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19980417 G・マコーマック 『空虚な楽園』

G・マコーマック『空虚な楽園』
 「ポルケ・ブック・レビュー www.booxbox.com/porque/」 より

 4月15日、『空虚な楽園 戦後日本の再検討』(ガバン・マコーマック 松居弘道・松村博訳 みすず書房)を読みました。

   *

 著者は、現在、オーストラリア国立大学の日本史教授。1962年に初来日し、以後京都・神戸・立命館の各大学で客員教授を勤められた日本通。
 著者自身の日本語で書かれた「日本語版への序」。

「経済成長のもたらした「豊かさ」のなかで、何を得、何を失ったか、バランスシートを作るときが来た。日本的「豊かさ」の様式がイデオロギーにとらわれないという魅力もあって、それは東アジアと東南アジアの国々に無条件に歓迎され、広がっている。日本国内でも維持可能なレベルを超えた「豊かさ」が、日本以外の国で実現可能だろうか。二〇世紀資本主義の勝利の不確実性が、日本ほど鮮明に露出しているところもないが、その不確実性が日本ほど理解されていないところもない。」
 カバーのコピーです。
 「戦後50年目の年、日本は大震災と地下鉄サリン事件によって"壮大に試され"、それはオーストラリアの歴史家マコーマックに基本的な問いを抱かせた--「日本の戦後史とはいったい何だったのか」
 初来日から30余年、関西に住んで日本列島を歩き、日本語の資料を広く読んできた著者が、さらに環太平洋の一角オーストラリアの視点から、現代日本のかかえるジレンマを検討する。(中略)
 20世紀を見送る日本は、「脱成長期の知恵と円熟」を身につけることができるか。この国に愛情をもって接する著者の鋭い提言に耳を傾けたい。序文は『天皇の逝く国で』の著者、シカゴ大学のノーマ・フィールド。」


 1996年に書かれた本で、長く関西に住んだ著者ですから、当然その前年1995年の「阪神淡路大震災」から書き始められます。
 著者が初めて日本を訪れた当時のこの国、1960年代初期の日本を知っている人の大半が、今ここに、この三十年あまりの間に、まったく違う国が現われたのだと感じているのではないでしょうか。

 そのうっすらとした感じを、誰の目にもわかるように、はっきりと現実としてつきつけたのが、1995年の「地震」「オウム」で、そのときに受けた国民一般の精神的トラウマが、偉い人がいくら笛を吹いても踊らない、この消費の冷え込みにまで影響しているような気がします。
 『空虚な楽園』を読んで改めて思ったのですが、この五十年あまり、誰も自分の言動に対して「自己責任」をとってこなかったんだな、という印象を受けました。
 国家的「尊師」を始めとし、小「尊師」麻原から、政治家・官僚にいたるまで。一般庶民も「知る権利」を放棄するという形で、責任を放棄してきた(私もそう)。

 全部をちゃらにして、一からやりなおせばいいのでしょうが、それが難しい。
 社会構造そのものから変革しなくてはならない、と皆、心の中では思っていても、その構造自体から発生する経済で、日々の暮らしは成り立っているし・・・。
 というようなことを言っている場合ではないな、と気合いを入れ直すには充分の一冊でした。

 訳者あとがきでも書かれているのですが、たいへん客観的な批判の書です。が、著者は全然エラぶっていない。日本の「正統」からちょっとずれた関西からの視線、西欧の「正統」からちょっとずれた「ダウンアンダー」オーストラリア人の視点が、感じられるのです。
 今こそ、国の偉い人達に、そのようなちょっとズレていて冷静な視線が必要ではないかと思うのですが、「オレ絶対正統」の橋本さんの大ボケぶりを見ると(そして多分に代わりがいないからまだやっているらしいという話を聞くと)、日暮れて道遠しだな、とは思わずにはいられません。


