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19980528 後藤健生 『ワールドカップ』

後藤健生 『ワールドカップ』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 5月23日、『ワールドカップ』 (後藤健生 中央公論社)を読みました。

   * [ワールドカップ] 後藤健生

 著者の後藤健生(ごとう・たけお)さんは、「1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程(政治学)修了。国際サッカー歴史記録学会アジア地区代表委員。日本サッカーライターズ協議会理事。日本サッカー狂会常任幹事。(後略)」(著者紹介より)。

 さらに。
 「1974年には、初めてワールドカップを見に西ドイツに行き、以後6回のワールドカップを、開幕から決勝まですべて現地で見ている。したがって、日本でワールドカップの生中継は見たことがない(下手なアナウンサーとか、何も知らない解説者、元野球選手とかの雑談を聞かないですむので最高)。96年9月15日現在、生涯観戦数は2119。この記録を上回るジャーナリストは決して多くない。」(online magazine 2002 JAPANホームページ:http://2002j.topica.ne.jp/「J's Voice」コーナーの執筆者プロフィールより)。

  おわかりのように、後藤さんは、ワールドカップの歴史や時代背景、戦術の移り変わり、様々なエピソードを書くのに、まさに適任と言えるでしょう。
 そんなわけで、日本のワールドカップ初出場に時期をあわせて出版された便乗本の一種かもしれませんが、内容は充実しています。巻末の二十七ページに及ぶ「ワールドカップ全試合記録」などを見ていると時間がたつのを忘れます。


今日は特に、一次予選H組で初出場の日本と対戦することになったやはり初出場のクロアチアについて書いてみたいと思います。

 『ワールドカップ』「序章 第十六回フランス大会(1998) 日本にとっても、ワールドカップにとっても新しい時代の幕開け」から引用します。

「クロアチアのサッカーも政治に翻弄された歴史を持つ。クロアチアは、第一次世界大戦後トルコやオーストリア=ハンガリー帝国の支配から脱して創られた、バルカン半島に住む南スラブ民族による連邦国家「ユーゴスラビア」の一員だった。
 ユーゴスラビアは、ヨーロッパ南東部に位置する小さな貧しい国だったが、サッカーの世界では輝かしい歴史を持っている。一九三〇年の第一回ワールドカップでは、ヨーロッパから参加した四か国の一つとなり、この大会ではヨーロッパ諸国中最高の四位に入賞、その後も一九六二年大会の四位など、過去十五回大会のうち八回に出場し七回はベストエイトに進出している。
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 一九九〇年のイタリア大会でも見事に準々決勝に進出したユーゴスラビアは、マラドーナのいたアルゼンチンに対して押し気味の試合をしながらも0-0で引き分け、PK戦で敗れた。この時のユーゴスラビア代表は一九八七年にチリで開かれたワールドユース(二十歳以下)選手権の優勝チームを母体としたチームで、次のアメリカ大会では優勝も狙えるのではないかと思われた。
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 しかし、冷戦が終わると、ユーゴスラビア連邦内の構成共和国間の対立が激化し、悲惨な内戦を経て、六つの独立国に分裂してしまった。クロアチアもその一つである。その過程で、ユーゴスラビアとしてすでに出場権を獲得していた一九九二年のヨーロッパ選手権への参加が国連の制裁によって不可能となり、さらに一九九四年ワールドカップには新ユーゴスラビア(セルビアとモンテネグロが結成した)も、独立したクロアチアやスロベニアなども予選に参加できず、幻の"優勝候補"ユーゴスラビアは解体し、姿を消してしまった。
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 しかし、旧ユーゴスラビア各国の参加が認められた一九九八年大会には、新ユーゴスラビアとクロアチアがそろって予選を勝ち抜いて出場を決めた。クロアチアにも、ボクシッチ、プロシネツキ、ヤルニらの一九八七年ワールドユース組がいる。クロアチアは初出場とは言え、彼らはイタリア・ワールドカップも経験しているベテランである。すぐにかっとする血の気の多い気質のクロアチアは、コンスタントに力を出すことができないという大きな問題点はあるが、技巧的なパス交換とボクシッチらのダイナミックなドリブル、そしてシューケルの類希な得点感覚を兼ね備えた強豪である。もし、冷静に最高の出来を披露できればアルゼンチンを倒して上位進出も可能だし、逆に冷静さを欠いてしまうようなことがあれば日本にもチャンスは出てくる。」
(23-24P)。

「BSは全部やる」のNHKのサッカー番組の充実ぶりは、なかなかのものです。

 先週の月火水曜日、午後九時半からの「クローズアップ現代」もワールドカップに関する特集で、それぞれの曜日にアルゼンチン・クロアチア・ジャマイカのチームとお国柄を紹介するというものでした。
 火曜日クロアチア編で特にクローズアップされていたのが、背番号10、キャプテンのミッドフィルダ、ボバン(Zvonimir BOBAN 1968年生)。これがよかった。

