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19980720 椎名誠 『草の海』

椎名誠 『草の海』
   「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

 7月19日、『草の海』(椎名誠 写真・高橋のぼる(漢字は、日カンムリに、左下に夕、右下にヰ) 集英社文庫)を読みました。副題は「モンゴル奥地への旅」。

   * [草の海―モンゴル奥地への旅] 椎名誠

 カバーには、「日本の面積の4倍の国土に、人口200万人という超過疎国家モンゴル。山並みの遥か向こうまでなだらかに続く大草原、大地を切り込むように流れる幾筋もの川。人々は車の代わりに馬を駆り、羊や馬を放牧しながら、移動式円形住居ゲルに大家族で暮らす。民主化への急速な転換の中で人も自然も、誇り高く真剣に生きる姿に魅せられた著者の友情と感動のモンゴル紀行。シーナ監督作品『白い馬』原作」


 私の友人等々力政彦氏は今、嵯峨治彦氏とともに「第3回国際ホーメイフェスティバル」参加のため、モンゴルに隣接するロシア連邦トゥバ共和国に滞在中です。

 トゥバ側からモンゴルとの国境を越えて不法侵入したのが唯一のモンゴル体験という等々力氏の口癖は、「遊牧民が素朴で大らかだという思い込みは危険だ」というものです。
 等々力氏は大変に率直な人で、遊牧民の土地に過剰な幻想を抱いている人には、正直に「あなたの考えているような土地は、この世に存在しません」と言ってしまいます。

 今回のトゥバ行きも、同行を希望する人を散々脅かした結果キャンセル続出で、音楽家巻上公一さんと口琴研究家直川礼緒さんというトゥバ体験者以外の「ツアー」参加者は、馬頭琴とホーミーの演奏家「モンゴル」系嵯峨治彦さん他数名。嵯峨さんは、アジア中央部の旅行はまったくの初めて。「トゥバは物騒なところで、現地の友人ももう何人も殺されたりしてる」という等々力氏の体験談にビビりつつも、音楽への情熱の故か、心して旅だって行きました。

 モンゴル民族の文化的影響を強く受けながらも、彼等に抑圧されてきた歴史的関係のためかあるいは単なる近親憎悪か、トゥバ民族はモンゴル民族とあまり仲がよくありません。どちらも「喉歌」(モンゴルではホーミー、トゥバではホーメイ)の伝統を持つわけですが、互いに本家を名乗って譲りません。
 日本では圧倒的にモンゴルのホーミーが有名ですが、ヨーロッパ圏や米国ではトゥバの喉歌のほうが有名です。私もトゥバのものの方が成熟していると思います。

 トゥバの楽曲とモンゴルの楽曲が同所で演奏されるという機会はまずないと言っていいのですが、「タブー」をあっさり乗り越えてしまったのがこの日本人喉歌演奏家二人で、同所どころかそれぞれの曲を同時に演奏するということまでしてしまいました。第三国人にしかできない業ですね。
 そしてホーメイフェスティバルでも、トゥバ民謡にモンゴルの馬頭琴の間奏でコンテストに出場するのです。「モンゴルの曲をトゥバ人の前でやるのは、ヤバイよ」という直川さんの言葉におびえつつ、嵯峨氏は馬頭琴を弾きまくることでしょう。

 そんな二人の「のどうたユニット」がTARBAGAN (タルバガン) http://tarbagan.net/で、この私はほかならぬTARBAGANの1st CDの企画・制作・販売者。6月23日、等々力氏の札幌入り以来7月14日まで、北海道ツアー中のTARBAGANの二人と付かず離れず、行動をともにしてきたのでした。

 7月3日、TARBAGANの二人とともに、会ってお話を聞く機会を持てたのが、高橋のぼるさん。
 『草の海』の写真家さんであります。


 高橋さんは、あの篠山紀信さんのお弟子さんです。
 もう亡くなって十年近くたつ作家の故開高健さんがあの名作『オーパ』の同行カメラマンとして選んだのが高橋さんでした。『オーパ』シリーズをご存じの方はおわかりと思いますが、あの本は高橋さんのすぐれた写真集でもあります。

