« 19980517 なんと出店するのだ | トップページ | 19980519 テーマは「ローンと運用」 »

19980518 山内昌之 『「反」読書法』

山内昌之 『「反」読書法』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 5月11日、『「反」読書法』(山内昌之 講談社現代新書)を読みました。

   * [「反」読書法] 山内昌之

 山内さんは、1947年札幌生まれ。TVにもときどき登場する、イスラームの歴史と国際関係史の専門家であります。「ポルケ・ブック・レビュー」でも山内さんの『近代イスラームの挑戦』中央公論社「世界の歴史」20を紹介してます(こちら:http://booxbox.cocolog-nifty.com/tahara/1997/02/19970214___5eef.html)。

 表紙には、「見栄や義務感は読書の大敵、教養なんか気にしない。本選びの方法、「よりよく読む」ための技術、難解な書をいかに攻略するか、学生時代に何を読むか--」とあります。が、私は、その手の方法論を知ることより、「週刊文春」に連載されていたという「読書日記」(一九九四年九月から一九九六年七月までのもの)をブックガイドとして読むことのほうが、面白かったです。
 巻末には書目一覧もあり、親切な本といえるのではないでしょうか。


私の好きな吉村昭氏と川路聖謨(かわじ・としあきら)(の本)について書かれた文章を引用します。
「吉村昭氏の作品にいかれる理由は、私が歴史を学んでいるのと無縁ではないでしょう。歴史と文学には、多くの点で共通する性格があります。後にも述べるように、歴史の経験と教訓は、文学にも格好の素材となります。たとえば、幕末や終戦といった大きな変動期は、多くの苦悩を人びとにあたえただけに、文学の素材に取りあげられることが多いのです。吉村氏の文学にも、苦渋に満ちながらも誠実に対応した人間たちが多数登場します。『黒船』(中央公論社)、『天狗争乱』(朝日新聞社)、『ニコライ遭難』(岩波書店)などに登場する父祖たちを見ていると、日本人のメンタリティが現在まで連続していることをつい感じてしまいます。過去から現在そして未来にまでずっと伸びる一貫した個性というものがあります、それは、日本人であれば誰でも容易にわかる文化の連続性ともいうべきものにほかなりません。いつの時代であっても、人との折衝にあたって、粘り強さを発揮し、礼儀正しく振る舞うという作法は貴重なものです。これは、政治外交や経済活動にあたる人間にとって、不可欠な資質といってもよいでしょう。吉村昭氏が『落日の宴』(講談社)で彫琢しあげた川路聖謨の人となりは、この点でも多くを教えてくれます。
 どれほどの理想を掲げようとも、革命とは悲劇的な事業にほかなりません。革命は、多くの人びとの良心と運命を翻弄し、有為の人材をいたずらに消耗させました。明治維新は、世界史には珍しく最少の流血ですんだ近代革命ですが、そこでも惜しい才幹が失われています。幕末の国事多難の折、勘定奉行や外国奉行として外交に活躍した川路聖謨も悲劇の人物なのです。
---
 『落日の宴』のつきせぬ魅力
 勘定奉行や外国奉行を勤めた川路聖謨は、ロシア使節プチャーチンとの理非を弁えた外交談判で、ロシアの面子も立てながら日本の国益を守った技量で知られています。さらに、川路の「聡明」と「巧妙な弁論」はいうに及ばず、その「良識」と「機知」と「炯眼」は交渉相手からも尊敬を受けるほどでした。外交官に必要なタフな交渉力とユーモアを失わず、それでいながら相手の言い分に近づく努力も忘れなかったからです。このあたり、『落日の宴』は、文学によって歴史と現代をとらえる確実な手ごたえを読者に与えてくれます。
 ところで、軍事力から技術、経済力、外交経験など、どの点をとっても、当時の日本はロシアに遠く及びませんでした、この制約のなかで、完全屈伏でもなく全面勝利でもなく、ぎりぎりの妥協によって開国の条件づくりをしていく川路の手並みは鮮やかであり、現代外交にも多くの示唆を与えてくれます。吉村氏は、川路の下僚をして、「理をとおした弁説の見事さ」「毅然とした一歩もひかぬ態度」「誠実さがプチャーチンを動かした」と感嘆させていますが、この感動は私たちのものでもあります。
 吉村昭氏は、出張先や道中では大好きな酒も飲まず、出世をしても倹約と質素を忘れない川路を愛惜するように描きます。入浴しても健康と精力維持のために睾丸を塩もみする川路聖謨は、日常の寝具や衣服も綿であり、食事も一汁一菜だったといいます。時空を超えて、川路をいたずらに理想化するのも考えものですが、公務に携わる人間が心すべき最低のモラルというものはあるでしょう。また、川路聖謨が見事なのは、開国によって日本から富が流出する危険を察知していたことです。外国船が必要な水や薪、食料などの支払いを現金、あるいは日本で必要な品に限った点もその一例にほかなりません。「金、銀または鉄砲、革類、布類、薬種等」はよくて、「時計、オルゴル、硝子の類い等は不要」と言い切ったのです。この見識は評価されてよいのではないでしょうか。
 これらが「よろしくない品」というわけではない、と川路はいいます。「今後、軽々しい遊戯具などが支払いの品となる弊をふせぐために、かくのごとく申す次第である」。何という先見の明でしょうか。実際に、現代の官僚やキャリア外交官に不可欠の資質は、理財の感覚です。しかし、遺憾なことに、同時期のオスマン帝国には、フランス語に堪能であっても経済を理解できる政府高官がいませんでした。反対に川路は、外国語に通じていなくても外交のセンスを誰よりも備えていたのです。そして、川路ら幕府高官たちは、外国からの借款導入を考えずに健全財政で幕末の危機を乗りこえました。危機は、かれの自殺と幕府の瓦解という悲劇をともないましたが、明治新国家という形で日本は統一性を回復して、川路がめざした理想を実現したのです。この点こそ、外債まみれで国を破産させたオスマン帝国やエジプトやイランのエリートたちと違います。まさに、川路はノブレス・オブリーシュがあったといえるでしょう。
 しかし、川路聖謨は、倒幕軍が江戸城に入る一ヵ月前に、大樹が れるのを見るにしのびず、短銃自殺をして果てました。かれは、没我的に奉公した徳川幕府の運命に最後まで忠実な幕臣だったのです。川路は、九州日田の代官所小吏から累進を遂げて幕府の高級官僚に抜擢された小身者でした。現在の政府出先機関の地方採用者が外務次官や大蔵省主計局長となってキャリア官僚のトップに昇りつめたようなものだといえば、お分かりいただけるでしょうか。それだけに川路は、引き立ててくれた幕府への忠誠心が人一倍篤く、職務への義務感が旺盛でした。自分を律することに厳しい男だったのはいうまでもありません。
 また、家族思いの川路聖謨は、開国と国防の危機に際して、義父が重病に陥るなど私生活でも悩みを抱えていたのに、国事と多難を見事に乗り切りました。プチャーチンとの交渉に際しても、長崎や下田に昼夜兼行で驚くほどの短時間で到着しましたが、これも日常の心身鍛練の賜物だったでしょう。下僚たちがその健脚に驚き、はるか年長の川路にしばしば後れをとったことも、吉村氏の観察眼は見逃しません。
 川路の生命力は、米国のハリスとの通商条約の予備交渉、条約勅許のための奔走などで尽きたかのようです。井伊大老に罷免された川路は、一度は外国奉行に返り咲きますが、やがて病床に臥してしまいます。江戸城最後の日が迫るのを知った川路は、瞼に下田と江戸との急飛脚の往来、幕閣の指示による談判の日々を想い浮かべました。折り目正しい裃と袴の「衣ずれの音にも気品があった」日々を回顧しながら自ら命を絶つのです。まことに悲劇的な最期というほかありません。
 吉村文学に、また鎮魂の書が加わったというべきでしょう。」