 例によって引用です。
 日本の「地の利」を生かし、過剰開発のない、低コストで運営される国になるよう祈りをこめて。
「一九九三年には三一兆八〇〇〇億円という巨額の公共投資が建設業界に流れこんだ。その年の公共支出の総額は七三兆円前後で、実に国家予算の四三%が建設事業に投入されたことになる。民間の住宅建設、土木工事も合わせれば建設支出の総額は九〇兆円に達し、GDPの約一九・一%に相当する。これにたいして米国の公共事業支出は(その国土が日本の二五倍も広いにもかかわらず)五四兆円(約五〇〇〇億ドル)にすぎない。言い換えれば日本の建設支出は米国を二・六対一の比で上回る。国土の単位面積当たりでくらべればその比は三二対一となる。信じられないことだが、日本の公共事業費は米国の国防費を上回っている。冷戦たけなわの当時でさえそうだったのである。
 なぜそうなるのか。日本は山地が多いのでほかの国より土木作業の量が大幅にかさむ、というわけではない。戦後の日本では一党支配の時期が長くつづき、そのあいだに大規模な汚職で公共の利益を食い物にする癒着の構造が成立し、土建国家の異名をとるまでになった。この構造の本質は権力の再生産と利益の配分であり、建設という行為はそれに付随するにすぎない。それは何百万という受益者を抱える巨大な福祉制度と化し、他国のマフィアに匹敵するような重荷を国家と社会に負わせている。冷戦時代の米国の政治経済の中核的構造の特質を軍産複合体ということばで表現したこともあったが、それと同じように土建国家という表現は日本の現状を言い得て妙であり、冷戦が終わっても日本の土建国家ぶりはまだあまり後退した様子がない。」
(39P「土建国家の病理」から)

 「日本の農民の長期的展望はさておき、日本農業と主要食糧輸出国の農業とのあいだにはいくつかの際立った相違点がある。もっとも特筆すべき点は、日本では米作が環境に有益であるということで、これは一部の東アジアの山地の多い、季節風風土の国々と共通の特色であるが、農業大国とは大きく異なっている。日本の大降雨量(年間約一八〇〇ミリ)、急斜面の多い山岳的地形、季節による温度変化は多世代にわたって創造的に活用されてきた。水田農業は、国土の大半を占める山地から流れてくる腐植土成分の多い堆積土を捕捉し、数世紀にわたって開発された複雑な灌漑システムによりこれを水田に変えるという意味で、一般にこれが日本と考えられている国土の姿を積極的に創出してきたのである。日本列島全土にわたって米作農業が確立して以来、一三〇〇年のあいだにコメの生産性は約五倍に向上した。
 (中略)
 要するに日本は米作に理想的な条件を具えているのである。それは日本の米作農民が、たとえばカリフォルニアのアグリビジネス生産者と純然たる市場の条件で競合しうるということではなく、日本の農業が化石燃料系物質の投入から養分のリサイクルに立ち戻ることができるという意味において、きわめて経済的であり、無期限に持続可能だということである。米国(あるいはある程度まで欧州)の農業とは対照的に、日本農業の生産性は労働投入量に比例して向上する。GATTの経済合理性の原理はこのような要素を無視している。ウルグアイ・ラウンドの交渉を通じてこの点はほとんど主張されなかったが、それは日本の政府や官僚でさえ、GATTの適用除外を普遍主義的な生態系、環境への配慮の観点から求めるのではなく、「文化的アイデンティティ」と「食糧安保」を強調したからである。生態系的に持続可能な農業経済の形態が全世界で求められている今日、日本の事例が肯定的なモデルであるのにたいして、オーストラリアや米国の例は否定的なモデルである。平和憲法と同様、それは日本の公的スポークスマンがあまり評価しない要素であるが、長期的展望からすれば、日本の、たとえば自動車産業や造船産業よりも、はるかに貴重なものであるかもしれない。」


 『空虚な楽園 戦後日本の再検討』 ガバン・マコーマック 松居弘道・松村博訳
 みすず書房 1998/01/23 ISBN4-622-03660-6

 『天皇の逝く国で』 ノーマ・フィールド(1947- ) 大島かおり(1931- )訳
 みすず書房 1994
 「19970804 ノーマ・フィールド 『天皇の逝く国で』」 へどうぞ





 「ポルケ」 www.booxbox.com/porque/ 同報、「 ガバン・マコーマック 『空虚な楽園』 」 配信。

 千歳、博信堂 さんに TARBAGAN http://tarbagan.net/ のCDの追加を送る。
 売れ行き好調の模様。

  タルバガンCD「タルバガン、大地に立つ」

 嵯峨治彦 http://tarbagan.net/saga/ さんの 三角山放送 www.sankakuyama.co.jp/RealPlayer www.jp.real.com/ を使い、インターネットで聞こうとするもうまくいかず。
 結局また、札幌市内にドライブに向かう。
 「のどうたの会」 http://tarbagan.net/nodo/ のホームページのアドレスが紹介される。BooxBox PRO!の中に置かれているので、当然、そのアドレスが公表されたわけで、上の階層まで見てくれる人もいるかもしれない。

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