 紀信さんのお弟子さんはたくさんおられ、その中から何故高橋さんが選ばれたのか?
 高橋さんによれば、開高健さんが出してきた条件は三つ。なんでも食べられること、どこででも寝られること、スケベであること。
(私は高橋さんのすぐ横でお話を聞けたのですが、確かになんでも食べてどこででも寝られてスケベそうな人でした。かつ、優しくおだやかで誠実そうな印象。見た目はものすごく恐そうなんだけど)
 そして開高健さんが選んだのが高橋さんだったんだそうです。
 以後、高橋さんは、一流のカメラマンとして活躍することになります。

 札幌在住のO沼Y徳・K子さんご夫妻に今回の歓談の場を作っていただいたのですが、O沼ご夫妻と開高健さんとのいきさつ、またO沼さんとTARBAGAN・田原とのいきさつも面白いものでした。

 現在、札幌で地方誌の編集・発行をしてらっしゃるO沼Y徳さんは、趣味で豆本を作っておられ、開高健さんの存命中に「開高さんの豆本を作りたいのです」と作家に直接お手紙したところ、なんと速達で快諾の返事。
 K子さんのお話では、そのときの手紙はまだ大事にとってあるとのこと。
 以来、開高さんとの家族ぐるみのおつきあいが始まったのだそうです。雑誌『太陽』の開高健特集には、その辺のいきさつを書いたO沼Y徳さんの文章が収録されています。

 高橋さんにお会いする前々日だったか、偶然、私は仕事上のお話でO沼K子さんとお話していました。
 O沼Y徳さんに嵯峨氏を紹介した人がたまたま、O沼さんが音楽CD制作の企画をして、プレスの安いところを探しているということで、私のところを紹介してくれたのです。(ちなみに、CD-ROMと音楽CDをそれぞれ一枚制作しましたが、私はプレス業者ではありません。が、仕事は喜んでさせていただきます)
 北海道では名の通った私立女子大、中島みゆきさんの出身校、を卒業されたというO沼K子さんとの、仕事の話を終えての雑談は大層面白いもので、ついつい話こむうちに、双方国文科系の人であることがわかり、話は開高健さんに及んだのでした。
 「国文科の人間には、あの開高健さんに堂々と原稿使わせて下さいなんて手紙書けないわよね。でもあの人(O沼Y徳さん)美術系だから、それができちゃったのよね」

 翌日、O沼Y徳さんからFAX。
 「田原さんの開高先生のファンであったとのこと。これも開高先生の手引きかもしれません。田原さんも、明日、是非、高橋さんとお会いになりませんか」

  会わいでか!


 高橋さんは、北海道の出身。
 子供のころ、なんのおもちゃも持たなかったものの、豊かだった自然の中でひたすら遊んだ経験が、アマゾンからアラスカ、モンゴル、南アジアまで、何の苦もなく旅行できた理由の一つではないか、といっておられました。

 「人と接するには二つのやり方がある」という話も印象的でした。
 「一つは、とことん違いを見定めていく方法。
 もう一つは、なんだこいつも同じじゃないか、というふうに共通点を見つけていくやり方。
 ぼくは共通点を見つけていきたいんだよね」

 多くの言語が自然に流れる環境で生き生きと生きていけば、人間は「否応なし」その場に流れる言語を習得するというコンセプトで、多言語活動・国際交流を行っているヒッポ・ファミリー・クラブの会員の私は、まるで「ヒッポ」の人みたいな事をいう高橋さんに驚きました。

 また、アジア中央部に多く分布し、超絶技巧とされてきた「喉歌」(ホーメイ/ホーミー)を、等々力・嵯峨といういわゆる「理系」の人がマスターしてしまうのも、「自然の中に潜む共通点」を探し出す「理系」の人の物の考え方の所産かとも思えます。
 アジア中央部の人間に出せる音(人間の音声に含まれる倍音成分をピックアップして増幅し、それを「歌わせてしまう」!)が、万国の人間に出せないはずがないのです。
 アジア中央部の人々と我々の差異は、その音が自然に流れてくる環境にあるかどうかの違いだけのようです。聞こえない音は、口に出せない!