 ユーゴの内戦が始まる直前、現ユーゴのベオグラード・レッドスターというチームが現クロアチアに遠征にやってきます。内戦の予感をはらんだスタジアムでは案の定、地元クロアチア人のサポーターと、セルビア人のサポーターの小競り合いが始まってしまいます。
 地元ファンを殴打するセルビア人警備員についつい暴力をふるってしまったのが、クロアチア人ボバンでした。二十そこそこでしょうか。彼はそれをとがめられ、出場停止処分に。それは、1990年のワールドカップにまで及ぶものでした。

 番組では、現ユーゴ代表のキャプテン、名古屋グランパス所属の「ピクシー」ストイコビッチ選手が、インタビューを受けていました。彼はそのときレッド・スターの一員としてそのスタジアムにいたのです。
 「あのときは、最初から政治的な揉め事が起こりそうな雰囲気だった」。
 前述の通り、彼も政治的理由で1994年ワールドカップの出場の機会すら与えられなかったわけで、ボバンの心情はよく理解できるのでしょう。沈痛な顔で語ります。
 1990年ワールドカップに出場できたストイコビッチは、大活躍。そこで一躍有名選手の仲間入をします。ユーゴ代表としてワールドカップに参加するはずだったボバンの姿はもちろん、そこにはありませんでした。

 そして泥沼の内戦が続く。

 ボバンというのはたいへんに良い選手です。
 90年代前半にはイタリアのセリエAで無敵状態だったACミランの中心選手であり続けています。
 ACミランからは、前回のアメリカワールドカップに、バレージやマッサーロという選手が、イタリア代表として出場しています(皮肉にも二人とも決勝ブラジル戦でPKをはずしてしまうのですが)。
 ここでも、彼は僚友たちのワールドカップでの活躍をただ見守るしかなかった。

 ACミランのホーム、ミラノ市はイタリアの中心都市です。経済力もある。そんなチームのレギュラーなのですから、相当のお金をもらえたはずです。プロ選手としての完全な成功。
 一方、クロアチア人としてのアイデンティティは失われたままです。番組ではボバン選手のお父さんも登場します。事業を成功させているお父さんは、内戦時、兵士として戦いました。
 「息子には、おまえがサッカー選手として活躍し続けることが、祖国の人々の励みになるのだ、と言いました。」

 ある日、ボバンはイタリアで、クロアチアのとある教会が爆撃にさらされ、復旧のメドもないまま放置されている風景を、ニュースで見ます。
 番組では、ボバンの寄付によって、改築なった教会とそこの神父が登場しました。
 「ボバンの援助によって、お金はもちろん、それ以上に、われわれは見捨てられてはいないのだと希望を持つことができました」と神父さん。
 郷里の子供たちにサッカー用具も送り続けていたというボバンの言葉。
 「私はクロアチア人として当然のことをしたまでです。」

 またローマでの私の個人的体験談になってしまいますが。
 1994年のローマには、ユーゴからの難民がけっこう多くいました。イタリアと旧ユーゴは国境を接してもいますから。
 ローマ市内の道路には、車の窓拭きで日銭を稼ぐ出稼ぎ民が多くいて、バケツとブラシを手に、信号待ちをしている車に寄ってきました。非ヨーロッパ系の人が多いような印象を受けましたが、ヨーロッパ系の人たちもぽつりぽつり。その中にはユーゴの人もいたのではないでしょうか。

 ボバン選手の登場する番組を見て、ACミランに所属する彼が、アウェイの試合でローマを訪れ、異国の大都市に憔然と立つ郷里の人々の姿に胸を痛める、という風景を勝手に想像してしまいました。

 日本の初出場同様、クロアチアのそれもドラマチックですね。
 日本対クロアチア戦、いまから楽しみです。



 『ワールドカップ』 後藤健生 中央公論社 1998/02/25

 人間の肉体は、生物種としての制限がある以上、時間をかけて鍛えた者同士ではそれほどの差がでるはずもありません。
 では何がサッカー選手の超一流と二流を分けるかというと「インテリジェンス」なんだそうです。
 TV画面のボバン選手の話ぶりから感じられた「インテリジェンス」を、ぜひ試合でも見てみたいものです。

 日本の「インテリジェンス」といえば中田選手ですが、この人は「あの」アジア予選が始まる前から「普通にやれば、行けますよ」と冷静に言い切っていた。
 予選の間「インテリジェンス」を失っていたのは、「絶望的」「自力出場なし」と騒いでいたマスコミと、「上がって」しまった加茂さん。
 「インテリジェンス」中田の普通じゃない「普通」の戦いの成果は、ご存じの通り。

 後藤健生さんも、その間、マスコミの悲観論に流されることなく、「出られるでしょう」と書き続けていたことを、「online magazine 2002 JAPANホームページ」の彼の記事で知りました。
 その「インテリジェンス」に触れたいというのが、『ワールドカップ』を読むきっかけの一つでもありました。

 すぐれた「インテリジェンス」に感動させられるのは、読書もスポーツ観戦も同じこと、というのが最近の私の思っているところです。





 ポルケ「ワールドカップ」。

 オノヨーコ『グレープフルーツジュース』読了。

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