何百年たった今も、多くの人々を通じて生きているし、将来も地球に人類が存在する限り、その芸術は生き生きと人の心の糧になり続けるに相違ない。(いつか見たテレビドラマの中で心に残った会話。"I am sure you can win over them with your charm." "No, they don't want my charm. They want my obedance"--)
 少なくとも私は切腹させられることもなく、遠島に近い思いをさせられながらも、私も支援して下さる人たちに支えられて、自己のものを創り続けることができている。幸福といわざるを得ない。」
(165P)

 それでもやはり、母としての反省も・・・。

 「いま考えるに、私は娘にとって必要な、暖かみのこもった愛情を彼女に与えることができず、私と娘の間には普通の親子にない溝ができていたのだと思う。娘を三年以上も、私とは正反対な性格の姉の許へやったこと、私の母親から受けた教育の影響、そして私自身、仕事を持っていることなど、いろいろな要素が作用してできたこの溝は、娘が大人になるまで取れなかった。「芸術はわがままで嫉妬心が強く、欲張りである」と誰かが言ったが、子どもも芸術も、共に一〇〇パーセントの関心、献身的な愛情を必要とする。何ごとかを成しとげる人間は一人でいなければならない、ともいうが、凡人の私は家庭を持って、家事・育児・仕事と自分を分けたため、それぞれが曖昧なものとなってしまった。しかし、その犠牲になって一番損害を受けたのは娘だろう。家事と自分の仕事は、やり直しが利く、育児はやり直しが利かない。」(198P)


 そんなこんなで、3月1日、江別市情報図書館から、「TOSHIKO AKIYOSHI-LEW TABACKIN BIG BAND『Insights』のCD盤を借りてきました。

 70年代、ジャズ音楽は行き詰まっていたはずで、この日本からの音楽者は、その行き詰まりを打開する、大きな才能であったことがよくわかりました。

 さて。
 「ジャンルに良し悪しなし」と思えるのは、裏返していえば、どの音楽もそれなり聞きこんだ果ての言葉で、新しい音楽との出会いが少なくなってしまったことの証明でもあります。

 がしかし、この日、私は久しぶりに「新しい音楽」と出会いました。

  がしかし、FMのジャズ音楽を聞いていたころ、穐吉敏子さんの音楽を耳にしていないはずはないのです。
 やっと「耳に入る」ようになってきたのでしょうか。

 穐吉敏子さんの音楽家として、また人間としての成熟が作り出したのがこの「よい音楽」だとするならば、私もまた「聞き手」として多少は成熟してきたのかもしれません。


 CDジャケットの油井正一さんによる、「1976年9月記」のライナーノーツから引用します。

 「「以前の私は "ジャズとは何か?" ときかれて、わりと明快に答えることができたように思います。ところが今はなかなかその答が出せなくなってきました。どんなに手の込んだ音楽をつくっても、ジャズ・フィーリングを失いたくないという気持に駆られるのです。ジャズ・フィーリングとは何か? 単に黒人の伝統ではないか、という気もするけれど、その一線から踏み出してはいけないとつくづく感じるようになったのです。 "秋吉の音楽はちっとも新しくない" といわれようとも、それだけは守ってゆくつもりです。」

 彼女はその決心をかためるに至った動機を語った。

 「去年、ある女性が今までになかった色のマリーゴールド(一年生キク科の花)の栽培に成功し、2万5千ドルの賞金をもらってニュースになりました。成功するまでに15年もかかったんだそうです。TVでアナウンサーがインターヴィユして "2万5千ドルの賞金お目出度う。何にお使いになりますか" などとかなり無神経な質問をしていましたが、彼女答えていわく、 "お金をいただいて嬉しくないことはないが、何年もの苦労が実を結んだことが何よりも嬉しい" と前置きして、その苦心を語りました。それによると、新しい色をつくることは既に何回か成功していたんだそうです。ところがつくったら、新しい色にはなったけど、マリーゴールドではなく、他の品種の花になっていた。彼女はマリーゴールドという品種において、今までに無かった花の発色に、たいへんな苦労を重ねて、ついに成功したというのでした。」

 このTVインタヴィユは、ようやく固まりかけていたトシコの信念に決定的な影響を与えたようだ。

 「新しいことをやるのは、やらないよりいいような気がするけれど、やって他のものになるんだったら、あまりむずかしくないような気がするんです。むずかしくないっていったらやっていらっしゃる方に失礼になるけれど。すくなくとも私はそんなことやりたくないという気持なんです」と彼女は結んだ。」


『ジャズと生きる』 穐吉敏子 (1929- )
 岩波新書 1996/10/21
 ISBN4-00-430467-9



 ポルケ同報「ジャズと生きる」配信。

 大阪は吹田市の等々力政彦さんからメール。
 ただいま制作中の「TARBAGAN」のCDジャケットの曲目リストのため。

 東京都の関谷雄輔さんからフロッピー。
 BooxBox「THE BOOK OF TEA-茶の本」の「天心・その時」と「年譜」の修正版。

 そして夜。
 先月15日、「TARBAGAN」の札幌芸術の森でのレコーディングにエンジニアとして参加下さった長町朋行さん@手稲区が、本職のバイオリン制作で、NHKローカルのTVに登場するのを拝見。
 いやあ、長町さんだ(当たり前か)。
 NHKももっと長時間紹介してくれりゃいいのに。

 で、チャンネルをUHBに変えると、今度はもう一人の「TARBAGAN」、嵯峨治彦さん@中央区の今日行ったライブの模様がオンエアされているではないか!
 いやあ、嵯峨さんだ(当たり前か)。

 ちょっとしたシンクロ物件ですね。

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