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19980320 養老孟司 ・奥本大三郎 ・池田清彦 『三人寄れば虫の知恵』

養老孟司・奥本大三郎・池田清彦 『三人寄れば虫の知恵』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 3月11日、『三人寄れば虫の知恵』(養老孟司奥本大三郎池田清彦 洋泉社)を読みました。

   *

 痛快です。
 帯のコピーです。
 「虫屋は奇人か?
 養老孟司・奥本大三郎・池田清彦という自他ともに認める稀代の虫狂い=「虫屋」。その三人が、虫を愛で、虫を追い、虫を蒐め、虫を食らう--。虫を視るようにヒトを見つめ、現代文明社会を論じながら蝶やクワガタに思いを馳せた、三賢人昆虫問答。」
---
 「「三人寄れば文殊の知恵」というが、どうだろうか。今回は三人寄れば馬鹿話という感がある。読者はどうか知らないが、私は読み返しては笑う。
                      養老孟司        」
 「虫の色と形、そして生態の、途轍もない多様性を見ていれば、人間の世界でチマチマしたうるさいことを言っているのなぞ阿呆らしくて仕方がない。
                      奥本大三郎       」
 「私に言わせれば、虫を"見る"快楽を放棄したまま一生を終える人間は、ほとんどバカに見える。もっとも、ほとんどの人がバカな世の中では、普通の人はよくて変人、へたすりゃ変態、ついにはキチガイと呼ばれるのである。
                      池田清彦        」


 大阪でも札幌でも出会った風景なのですが。

 夜の電車で車内にどこからか蛾が一匹舞い込んで、ふらふら飛んでいる。乗客の大半は戦々恐々としてその行方を追って、自分の近くに飛んできたならこの世の終わりみたいに騒ぎ立てる。

 そういう場面では、三種類ほどの人間タイプが観察できます。

 まず、ひたすら恐れおののく人。
 ついで、近くに来たなら手で叩き落とし、虫けら同然(って虫なんだけどさ)に靴底で踏み殺してしまう人。(内心ちょっと怖そう)
 そして、そういう人間を観察しながら、あれはどんな蛾だろうか、と考える人。(私です)

 幸か不幸か、私のところに蛾は飛んでこなかったのですが、私なら手で捕まえて車外に放します。どんな虫か横目で観察もしたい。
 周囲からすれば、そうとう嫌味な客に見えるでしょうね。


 『三人寄れば』文中にもあるのですが、日本は地勢上、多雨で、放っておいても植物が生えてくるという、世界でも希有な土地です。

 そんな土地に暮らしながら、虫一匹入り込めない生活様式を確立してしまった(精神面でも!)わけで、確立するまでのコスト、破壊してしまったものを再建(必ずそうしなくてはならないときがくるはずです)するコスト、もろもろの影響を考えると、気持ちが重くなります。

