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19990225 横尾忠則 『波乱へ!! 横尾忠則自伝』 / 意思ある人

横尾忠則 『波乱へ!! 横尾忠則自伝』
  「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より

 1999年02月16日、『波乱へ!! 横尾忠則自伝』を読みました。

   *

 カバーの宣伝コピー:
 「「不思議なことが重なり、偶然が偶然を呼び、思いもよらない事物や人が自然と集まって願望が達成してしまう。しかし願望が実現するまでのプロセスといったら、天国と地獄の間で往復運動が繰り返されるみたいで、スリルに満ちている」--明日は何が起こるかわからない、波乱が日常の横尾忠則的'60~'80年代満載。解説・荒俣宏

 カバーの著者紹介:
 「'36年6月27日、兵庫県生まれ。美術家。'69年、第6回パリ青年ビエンナーレ展版画大賞。'72年、ニューヨーク近代美術館で個展を開き、国際的に高い評価を受ける。'81年、グラフィックデザイナーから画家へ。パリ、ベニス、サンパウロ・ビエンナーレに出品。講談社出版文化賞、毎日芸術賞受賞。現在、作品が国内外80の美術館に収蔵されている。著書に「インドへ」「地球の果てまでつれてって」「導かれて、旅」「私と直観と宇宙人」(以上文春文庫)、「横尾忠則全絵画」(平凡社)、「名画感応術」(光文社文庫)他多数。」

 「話が途中で終っているのは雑誌が休刊したためだ」という、横尾さんが上京した1960年から1984年までの二十四年間の記録。
 ジャンルを超え、世界をまたにかけ、仕事をしまくる横尾さんの姿と、その周囲に吸い寄せられてくる人々の人間模様。四半世紀の「トンガった」人々の固有名詞の数多さ!
 目がまわります。


 三島由紀夫さんとの関わり:
 「一九七〇年十一月二十五日、正午。
 ぼくはベッドの上で痛い足を投げ出して本を読んでいた。そこへ近所に住む高橋睦郎から電話が掛かってきた。彼の沈んだ声にぼくは不吉な予感を抱いた。
 「三島さんが自衛隊に乱入したよ」
 テレビの画面では陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室のバルコニーに立って、何やら大きい声を張り上げて演説している三島由紀夫の姿が映し出されていた。一瞬判断がつかなかったが直感的にヤバイと思うと同時に、「ついにやったか」という想いが全身を駆け抜けた。アナウンサーが「三島」と呼びつけでしゃべっているのがとても恐ろしく聞こえた。やがて三島由紀夫の割腹自殺が報じられたが、とても現実の出来事とは想えなかった。
 だって三日前の二十二日夜、ぼくは三島さんと長々と電話でしゃべった。三島さんは必ず午前十二時までに帰宅する習慣があることを知っていたぼくは午前十二時に電話を掛けた。三島さんはまだ帰宅していなかった。もう間もなく帰ってくるわよ、とおっしゃる夫人としばらく雑談を交していたが、やがて三島さんが帰ってきた。
 「雨の中こんな遅くまでご苦労様です」
 思わずぼくの口をついて出た言葉はとんちんかんなものだった。一瞬電話の向こうで三島さんのひるんだ様子が電話からも伝わってきたので、何か後ろめたいものが三島さんにあるように思えた、後でわかったことだが、この夜は自衛隊に乱入した五人との打合せのあった日だった。
 この日を入れてぼくは三回も三島さんをギョッとさせている。最初は三島さんが映画『人斬り』に出演した時だ。プレミア・ショーで、映画が終わった時、ぼくの後に座っていた三島さんが、
 「横尾君、大丈夫か、生きているか、怖かっただろう」
 と自分の切腹シーンを話題にした。
 「三島さん、映画の中で本当に腹を切って死んでしまった方が凄かったのに残念だったですね」
 とぼくはことばを返した。急に三島さんの顔が真剣になって、周囲の人に聞こえないようなうんと低い声で「どうして君はそんなことがわかるんだ」といって睨みつけた。その時、ぼくには三島さんの発した言葉の意味がよく理解できなかった。
 そして二度目はぼくの入院中に見舞いに来て、写真集『男の死』の撮影を急ぎ、もう日時があまりないと連発している三島さんいぼくは思わず「自衛隊に入るんですか」といってしまったときだ。この予感は見事的中したわけだが、その時の三島さんのギョッとした顔は今でも忘れられない。決して三島さんの死を予見したわけではなく、ふと無意識に出た言葉が三島さんの秘密の部分に触れたのだろう。
 三島さんとの最後の電話での会話はおおよそ次のような内容だった。
 「君はいつまで歩けない、歩けないといっているんだ。俺がその足を治してやるから、早く君も『男の死』の写真を篠山君に取ってもらいなさい。俺の分は全部終わった。あんまり、ぐずぐずはしておれないんだよ」

