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19980501 関川夏央『中年シングル生活』

関川夏央『中年シングル生活』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 4月28日、『中年シングル生活』(関川夏央 講談社)を読みました。

 1949年生まれ、離婚歴あり、の関川さんの「生活のない暮らし」中年の独身生活について書かれた文章です。


 4年前のちょうど今ごろ、私はローマにおりました。トト・スキラッチがジュビロ磐田に加入した年のことです。
 一週間近くホームステイさせてもらったボレア家当主のダニエレは、詩人で画家、ケンブリッジだかオックスフォードだかに留学していたというインテリさんでした。
 私は、名前を音読みした「よーろー」というニックネームで呼ばれることが多いのですが、ダニエレさんはそれが言いにくいのか、「ユーロ、ユーロ」とどっかの新しいお金みたいに私に話かけるのでした。(最近、ダニエレと電話で話をしたMT緑さん@泉大津によれば、今だに「ユーロはどうしてる?」と聞いてくれたそうです)

 「ユーロ、いいか、家族っていうのは大事なんだぞ。最後はやっぱり家族なんだ」とダニエレは、ことあるごとに、結婚して半年ほどたっていた私に諭しました。(結婚生活に何か問題があったわけでもないのですが)
 そのくせ、ボレア家では家族のいさかいが絶えず、私のいたわずか一週間の間にも、次男のルカが涙ながらに夜遅く家を飛び出すという事件がありました。ダニエレは「もう大学生なのになんであいつは泣くんだ」と逆ギレするは、奥さんのナターリアは「泣きたいから泣いてるんじゃないの」と反論するはで、なかば闖入者の私はどうしていいものやら、一人心を痛めたものでした。

 翌朝、前夜の緊張を引きずって食卓につくと、ルカもいて、皆平気な顔でパクパクやっている。「どうしたのユーロ、リラックスしなよ」とルカに言われて、拍子抜けしたりして。
 そのボレア家も、ついに息子二人が家を出て、夫婦二人がローマのどこかに越したのだそうです。やはりMT緑さん@泉大津によれば。


 『中年シングル生活』の中に、「家族には全盛期がある」という言葉を発見しました。編集者の津野海太郎さんが言ったのだそうです。

 ああ、そんなものかなあと思いますね。
 たとえば、私の利尻の実家はいま、私の両親と父方の祖父母の四人暮らし。両親とも七十歳近く、これから家族が増えることもなく、あとは一人一人欠けていくのを待つばかり、という状況でしょう。
 昭和三十三年に私が生まれて、昭和五十六年に弟が家を出るまで、二十三年間、ボレア家のようにすったもんだがあったかなかったか、中学卒業と同時に家を出た私にはわからないのですが、三世代同居の家族でした。

 その二十年余が、利尻の田原家の全盛期だったのかもしれません。私がお邪魔したころのボレア家のように。


 
「国勢調査から見ると、三十五歳から四十九歳の女性のシングル率は、一九七〇年に五・〇三パーセント、九〇年には五・九七パーセントで微増にとどまる。対して同年代の男性シングルは、七〇年に三・一三パーセントだったのに、九〇年にはなんと一二・四七パーセント、四倍増である。「そんなに女がコワいのか」といいたくなる数字だ」(『中年シングル生活』36P)

 かくいう私も、九十三年に三十四歳で独身だった。
「七〇年、全国平均で二パーセント弱にすぎなかった男性満五十歳時の未婚率は、九十年には五・六パーセントに上昇した。一方、同年齢の女性のそれは四パーセントが四・三パーセントとなったにすぎない。しかし東京だけに限ると、男一〇・五パーセント、女八・三パーセントとそれぞれ倍にはねあがる。」(同上)