 じゃなにかしろと言われると、今度は途端に腰が重くなるという、困った人なのですが。


 例によって引用です。
 「池田 小学校からやることがみんなと同じとなると、生態的地位がひとつしかないといった感じになるわけです。そこに収斂した人は活き活きとしているけど、あとは全部駄目になっちゃうんですね。
 養老 所を得て生きていると、見ていて気持ちがいい。僕が思い出したのは、黒澤明の『七人の侍』です。ブータンであの映画をつくろうとしたら、なんの苦労もない。坊主から七人、ランダムに選んでくれば、七人の侍ができてしまう。百姓は全部そのまま使えばいい(笑)。
 奥本 今の日本はもっともああいう芝居がやりにくい国でしょうね。まるまる肥ったのや、なよなよした俳優が飢饉のときに直訴して、「お代官様、おねげえしますだ」なんて言ったってね(笑)。
 養老 日本からは、虫が失われただけではなく、人も生態的地位がなくなったっていうことです。学校がそうです。特殊学級というのをつくった。僕らが小学生のときは、ダウン症候群の子供たちもクラスにいっしょだった。勉強がいちばんできないようなのがいちばんちゃんとそういう子の面倒を見ていた。
 僕は医者として精神病院に行ってたことがあるんですが、飯も食わなきゃ着物も着ないという人がいたんですよ。ほんとうになんにもしないで、ただ裸で立っている。その人の面倒を、精神病院に入院しているほかの患者さんが順繰りにみるんです。「食事だよ」「トイレだよ」と言いながらね。そうしている患者さんは、外に出したら警察に捕まってすぐに帰ってきてしまうような人たちなんだけど、そういう中に置くとちゃんと役割ができてくる。そういう役割のようなものが徹底的に狭めてしまっているのが現代社会ではないですか。
 奥本 人間からそれぞれの役割を奪っているわけですね。今はなんにしても、ほんのちょっと「何か差し障り」があってはいけない、それをあらかじめ予防することばかり考えてる。自分が責任をとらされないよう、みんな必死のことなかれ主義でしょう。
 養老 予測できないことが起こってはいけないというしばりが、非常に強いですね。
 池田 だけど、世の中の生き物には予測できないことしか起こんないんだから(笑)。
 養老 そう。だいたい予測できることしか起こらないのなら、生きている意味がない。」
---
 「奥本 小田ちゃんって、いたじゃない?
 池田 小田義広君ね。
 奥本 脳に腫瘍ができて死んじゃった人ね。
 池田 小田君は、胃ガンが頭に転移して、頭を切っちゃったの。頭蓋骨の上がないんですよ。頭頂部に薄皮一枚がペカペカしてて、しょうがないからヘルメットみたいなのを被ってその上にカツラ被ってた。彼は半分麻雀打ちで生活してたんですよ。打ってて、負けそうになるとヘルメットを取るんだよ。そうすると頭がないから、お客がビビるじゃない? その間に勝つんですって(笑)。「これがほんもののプロっていうんですよ」っていばってたけどね。麻雀以外は毎日虫採ってましたもんね。
 小田ちゃんが、死ぬちょっと前に現・日本鞘翅学会副会長の露木さんたちといっしょに済州島に虫を採りにいったんですよ。もう小田ちゃん死にそうだし、本当はみんな連れて行きたくない。済州島へ虫採りに行って死んだりすると正直言っていろいろと面倒じゃないですか。みんなで説得したんですよ。でも小田ちゃんは「死んでも行きます」って言ったんで、みんな一瞬シーンとしちゃった。ガンの末期だから、痛くてしょうがないんですよね。走って採れないから。彼は道を這って採ったっていうんです。でも、そのときに珍しいカミキリを、小田ちゃんが二匹採ってきたんです。「どうやって採ったの?」って聞いたら、「俺が這ってたら目の前にカミキリが這ってきた」って(笑)。
 養老 鬼気せまるね。
 池田 僕は、彼が死ぬ一年ぐらい前に、いっしょにタイに虫を採りに行ったんですよ。小田ちゃんは「カミキリが来る木」をいち早く見つけてさ、その木に登って採るんだけど、体力がないから、上にずっといて一所懸命採って、十分くらいすると「もう駄目だ」って言って、カミキリが何百頭も入った網をクルクルッと丸めて、下に放って「池田さん、ちょっと管理しといてくれ」って言いながら下りてくるんです。下りてくると、体調が悪いもんだから、ゲロゲロ吐きながら三十分ぐらい寝てるわけですよ。それでも、しばらくすると、「もう大丈夫だ。採りに行くぞ」って、また行くんですよね。
 奥本 一年三百六十五日のうち、何日虫を採りに行ってたんだろう?
 池田 「今年は三百日しか虫採りに行けませんでした」って電話で言ってた。「来年はもって頑張ります」だって(笑)。」

 池田清彦さんの文章から。

 「虫はもちろん人間が創ったものではない。見方によって同じだと思っていたものが違って見えたり、違うと思っていたものが同じに見えたりする。自然物の中から同一性と差異性を発見すること。虫を"見る"ことはまさにそのことにほかならない。自然物の中になんらかの同一性と差異性を措定することは、別言すればコトバを創ることと同じである。これは正しくは発見ではなくて発明である。科学というイデオロギーは、それを発明ではなく発見であると言い做しているけれども。
 ほとんどの人はコトバを新しく創るわけにはいかない。しかし虫を"見る"ことならいくらでもできる。しかし虫を見て、コトバを創るのと同型の快楽に耽るためには、現代人はあまりにも人工物に浸りすぎている。
 現代人の眺める自然物は、たかだか女のハダカである。しかも、人々は女のハダカを虫を見るように見ているわけではない。五十倍に拡大した女のハダカを眺め、ため息をついている奴はいないからである。
 私に言わせれば、虫を"見る"快楽を放棄したまま一生を終える人間は、ほとんどバカに見える。もっとも、ほとんどの人がバカな世の中では、普通の人はよくて変人、へたすりゃ変態、ついにはキチガイと呼ばれるのである。」



 『三人寄れば虫の知恵』 養老孟司 (1937- )・奥本大三郎 (1944- )・池田清彦 (1947- )
 洋泉社 1996/04/25 ISBN4-89691-209-8




 嵯峨さんが、この4月から本放送が開始される札幌のミニFM三角山放送で、毎週金曜日午後五時からの一時間、「のどうた」の番組を担当することになった。
 この日から試験放送が始まるのだけれど、もちろん野幌では聞けない。
 四時半、妻子とともに車で、札幌に向かい、その放送を聞く。
 現在制作中の「Tarbagan Rises on the Earth」の世界初のオンエアを聞く。感激。
 嵯峨さんのDJも良かった。

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