 「『薔薇刑』の装幀は素晴しい。あの俺の裸像は涅槃像だろう。きっとそうだ、あれは俺の涅槃像に決まっている。ヒンズーの神々を配したのはそのためだろう。君はこの作品で何かをつかんだように思う。インドへ行ける者と行けない者があるが、これで君はいつでもインドへ行くことができるようになった」

 「『芸術生活』に連載している君の日記を読むと愚痴ばかりだ。もっと強くならなきゃダメだよ。また高倉健が見舞に来てくれたことを書いているが、俺が見舞に行ったことは一行も書いていなかったじゃないか。あれは一体どういうわけだ」」
(235-238P)

 レノンとヨーコと横尾忠則:
 「ジーッという玄関のベルが鳴ってまた誰かがやってきた。全員の視線が玄関のドアを開けて入ってきた二人の男女に釘づけになった。黒いベレー帽に全身黒ずくめの東洋人の女性と、ラフな濃いグレーのスーツの長身の眼鏡の男性が、オノ・ヨーコジョン・レノンであることは誰の眼にもすぐわかった。全く予期しない人物があらわれたためにスタジオ内は一瞬静寂と化した。
 ジョンとヨーコがジャスパー(田原注・ジャスパー・ジョーンズ)と言葉を交わしていたが、いきなり三人がぼくの方に向かって歩いてきた。そして最初にぼくを紹介した。ジャスパーが紹介したい人がいるといったのがまさかこの二人だとはその時まで想像だにしていなかったので、ぼくは興奮して喉がからからになってしまった。世界中で一番会いたかった人が目の前にいるという現実を、本当に現実と呼んでいいのだろうかと思うほどで、この場の何もかもが、虚ろに見えるほどだった。
 ジャスパーの心にくい配慮でディナーの席はジョンの隣だった。カタコトの英語しかできないぼくは二言、三言ジョンに話しかけたが、その返事の英語はほとんだわからなかった。驚いたのはジョンの右手の親指が日本のテレビでよく見かける有名な指圧師のそれとそっくりだったことだ。ギターの演奏によってすっかり変形してしまったのだろう。この指を見ただけで、ジョンがただ者でないことがわかる。」
(257-258P)

 ジョンとヨーコの家に招待された横尾さん:
 「ジョンは相変わらず落ちつきがなく二つの部屋を行ったり来たりしている。アシスタントが買ってきた数枚のネルのカウボーイ・シャツを片端から着たり脱いだり、かと思うと今度はプレスリーに「ブルー・ハワイ」のレコードを掛けて、ぼくをベッド・ルームに呼び、ヘッド・ホーンで「この部分を聴いてみてくれ」とプレスリーが喉を震わせながら歌う個所を何度も聴かせてくれた。
 やがてジョンとヨーコはベッド・インをしてしまった。そしてぼくをベッドの傍らに座らせた。ベッドの脇の床には日本の雑誌が山積みにされていた。ある日本の音楽評論家が自分たちのことをよくいわないけど、あの人は一体どういう人? とヨーコさんは日本の状況を気にしてぼくに聞いた。ぼくとヨーコさんが話をしていると、ジョンはベッドの中で日本人同士の日本語の会話の一部をオウムのように真似したり、自分の知っている日本語「ドウモアリガトウゴザイマシタ」とか「ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ」と横から雑音を入れるのだった。まるで自分に関心を抱かれていない子供が母親にアピールしているようでおかしかった。ヨーコさんとぼくの共通の関心はUFOなどの超常現象だった。ジョンはUFOにはあまり興味を持っていないようだった。だけどその後出したアルバムには「ついにぼくはニューヨークでUFOを見た」というメッセージが記されていた。」
(259-260P)