もひとつ、「ストーリーとしてのヒストリー」という文章を。
「私が職業とする歴史と、読者として愛好する文学には、大きな共通点があるように思えてなりません。やや気障な言い方になりますが、それは、自然への愛や人間の可能性に対する信頼だといってもよいでしょう。実際に、歴史と文学は、<叙述>という表現方法が重視される点でも似通っています。ヒストリーの語源であるギリシャ語のヒストリアには、「歴史叙述」の意味もあるといわれています。この意味で、ヒストリー(歴史)は、ストーリー(物語)の姉妹語だといってもよいかもしれません。
 こうしてみると、叙述に精彩を欠いた史書は、歴史を解釈して記録を残す点でも、かなりの欠陥をおびていると批判されてもしかたありません。日本でもフェルナン・ブローデルの名著『地中海』(浜名優美訳 藤原書店)がよく読まれるのは、ミシュレなどの豊饒な文章表現の遺産を引き継いだ叙述の迫力と無縁ではありません。ブローデルの『地中海』は、よく知られているように、次の有名な出だしから始まります。
「私は地中海をこよなく愛した。たぶん他の多くの人と同じように、また多くの先達に続いて北の出身であるためだそう」
 これは、ほとんど文学の表現といってもよいでしょう。地中海人でもない学者が光あふれる地中海の歴史を愛したのは、ゲーテがイタリアに旅行して万物誕生の母胎としての地中海世界に憧憬の念をもった点とも共通します。もっとも、歴史家であれ文学者であれ、生命の輝きに共感するのは、ヨーロッパ人に限ったことではありません。歴史を語るとき、文章が躍動感をおびる日本の文学者も多くいます。大佛次郎天皇の世紀』は、冬景色のさりげない描写から始まることを御存知の方も多いでしょう。
「二日前に雪が降り、京都御所では清涼殿や御所の北側の屋根に白く積もって残るのを見た」
 大佛次郎は、雪が積もった現在の光景を確認する仕草を、幕末の降雪を連想させる自然のイメージに重ね合わせることで、現代の読者を歴史の世界に自然に誘おうとしたのです。ブローデルと大佛次郎には、作品の素材に対する愛、対象への素直な思い入れと想像力が共通しています。このために、かれらの作品を読む者も想像力を自然に高めることができたのです。二人の仕事に接して感動を深めるのは、想像力がすぐれた文章と結びついているからではないでしょうか。」


『「反」読書法』 山内昌之 講談社現代新書 1997/05/20 ISBN4-06-146355-8



 ポルケ「「反」読書法」。

 深夜カニグズバーグ「Tバック戦争」読了。ポルノみたいな題名の、優れた児童文学。

|

« 19980517 なんと出店するのだ | トップページ | 19980519 テーマは「ローンと運用」 »

12 ポルケ?ブックレヴュー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 19980518 山内昌之 『「反」読書法』:

« 19980517 なんと出店するのだ | トップページ | 19980519 テーマは「ローンと運用」 »