 そんな高橋さんですから、「ハマって」しまうのだそうです。
 どの地を訪れても、その土地の人々とのつきあいが愛しいものになってくる。一期一会という言葉が頭に浮かぶ。
 帰りの飛行機では、剛直な見かけに似合わぬ涙を皆に見られないように、タラップに向かう隊列の一番後ろを歩く。


 さて、開高健・椎名誠というような人と日常的に仕事しているような人に、自分はどんなように写ったのでしょうか。
 何せ「見る」ことが仕事の方ですから、ちょっと怖いような気がします。
 本当は、利尻島の野外で育った人なのですが、見た目「路地裏」系にしか見えない私です。

 いささか緊張気味の私に、O沼さんが救いの手を。
 「開高さんが書かれた北海道の話、田原さん、読まれたことありますか?」
 「えーと、あの、開拓に入って、熊笹を刈り続ける話がありましたよね。あれ、関西人がよくここまで書けるなと驚きました。」
 「そうそう『ロビンソンの末裔』ですよね」

 その後ひとしきり、凡人には想像しがたい、作家の想像力についての話。

 「文系」とされる人も、人間の究極を突き詰める想像力を持つと、「差異」ではなく「共通点」を描く域にまで達することができるということでしょうか。

 やはり多少気圧された雰囲気の嵯峨さん(あのユーミンのコンサートにゲスト出演して、何千のお客さんの前でもあがらなかったという人。ユーミン御大にさえあきれられる)にも、O沼さんの一言。
 「嵯峨さん、どうぞ。何か質問はありませんか。」

 後刻、その場にいたTARBAGAN関係者(私と女性二人)にさんざん冷やかされる結果になった、嵯峨さんの突然の質問。

 「モンゴルの宴会は、どんな風に始まるのですか?」

 私には想像を絶する質問で、なぜ嵯峨はこんな質問を初対面に人にするのだ?という疑問で、笑いがこらえるのに力を注いで、高橋さんの答えは聞き忘れました。
 音楽の演奏も好きだが、その後の打ち上げがもっと好きという嵯峨さんらしい質問でした。


 さて、椎名誠さんの『草の海』をだしに、高橋さんを語ってまいりましたが、『草の海』の椎名さんのあとがきには、こうあります。
 
「ぼくにこの草原の足場をつくってくれた岩切靖治氏と、モンゴルの基礎知識を教えてくれた鯉淵信一教授、そして本書の写真とキャプションを担当してくれ、なおかつこの旅の間会話の楽しさを存分におしえてくれた写真家の高橋のぼる氏に沢山の感謝をします。」

 その楽しい会話の名手とのひとときも終わりに近づきました。
 「一期一会」にはしたくないなあと思っていたなら、「タルバガンの写真、いっぱいあるから、今度のCDジャケットにぼくの使っていいよ」の一言。
 表には名前だけが書かれた名刺、さすが篠山紀信系、をいただきました。

 TARBAGANは、アジア中央部に広く分布する地リスの仲間で、近種にはプレーリードックがいます。
 トゥバの音楽とモンゴルの音楽を演奏する二人にふさわしい名前はと考え、トゥバ語・モンゴル語に共通する語彙から、現地の人々に生活に密着したその動物の名を、そのユニットの名前にしたのです。

 TARBAGANの1stCDと等々力氏のトゥバのCD-ROM写真集を高橋さんに進呈。
 等々力氏が撮ったトゥバの風景写真を使ったCDジャケットを見て一言。
 「俺なら、もっとうまく撮れるよ。」