 1980年のニューヨーク近代美術館 ピカソ展で啓示をうけ「画家」になる横尾さん:
 「人間の運命なんて全くわからないものだということがこの旅行によって証明された。ニューヨーク近代美術館の入口を這行った時はまだぼくはグラフィックデザイナーであったが、その二時間後出口に立った時は、例は悪いがまるで豚がハムの加工商品になって工場の出口から出てくるようにぼくは「画家」になっていたのである。」(383P)

 「だが多くの画家は純粋芸芸術の探究という名目に寄りかかって観念に縛られ、自己の様式の虜になり、真に忠実に自らの本能的欲求に従うことから逃避して、芸術という制度の中に安住し、いかにも近代主義的であることに何ら疑問も抱かないまま芸術のための芸術を生産している姿をあまりにも多く目にしている。ぼくはピカソの率直な感情表現に人間の本源的な生き方を突きつけられたのであった。またそこから芸術が神の愛の代弁者として鑑賞者の魂に語り掛けてくる力さえ感じたのだ。
 世間ではある種の不評を買っている彼の晩年の作品にぼくはピカソの自然体ともいえる我儘がそのまま表出しているように思えた。まるで呼吸するように何の躊躇もないただ描きたいように描いている。腕組みをして頭を抱えて苦悩の末、手にした観念の牢獄で描かれたような作品はそこにはなかった。絵画が絵画として自立していようがいまいが、そんな近代主義からも自由であるようにぼくには思えた。だからこそピカソの晩年の作品はどこか文人画扱いを受けて評価が低いのかも知れないが、ぼくはむしろその解放された感情表現に宇宙的な愛のようなものを感じたのである」
(386-387P)


 横尾さんは、生まれつき人をひきつける魅力を持った人なのだろうな、と感じました。
 実は、たいていの人はその魅力をやはり生まれつき持ってこの世に現われる。赤ん坊の時代がその魅力の発現期で、この時期見る人をひきつけずにいない人もいない。
 残念ながらその魅力は、ご存じのように、歳を重ねるにつれ失われていくものなのですが、ときどきその魅力をみずみずしたたえたまま大人になる人がいる。横尾さんのように。
 その上、横尾さんには、芸術家としての目と手が備わっていた!

 ジョン・レノンの手の指を、真顔で「日本のテレビでよく見かける有名な指圧師のそれとそっくりだった」と綴り「この指を見ただけで、ジョンがただ者でないことがわかる」と書くあたりに、いい意味での「稚気」を感じます。
 と同時に、「興奮して喉がからからにな」っている状態でありながら、一瞬にしてある人間の細部(おそらくはその人間の全体が集約されている)を見切ってしまうあたりに、芸術家の凄みを感じます。
 ジョン・レノンを好きな人が、上の横尾さんの、まず横尾さん以外に誰もしないような表現に出会ったなら、新たなかつ強烈なレノン像を追加インプットされずにはいないでしょう。

 同時代に生きている希有の才能の姿形・精神が、絵に描かれたようにわかる、希有の一冊であります。


横尾忠則 (よこお・ただのり1936- ) 文春文庫1998/11/10---ISBN4-16-729705-1



 「PORQUE?」同報、「波乱へ!! 横尾忠則自伝」送信。

 子供、インフルエンザに罹ったらしい。心配。

 高知で、臓器移植意思カードで脳死状態からの移植に同意していた女性が、脳死の一歩手前に。
 日本で、初めてのケース。
 過剰な報道に遺族の方が困惑することに。
 柳田邦男著『犠牲』のレビュー:

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