19981117 河谷史夫 『読んだふり』
河谷史夫 『読んだふり』
「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より
10月28日、『読んだふり 書評百片』(河谷史夫
洋泉社)を読みました。
著者河谷史夫さんは、朝日新聞編集委員で、同紙読書欄に現在も書評を掲載中。
副題に「書評百片」とあるように、1994年から三年半あまり読書欄で紹介された文章百編ほどを、一冊の本にまとめたもの。
ブックガイドとして読むもよし、一新聞記者の読書術・読書観を通して未知の世界に触れるもよし、というところでしょうか。
◆◆ 「私の二十世紀書店」の謎 ◆◆
1982年に発行された『私の二十世紀書店』は、私の大好きなブックガイド本の一つです。その著者長田弘さんの『われらの星からの贈物
』の書評から、『読んだふり』は始まります。
「この世には、二種類いる。はあ、そうですか、と読み進むうちに、ちょっとひっかかる部分が。
生きていくのに本など必要としない人間と、本を読まないわけにはいかない人間と。」
長田弘さんの優れた仕事として『私の二十世紀書店』を紹介しているのですが、その書名が「私の二十世紀図書館」となっているのです。
相手はエスタブリッシュメントといっていい新聞社ですから、こちらの勘違いかと心配になり、書棚の『私の二十世紀書店』で書名を確認し、中公新書の解説目録で再確認(1997年版)。やはり「図書館」ではなく「書店」でした。
新聞掲載時から「図書館」だったとしたら、「書店」だよというクレームが各所から寄せられて不思議はないと思うのです。「書店」と正しく初出されていたならわざわざ「図書館」にすることもなかろうし。
そのマスメディアの一日あたりの発行部数、特定欄の読者数、等々、思いを巡らせたのでした。
ちなみに。
最近は、朝日新聞読書欄のホームページが充実(http://book.asahi.com/)し、過去の書評・広告等検索可能になりました。
で「私の二十世紀」で検索してみると、ちゃんと河谷史夫『われらの星からの贈物』の書評が登場。
しかも、『私の二十世紀書店』になっている。
デジタルメディアの方が修正・加工が簡単なのは確かですものね。
長田弘さんの『私の二十世紀図書館』という幻の本を読んでみたい気もします。
◆◆ 「何々と思われる」 ◆◆
杉本秀太郎 『桑原武夫-その文学と未来構想
』の書評から。
「「いい文章とは論旨のはっきりとした簡潔な文章である」を基本とした桑原は「何々と思われる」という言い方を殊の外嫌ったとある。「こういう思われるなどという言い方は自分の発言に対する責任の回避の態度であって、大体逃げ腰である。実際にものを書く以上は、もっとしっかりと自分の言うことについて自信を持って書かなければならない。思われるではなくて、私は思う、あるいは何々である、というふうに断定的に書くべきだ」私の文章には「何々ではないでしょうか」というのが多いですね。
まことにもっともなことと恐れ入るほかないが、しかしその『文学入門』の書き出しは「文学は果たして人生に必要なものであろうか。この問いは今の私には何か無意味のように思われる」となっているというから面白い。」
私も「逃げ腰」野郎、ではないでしょうか。
◆◆ 一冊のみ ◆◆
この「ポルケ・ブック・レビュー」で紹介した本も100冊を越えています。
河谷さんの書評と重複する部分があればと思ったのですが、共通の読書体験は唯一『犠牲(サクリファイス)--わが息子・脳死の11日』のみ。
河谷さんの文章を引用しますと。
「柳田邦男といえば『マッハの恐怖◆◆ バビロン行きの夜行列車』以来、私ども記者にとっては必修課程の一人である。ていねいな取材、抑制の利いた表現、人間を見る目の限りない優しさ。生と死を主題にひたひたと作品を刻み続ける姿は、あまたいるノンフィクション作家の中でも傑出した存在である。
あの人が、こんな不幸を耐えていたのか。驚きとともに訪ねた人は、ただならぬ悲哀の中にありながら恐らくは思い出すのもいやに違いない問いにも誠実に答えてくれた。その時のことは新聞の「ひと」に書いたが、息子を死なせた父は病妻を抱え、刃のこぼれた剣一本で辛うじて立っているというふうだった。以来一年余、加筆された出来上がったのがこの本である。いまや剣は研ぎ直されたというべきか。作家精神再興の息吹に触れた思いである。」
そんなこんなで朝日読書欄のWEBページを眺めていたなら、知った名前に出会いました。清水義範さんでも、ましてや小林よしのり
さんでもない、よしのり、清水良典
さんです。
何度かお会いする機会があった(向こうはこちらのことを覚えていないでしょうが)良典さんは、今や文芸評論家として書評委員をされているのでした。
その良典さんのブラッドベリの書評の引用を。
「中学生のころだった。レイ・ブラッドベリが突然、私のもとに降臨した。それまで外で悪さばかりしていた私に、SFというジャンルを超えて、密室で夢中になって活字を読むことの陶酔や、恐怖や幻想に耽(ひた)ることの悦楽を、彼は初めて教えてくれた。今でもそのころシビれた短編集『10月はたそがれの国『バビロン行きの夜行列車』 レイ・ブラッドベリ著 金原瑞人・野沢佳織訳 角川春樹事 務所・306ページ・2,600円 、だそうです。』は、掛け値なしに傑作だと思う。その他『火星年代記
』や、トリュフォー
の手で映画にもなった『華氏四五一度
』など、彼の代表作を紹介していけばきりがない。だが、いつしか彼は“なつかしい”作家となっていった。
そのブラッドベリが老大家となって久々に発表した 短編集が本書である。二十一編の作品を、私はもう中学生のときのように一晩ではなく、休みながら何日かかかって読んだ。それでもページから、やはりブラッドベリの小説の香りが吹いてきた。窓の外の夜の闇(やみ)の濃さ、乾いた風にうなるサーカスのテント、追憶の甘味と時間の残酷さ。昔ほど色彩と刺激は強烈ではないのは、私の感度が摩耗したからか。しかし人生の年輪によってたっぷり苦みを増したペーソスや、意地悪なユーモアは、しっかりと味わうことができた。
(後略)」
私も久々にブラッドベリが読んでみたくなりました。
『読んだふり 書評百片』 河谷史夫(1945- ) 洋泉社1998/02/09
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