19981006 金子達仁 『決戦前夜』
金子達仁 『決戦前夜』
「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より
「何をいまさら本」であります。
今年二月の発行とはいえ、内容は昨年のワールドカップ予選での、サッカー日本代表のインサイドレポートで、はっきり言って「旬」のもの。本番のワールドカップが終わってしまった以上、過去の話ではないか? それでも一気に読み終えてしまいました。
なぜか?
実はこの本、表向きの「ワールドカップ」本「日本代表
」本ではなく、まったくの「中田英寿
」本なのです。
そこが面白い。
サッカーに興味のない方でも、現在中田英寿という21歳の青年が、単身、本場イタリアのリーグで活躍中というニュースはご覧になったことがあるかと思われます。
この中田君、すごい人です。
そんな人間と同じ時代に生きて、リアルタイムでその活躍が見られるという幸福を逃す手はありません。
悲願のワールドカップ出場を、ワールドカップで一勝を、と騒いでいる間にも、中田選手は確信犯的に「ワールドカップ後」の、自分自身の、ヨーロッパでの活躍をイメージできていたようです。
ほとんどそのイメージに沿うかのように、予選を突破し、本大会で敗退し、単身ヨーロッパのリーグへ。
イメージする力なしには、なにごとも変えられないし、新しい世界を造り出すこともできない。
そんな「力」を得るためのトレーニングツールとして、たまたまサッカーがあった、というのが中田選手の場合かもしれません。(「キング」カズの立場は!)
金子達仁さんは、「中田を語らせるなら、この人」というわけでもないでしょうが、今やスポーツ報道の現場で引っぱりだこのようです。
一昨日も、「情熱大陸
著者紹介によれば。
「金子達仁(金子達仁)
1966年生まれ。法政大学社会学部卒業。「スマッシュ」編集部、「サッカーダイジェスト」編集部記者を経て、95年独立。スペイン・バルセロナに居を移し、執筆活動に専念する。(中略)97年、帰国。(後略)」
本文中から金子さんと中田君の対話を中心に抽出し、ダイジェスト版を作ってみます。
「私は聞いた。
「でも、いまの調子じゃ前園が代表に戻るのは当分無理だろうし、たぶん、監督はいまのメンバーで最終予選を戦っていくつもりだとも思う。で、日本はフランスに行けると思う?」
今度は、彼は何の迷いも見せずに答えた。
「うん、よほどおかしなことでもしない限りね」
「その根拠は」
こともなげに彼は言った。
「だって、俺、いままでもそうやってワールドユースにもオリンピックにも出てきたもん」」(「それぞれの決戦前夜」22P)
最終予選第一戦、対ウズベキスタン、6-3。
「しばらく、答えは返ってこなかった。
「やっぱり、トップがカズさんじゃ厳しいよ。スペースに走り込むタイプの人じゃないし、がっちりとポストプレーができるタイプでもない。あえて言うなら、ゴール前のチャンスをかぎ分けるのが得意な人でしょ。だったら、後ろから押し上げて、カズさんがゴール前に近いところでプレーできるサッカーをしなきゃいけないのに、全然、そうしないんだもん。岡野(雅行)とかモリシ(森島寛晃)を使ってくれたら、もっとやりようはあるんだけど・・・」
知り合ってから、初めて聞く愚痴だった。6-3という大勝を、彼はまるで喜んでいなかった。
そして、衝撃的な一言が漏れた。
「もしかすると、フランス、行けないかもしれないよ」」(「予兆」45P)
第二戦、対UAE、0-0。
「「もういいよ、次のこと考えますよ。予選が終わったら、どこか外国のチームのプロ・テストでも受けにいきますよ」
さすがにここまで言って、彼も自分が興奮状態にあることに気づいたのだろう。
「まったく、金子さんも少しは着るものに気を使ったら? 国家吹奏の時から見えてたよ、その汚いシャツ。そんなのいつも着てるようじゃ、絶対に一流のジャーナリストってやつにはなれないね」
しばらく、彼は私をからかい続けた。からかうことで、ついさきほどのショックを忘れようとしているようだった。
据置式のクーラーに腰掛け、二十分ほど話しただろうか。じゃあ、と立ち上がりかけた彼は、思い出したように言った。
「俺、予選を一位で突破するには6勝2分けがリミットだと思ってたんですよ。ここで引き分けちゃったら・・・これから苦しくなりますね」
顔には笑顔が戻っていた。だが、監督が浮かべていたのとは、まるで違う笑顔だった」(「暗雲」66P)
第三戦、対韓国、1-2。
