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19980325 小島美子 『音楽から見た日本人』

小島美子 『音楽からみた日本人』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 3月18日、『音楽からみた日本人』(小島美子 NHK出版)を読みました。

 著者は1929年生まれの、日本音楽史・民俗音楽学の研究者です。が、内容は堅苦しくも難しくなく、読みやすいものでした。取り上げられている、一番今どきの音楽・音楽家は、小室哲哉りんけんバンドネーネーズあたり。

 カバーのコピーです。
 「歌の好きな日本人は、古来より生活の中でそれを愛し育んできた。民族の文化や芸術のもっとも先鋭的な形ともいえる音楽の、日本文化の基層を探る。アジア各地の民族や音楽との比較、リズム感やメロディの特質、歌垣のルーツ、歌と語り、ハーモニーの成り立ちなどの視点からさまざまな楽器の歴史までを説き明かし、音楽を通して語る秀逸な日本文化論」


 ここ数ヵ月、日本人の演奏するアジア中央部(トゥバ、モンゴル、内モンゴル)の音楽を、業務上、聞き続けてきたのですが、民族音楽に飽きることなく、逆に興味がどんどんわいてきています。

 嵯峨治彦さんから借りたNHK・BS番組「天と地の時を奏でる 中国55少数民族音楽の旅」のビデオも面白いものでした。
 元プリプリ(「プリンセス・プリンセス」という女の子のバンドがあったのです)の今野登茂子さんが、雲南、チベット、ウイグル地区等々、恐ろしく広い地域の民族音楽を求めて旅し、専門家の藤井知昭さんとの対話で番組を進めていくというものです。

 中国少数民族といえば、先日14日15日と、その少数民族の一つ「満族」の張さんがわが家に滞在しました。
 お話をうかがうに、漢民族以外はすべて少数民族ということらしいです。
 満族は、少数民族中の最大勢力だそうで、一億人以上いるそうです。どこが少数なのかと言いたくなりますが。その一方で、千人単位でしか存在しない本当の少数民族も多数あり、少数民族政策に関してはいろいろな批判もあるようですが、あらためて中国という国の奥深さを感じました。

 一昨日23日は、嵯峨治彦さんとユニットを組んで演奏活動をしている小川基さんのアイヌの民族楽器トンコリの演奏を生まれて初めて聞きました。
 小川さんはアイヌ民族の人で、嵯峨さんの馬頭琴との「新しい北方民族の調べ」(いつも強気な嵯峨さんの文責)はなかなかに楽しいものでした。

 そして沖縄です。
 日本本土の音楽が均質化する一方で、沖縄の音楽の元気は増す一方です。
 アムロ・SPEEDの活躍を筆頭に、音楽に関しては、本土側の完全な入超です。
 まず、あれだけの広さと人口で、独自の音階と多数の固有楽曲を持っている地域は、世界中探してもそうそうないはずです。

 小島さんによれば、明治以降西欧から輸入した西洋音階を別にして、日本の伝統的音階は、北方から入ってきて日本本土から徳之島までを覆う民謡音階と、律音階(「ねーんねんころりよ」の「江戸子守歌」がその代表)、律音階と混じり合っているもののより古くに中国から輸入されたらしい呂音階、そして東南アジアの音階にも通じるらしい沖縄音階、というふうに区別されています。
 呂・律という言葉は『徒然草』にも登場するほど古い言葉で、現在も行われている雅楽はその音階によるもののようです。

 そして、音楽は、現実社会よりもよりボーダーレスです。
 たとえば、沖縄の人喜納昌吉の「すべての人の心に花を」という名曲がありますが(音階はなになのでしょうか)、以前あった中国の若者に「この中国の名曲を聞け」と中国産のその曲のテープを聞かされたことがあります。家にあるRy Cooderがスライドギターで参加しているバージョンを、お返しに聞かせてあげました。


 例によって引用です。
 「音楽はこのように何よりも自分たちの感覚に自然にやることが出発点だ。音楽は人のためにやるのではなく、自分たちのためにやるのだから。しかも日本の伝統音楽はそれなりに非常に洗練されたものである。これは決して失っていいものではない。そしてさらにそれらを土台に、現代にふさわしい形を作っていかねばならない。その際、直接に土台になるのは、おそらく民謡や民俗芸能である。それも職業的な民謡歌手の民謡ではなく、地元の本来の民謡である。
 こうした方向をめざす場合に最大の障害になっているのは、学校の音楽教育である。今では教材に日本音楽や民族音楽も少しずつ入っているが、全体のシステムはやはりクラシックの原理にもとづいている。だから、歌う場合にもクラシックの発声だし、リズムも、音階も、ハーモニーも、強弱のつけ方なども、すべてヨーロッパ人の形を理想として教えている。だから他の音楽ではすぐれた才能を持っている人でも、クラシックの原理に合わない人は全部悪い点がつく。
 こうしていい音楽はクラシックであり、他の音楽は悪い音楽であるという考え方を学校では無意識のうちにたたき込んでいる。これは大変な文化の差別感を教えているのである。国際性を養うどころか否定しているのであり、こういう考え方が文化摩擦を起こしているのである。」

 早い話が、クラシックもヨーロッパ地方の民俗音楽、すべての音楽は民族音楽である(坂本龍一氏談)、というのが最近の私のスタンスです。
 優劣をつけることは、多様性を排除することではないか、と思いますです。

 急激な西欧化で独自の文化を失い、文化的なソフトウェアの輸入を延々と続けている国が、この日本なのではないか、とも思いましたです。


 『音楽から見た日本人』 小島美子(1929- ) 
 NHK出版 NHKライブラリー57 1997/07/20 ISBN4-14-084057-9



 BooxBoxのホームページ更新作業。
 相変わらず、山本悦子さんの「南米ホラ話、これでいインカ」が面白い。

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