 最近は、過疎地(たとえば利尻みたいな)の嫁不足も深刻ですが。

 あらためて、家族ってなんなんだろう、と『中年シングル生活』を読んで思いました。
 この「ポルケ」同報の受信者の方もさまざまです。前途洋々10代のM山さんからすでにお孫さんもいらっしゃるT幡さんまで、四十歳近い年齢差の中に、当然家族持ちの方も大勢おられますが、離婚歴のある方、すでに旦那様を亡くされた方、奥さんの学校通いで別居を続けられている方、夫婦でそれぞれのアドレスを持って「ポルケ」を受信されている方々、そして『中年シングル生活』という題名に、「うっ」と思った中年シングルの方々、等々。

 たとえば、中世の「中年シングル」兼好法師は、どうやら結婚することなく、その生涯を終えたようです。『徒然草』や歌集の中には、若き日の恋愛を想像させるものも多いのですが。
 由緒ある神主さんの家系の出で、長子ではなく、今の私の年ごろにはすでに世を捨て(た気になってというほうが近いようですが)、所有する土地からの上がりで暮らしていました。まあ、アパート経営みたいなものですか。生前は、和歌の達人・有職故実に詳しい人としての名が高く、『徒然草』は、その忙しいんだか忙しくないんだかわからない生活の中で、書かれたもののようです。
 ディレッタントの遊び人が、こんな中年シングル生活でいいのかなあ、いかんのだろうなあ、修行せねば、と思いつつ書いたのが『徒然草』です。兼好さんは「四十ぐらいで死んでしまうのがよかろう」と書きつつ、放浪のうち八十歳くらいで死んだのではないか、というのが定説になっているようです。

 そんな兼好さんも、当時は野蛮人の住む土地だった関東圏からの客人、荒夷(あらえびす)に「子を持ってこそ、親としての、人間としての感情がどんなものであるか知れるのだ」と語らせています。

 となると、思い出されるのは、ジョン・レノン
 子ゆえの愛に音楽活動を休止し、子ゆえの愛に活動を開始した矢先、兼好の言った「四十歳」で死んでしまう。
 なかなか、思うようにはいかない。
 かと思えば、うまく行きすぎてこわいときもあり。
 (というようなことも、兼好法師がすでに書いています)


 関川さんの文章は、洗練された、素晴しいものです。
 あとがきには、
「この本は、「さびしい本」ではない。しかし、「たのしい本」というわけにもいかなかった。不幸でもあく幸せでもなく、同時につまらなくなくもない中年的シングル生活の実情を、自信と痩せがまん半々にしるそうとした。
 少しずつ迫ってくる老化にやや困惑しつつも必ずしも希望を失わず、いわば泣き笑いの顔でユーモア読物を書いてみたかった、そういうことである。」


 『中年シングル生活』 関川夏央(1949- ) 講談社 1997/04/10
 ISBN4-06-208388-4

 最後に、中年シングル生活には関係のない部分を引用します。
 かつて片岡義男ファンだった私にはうれしい文章。

 「片岡義男は、一九七〇年代の前半まではアメリカ文化にくわしいコラムニストとして知られていた。
 日本の青年たちが風に向かって立ち、吸いこむようにアメリカとその現代文化を受容れたがった一九六〇年代後半、多くのモダニズム大衆誌が創刊された。そのひとつの編集に参加した片岡義男は、当時の青年が常態とした「熱い議論」を好まなかった。寡黙でいて、そのくせ誰もが無視できない雰囲気を発散して会議の席についていた。
 (中略)
 紛糾した会議もようやく終りに近づき、いかにもその時代らしい企画、つまり理屈と風俗をうまくからませ、読者への切りこみは生きかたに対する宣言風、といったプランが出そろったところで、片岡義男が「もっと別のことがやれないかなあ」と、ぼそっといった。「どことなく実在感を欠く」声には、沸騰水にさし水をするような効果がある。
 「どういうこと?」いわゆる熱っぽい議論から我にかえった仲間が尋ねた。
 そんなとき片岡義男は、おずおずとも、きっぱりとも、どちらにもとれる口調でいうのである。
 「たとえば、ひもの結びかた、とかさ」」

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