「記者会見を終えて外に出ると、すぐに電話が鳴った。
「やられましたよ」
冷静な口調だった。何人かの記者から、私はフィールドから引き上げてきた彼がクーラーボックスを力一杯蹴りあげたという未確認の情報を耳にしていた。しかし、どうやらそれはデマだったらしい。受話器から聞こえて来る声は、大一番に敗れたばかりとは思えないほど落ち着いていた。
「おかしいなとは思ったんですよ。先制ゴールが決まった時、ベンチが狂乱状態になっちゃってるんだもん。おいおい、まだ試合は終わってねえよって思ったら案の定でしょ。あのままのサッカーを続けてれば3-0で勝てた試合だったのに・・・」
どうやら、彼が「やられた」という言葉の前で省略した言葉は、韓国ではないようだった。」(「暴挙」88P)
第四戦、対カザフスタン、1-1。
「さばさばとした表情だったのは中田だけだった。
「負けてたとしてもまだ可能性は残ったわけでしょ。大丈夫じゃないかな」
どうやら彼は、今度ばかりは強がりでも虚勢でもなく、本心から大丈夫だと思っているようだった。一度は捨て鉢になりかけたように見えた男が、再び強気の姿勢を取り戻していた。」(「激震」109P)
第六戦、対UAE、1-1。
「「もう終わったでしょ」
彼らしくない言い方だった。「終わったよ」というのであればわかる。しかし、語尾には問いかけるような言葉が付け加えられていた。極めて苦しい状況に追い込まれたことを知っていながら、自分ではそれを認めたくない、他人に自分の考えを否定してもらいたがっているような、ことサッカーの話に関しては、普段の彼では考えられないような口調だった。外国での生活やコンピューターの使い方など、彼にとっては未知の分野について話す時にしか聞くことのできない口調だった。
私は、何も言えなかった。
「予選が終わったら、スペインにプロ・テストでも受けに行きますか。当然、金子さんは通訳として同行ね」
自分は少しもショックを受けていないことを強調するかのように、彼は明るい口調で言い、続けて冗談だよというように笑った。
私は、何も言えなかった。」(「絶望」129P)
第七戦、対韓国、2-0。
「マッサージを終え、グランドハイアット・ホテルの一室で身体を休めていた中田のもとに電話が入ったのは、夜も十時近くになってからのことだった。
片言の英語と日本語が入り交じった会話を終えた彼は、森島寛晃を呼び出し、連れ立ったホテルのロビーへと降りていった。
間もなく、電話をかけてきた主が、がっちりした体格の男を伴って姿を現した。
「おめでとう。一緒にフランスへ行こうな」
洪明甫(ホン・ミョンボ)と高正云(コ・ジョンウン)だった。
祝福の言葉とともに差し出された手を、彼はしっかりと握りしめた。」(「自信」149P)
第三代表決定戦、対イラン、3-2。
「試合終了直後、彼はいたって平静だった。嬉しくないはずはない。春先から上半身の強化に努め、外国人選手に当たり負けしない身体作りをしてきたのも、様々な不満を呑み込み、周囲との円満な関係を築くことに腐心してきたのも、すべてはワールドカップに出場するためだった。だが、すべては終わった。もう、二十歳らしい素顔をさらしてもいい時だった。
「いやいや、あんなに嬉しそうな金子さんの顔、初めて見たね。ダメだよ、出場が決まったぐらいで記者がそんなに喜んでたら」
試合が終わってから数時間後、彼はまたしても憎まれ口を叩いてきた。もう一度、私は本気で頭を殴ってやろうかと思った。
だが、顔を見て考えが変わった。
あんなに嬉しそうな中田の顔を見たのは、初めてだったからである。」(「伝説」181P)
『決戦前夜 Road to FRANCE』 金子達仁 新潮社 1998/02/25 ISBN4-10-422101-5
ポルケ金子達仁『決戦前夜』。
TARBAGANの12月ツアーのセッティング中。
名古屋は9日10日で、ほぼ決定。
大阪は、12日吹田メイシアターと、16日大阪国際センターを仮押さえ。
「モンゴルオルゴ」スーチンドロンさんに電話するも、12月はどうでしょう・・・、という返事。
やればお客さんは来てくれると思いますが。
等々力氏から電子メール。
トゥバの若手ユニット「ユジュム」のツアーに、通訳兼演奏家として、同行しているのだけれど、彼等の演奏の素晴しさに、「演奏する気も失せる」という、等々力氏らしいコメント。
九月からジムに行っていないので体がなまってきている。
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