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19980529 オノ・ヨーコ 『グレープフルーツ・ジュース』

オノ・ヨーコ 『グレープフルーツ・ジュース』
 「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 5月28日、『グレープフルーツ・ジュース』(オノ・ヨーコ 南風椎訳 講談社文庫)を読みました。

   * [グレープフルーツ・ジュース] オノ・ヨーコ 南風椎訳

 「オノ・ヨーコ 1933年、東京に生まれる。学習院大学から、アメリカへ渡りサラ・ローレンス大学で、作曲と詩を学ぶ。1966年、ビートルズジョン・レノンと知り合い、'69年三度目の結婚をする。'75年、長男ショーン誕生。'80年、レノンとの共作アルバム『ダブル・ファンタジー』を発表、同年12月8日、目前でレノンを凶弾に喪う。その後、ソロ・アルバムを発表。'90年5月には東京にて作品展「踏絵」を開催。」(カバー 著者紹介)。
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 「この本を燃やしなさい。読みおえたら。--あまりにも衝撃的なオノ・ヨーコの「グレープフルーツ」。東京で、のち英語版として世界で発売されたこの一冊に刺激されて、ジョン・レノンは名曲「イマジン」を生み出しました。その中から言葉をえらんで訳しなおした、33人の写真家との素敵なコラボレーション!!」(カバー 宣伝・紹介文)。
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  「ぼくがこれまでに燃やした本の中で これが一番偉大な本だ。
  --ジョン・レノン 一九七〇年」(中扉)。

 かつて、ジョン・レノンファンの久米さんと「グレープフルーツ」に関するメールを交したことがあり、それ以来ずっと気になっていたその本を、やっと読むことができました。
 年を経て、果実ではなく果実ジュースになっているようですが。

 赤瀬川さんのように、「おのれの家の中の天井裏に、密かに前衛の神棚は奉って」ある(笑)という境地にまでは達していない私ですが、前衛ジョン・レノンの一ファンであった日々を思い起こしました。



 印象に残ったものの中から、一つだけ引用します。
 次のページに配された写真は、田原桂一さん撮影のドアの写真。
「出入りする小さなドアをつくりなさい。
  出入りするたびに、あなたは
  かがんだり、縮んだりしなければならない。
  これはあなたに
  あなたがどのくらいのサイズなのか
  出ること、入ることとは何か、を
  気づかせてくれる。」
 「Make a tiny door to get in and out
so that you have to bend and squeeze each time you get in...
this will make you aware of your size and about getting in and out.」
[DOOR PIECE 1964 spring]

 当然、連想するのは、茶の湯の「躙口(にじりぐち)」。

オノ・ヨーコさんの前衛芸術仲間だったらしい赤瀬川原平さん、赤瀬川さんを特集した番組を見ていたらヨーコさんが登場して驚いたことがあります、の『千利休 無言の前衛』から引用します。
 映画監督でもあった勅使河原宏さんから「千利休」映画の脚本執筆を依頼されて。
「自分でいうのも変なものだが、私の名前の世間的評価というのは、必ずしも良くはないと思う。小説で文学賞をもらっているものの、その前に絵の方では千円札の印刷が法に触れて有罪判決を受けているわけで、どことなくうさん臭い、あれは信用できない、というのが一般的評価ではないだろうか。
 その上私は日本の歴史を何も知らないし、利休のお茶室の床下に来ているといっても、それは最近気づいたばかりのことで、しかも仲間うちでの独断的な位置づけである。外側から見れば、歴史とは無縁の単なる前衛、路上観察といっても芸術学術とは無縁の単なる冗談、というふうに見えるはずだ。もちろんその通りなのであるが、そんな人間に千利休の映画の脚本を頼むとは。
 もしこれが逆の立場で、私が勅使河原の位置にいて赤瀬川に依頼するだろうかと考えて、その大胆さに驚いたのだ。私にはできないのではないか。これは負けたと思った。先を越された感じである。
 しかし私も前衛である。前衛芸術が消えたとはいえ、おのれの家の中の天井裏に、密かに前衛の神棚は奉ってある。それが人に先を越されていいだろうか。
 うーぬ、と唸りながら頭上を見上げた。お茶室の床下である。電話の主は上にいるのだ。私はその電話に、
 「OK」
と答えて受話器を置いた。そして薄暗がりの中で床板を外し、肩で畳を押し上げて、床下から千利休のお茶室に上がり込んでいったのである。
 お茶室には躙り口というものがある。訪れるものは刀を外し、身を縮めて低い小さな躙り口から中へはいる。しかしさらに低く、床下から畳をこじ開けての躙り口はまだ考案されていない。おそらくこれがはじめてのことであろう。」


「グローバル・スタンダード」の岡倉天心茶の本』から引用しますと。
 (今日はあえて、関谷雄輔版ではなく、つい最近出された日英語対照版の浅野晃[1901-1990]訳で)。
「このような下地をもって、客は黙々とその聖所へと近づいてゆくであろう、そうして、もし彼が武士であったならば、その刀を檐下(のきした)の刀架にかけておくであろう。なぜなら茶室はすぐれて平和の家であるからだ。それから彼は低くかがみ、高さ3フィートしかない小さな戸口(躙口)から茶室へと這い入る。この動作は、すべての客に--身分の高下を問わず--義務として負わされたものであった。それは謙譲を教え込むことを企図してのことなのだった。客の席次は待合に休んでいる間にお互いの間で協定ずみであるから、客は一人ずつ静かに入ってゆくであろう、そうして、自分の席につき、まずは床の間の絵または花の配合に敬意を表するであろう。主人は、客がみなその座につき、鉄を茶釜のなかのたぎる湯の音のほかには沈黙を破る何物もないまでに静寂が支配するに至って、はじめて室中へ入ってくるであろう。茶釜は申し分なく歌っている、それというのは、特殊な旋律を出すようにその底に鉄片が並べてあるからである。そうしてその旋律のなかに、人は、雲に覆われた滝の、岩の間に砕けるはるかな海の、竹林を吹き払う雨風の、さてはどこか向こうの丘に立つ松の颯々たるひびきの、こだまを聞くこともできるのである。」(『対訳 茶の本』講談社インターナショナル)


なにしろ、利休さんレノンさんのような優れた前衛精神が生み出す果実が、その後の「ワールドスタンダード」になっていくことは確かなようです。
 二人とも、前衛でありながら金持ちだったのもえらい。本物だ。

『グレープフルーツ・ジュース』 オノ・ヨーコ 南風椎訳 講談社文庫 1998/04/15
 『千利休 無言の前衛』 赤瀬川原平 岩波新書 1990/01/22
 『茶の本』 岡倉天心 千宗室[序と跋] 浅野晃訳 講談社インターナショナル 1998/03/24



 ポルケ「グレープフルーツジュース」。

 午後、須田製版。TARBAGAN - Kitaraのチラシ五千枚を受け取る。約10万円。

 S野さんと円山の茶房「森彦」で待ち合わせ、チラシをそこに置いてもらうようお願いし、うだ話。
 雑貨店「ぐるぐる」へお連れし、私はCD売り上げを集金。
 S井さんを自宅でつかまえて、三人でコンサート準備のお茶の時間。

 そう、嵯峨治彦氏が、アメリカから帰ってくる日でもあったのだ!

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受信: 2006.03.24 06:49

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