 なかなか私の筆力では、その会話の妙を再現できませんので、嵯峨さんが録音し、その日の彼のFM番組で使った部分をテープ(MD)起こししてみます。

 まずは、「モンゴルの何もないことの豊かさ」について。

 『モンゴルの無について語る』

「モンゴルだってさんざん行ってるとさ、この何もないってことがなんなんだろうっていう、妙に哲学的になっちゃうとこなんだよね。この物のなさ。ないっていうことの、なに、逆にいえば、豊かさっていうの? 人の心であり、その、雲を、草原にひっくり返って雲をさ、半日見てたって飽きないもんなあ。おお、また、この雲ずっーと世界中回ってんのかなあ、なんてふと思いたくなるくらいさ。
 (大沼さん:日本では見てもそうは思えないですねえ)
 ああ、限られちゃうものな、ぼーっとしてる時間もないしさ。草原に座りこんでたって、ああ馬行ったあ、とかさ、あ羊きたあ、とかさ、あ鳥飛んでったあ、とかっていうこと、考えてるとさ、考えてんん、目の前にあることだけでも、充分楽しめちゃうというかさ、だから、そのお、変な日本人が行くとね、それじゃ、あのう日本人の遊び方あ、っていうのはヘタだと思うけど、目的があって行くじゃない、あそこ行ってなになにするんだ、とかさ、馬に乗るんだとか、ね、あのお、それこそ泳ぐんだとかさ、その目的っていうか遊び方を含めて、なんかちょっとそやってないと駄目なんだけど、・・・・」

 『タルバガンについて語る』

「ほんとはね、あのお、皮が売り物だから、政府の方針では、あの、皮っていうか、肉と皮の間が一番うまいんだよ。いや、肉と・・・、皮だよねだから、それがうまいんで、あの食っちゃいけないって、だって、皮、皮食っちゃうんだからさ、皮取れなくなっちゃうんで、だけどもそれが一番うまいってんで、ま、それはま、日本だってな、隠れてやることいっぱいあるわけだから、そういう意味じゃ、あの隠れて食うわけですよ。これが、ウマイ!
 (O沼さん:塩味?)
 塩味。あのねえ、日本、日本っていっても、あのほら、あの、北海道は特にわかるけれど、牛乳缶ってあるでしょう、昔の、あれんなかに石をね、カッチンカチンに焼いて、んでその皮ごとバラバラにしたやつとカチンカチンの石と、また肉入れて石と、っていう積めあわして、ボンとふたしてさ、それでまた、要するにまた、蒸し煮、蒸し煮だよね。んで、塩味。まあ、その石は取り出してきて、まあ、羊でもそうなんだけれども、それは、コロコロコロコロ、あつあつって持ってて、健康になるとかいうやつで(笑)。
 それで、タルバガンはね、肉はなんちゅったらいいかな、なんていえばいいかな、あのお、うさぎ、のうさぎみたいな、けっこう歯ごたえあってね、けっこう油っぽいし、なかなか、なかなかの味っていうかね、熱いときもよし、さめてまたよし、というねえ、まあ、彼等はタルバガン食うの大好きよ。
 うまい奴だと、もう、あっという間に四五匹撃ってくるけどね、ちょっと行ってくるわあ、っちゅう。二十二口径のライフル持ってって、耳の奥、パーンって射抜いてさ、持ってくるよ。
 うーん、タルバガン獲るときは、あの、だいたいま、ちょっと白っぽいものを着て、要するにタルバガンっていうのは、あのお、ものすごい怖がりなんだ、あっという間に穴ん中、潜りこんじゃうんだけど、あの、好奇心もものすごい旺盛だから、その、ちょろちょろひらひらするしたもの見てるうちにさ、どうしても、なんか、アアー、どうしよう、思ってるうちに、外に出てきちゃうわけよ(笑)。
 駄目なんだよお、危ないんだから! って、そう言われて、なんか悪い男につかまっちゃうようなさ、そういう女の子もいたりさ、あいつは性悪な女だからやめなさい、って言ってるのに、その性悪い女のほうについつい行ってしまうような、そういう男がいたりという、そういうそんなもんでヒラヒラしてる、ヒラヒラしてたりするとさ、ついついパーンとやられてしまうというさ、なんかあのお・・・。
 (等々力:生物の共通の弱さですね)(笑)」

『草の海』 椎名誠 写真・高橋のぼる 集英社文庫 1995/06/25
 ISBN4-08-748346-0 本体価格:563円



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