19990422 大田昌秀・池澤夏樹 『沖縄からはじまる』
大田昌秀・池澤夏樹 『沖縄からはじまる』
「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」より
1999年04月21日、『沖縄からはじまる』大田昌秀
(1925- )・池澤夏樹
(1945- )を読みました。
表紙に書かれた名前の肩書きは「沖縄県知事」と「沖縄県在住作家」。ご存じのとおり、大田さんは「前」になってしまいましたが。
一説によれば、ワニの体長は、その年齢数と比例関係にあるとか。
一年に一メートル大きくなるワニの種なら、五メートルで五歳。
人間の場合、選挙権を得る年ごろには、その人の体長が決まる。ワニ式だったら、高齢社会はたいへんでしょうね。
そのかわり、選挙権を得るあたりから、人間の社会的価値の格差が出てくる。たとえば私は現巨人コーチの原辰徳さんと同じ歳なのですが、二十代のころ彼と私の間には、年棒と給料、有名無名、比較したなら、月とすっぽん以上の差があった。(いまも当時と同じかナ?広がってたら悲しい・・・)
また、一説によれば、生まれたてのワニの天敵は、大人のワニとか。
でかいワニは、目の前をうろちょろする自分より小さなやつを見つけると、とりあえず口に入れる。で、でかいやつは、よりでかくなる。
さて。
地元江別市の市長選、市議選まであと数日、選挙カーは行く。
偉いさんにも、貧乏人にも、じいばあにも、にいちゃんねえちゃんにも、同じ重さ大きさの一票。
でかいワニの大きさを適正なものにしておくためにも、その一票を行使しなきゃいけないんだろう。
てなこと考えるんだけど、誰に入れりゃいいの。
ワニ並みの条件反射で、手え振って頭下げて名前連呼されてもな。
言葉の専門家池澤夏樹さんが、いまどきの政治家とは思えない、その言葉遣いにひかれて対論を申し入れたのが、大田昌秀さん。
本書の対論中、大田さんは三選へ意欲満々。落ちるなどとは思ってもいないかのよう。
そして数ヵ月後の知事選で落選。
「沖縄からはじまる」どころではなくなってしまったわけですが。
逆説的にいえば、沖縄の人たちは、ちゃんと「政治的判断」をして一票を投じたわけで、たいしたもの。
こないだの北海道知事選、貧相でしたよお・・・。選挙民も「政治的判断」する気概もないんだけど。拓銀破綻あたりから判断停止している感じ。ジリ貧で平和な北海道。
それはともかく。
いっとき英雄視された感さえある大田前知事ですが、三選を果たしたとしても、沖縄の基地問題は容易に解決しなかったことでしょう。
たった一人の人間の力でどうこうできるようなものではない、まったく簡単ではない、ということだけは「沖縄からはじまる」を読んで、漠然とですがわかりました。
それでも、当事者として、現実的な政治家として、大田さんは、基地返還後を見据え、現在進行しているであろう、基地内の環境汚染を深く心配なさっています。
そのある種の「楽観」はどこから来るのでしょう?
もともと学者さんである大田さんは、「教育」の大切さを説きます。
まず知ること。
本土の人間が、差別意識なく沖縄を見、不当に負わせてきた負荷に気づくべきこと。
沖縄の人間は、基地後を見据えて、経済的に独立できる道を見つけること。
そんな人間の意識の変化が、現実を揺り動かしていく。
また、そんな確信を抱いている人だけが、人を動かす言葉を持てる。
知事在任中に、沖縄に対する本土の人間の意識の変化は確かにありました。大田前知事の残した一番大きな仕事ではないでしょうか。
で、その手の意識の変化を頑なに拒むのが、日本の政治に関わる人たちらしい。(大田さんは、橋本元首相、梶山さん、野中さんを評価。聞く耳を持っていて下さったと)
聞くべき耳の持ち主たちの意識の変化より、アメリカ側の事情(ドライなコスト計算の果て)の変化で、基地が返還される可能性が大きいのかもしれません。
となると、本土の人間は、またもや「政治的判断」のしかたを学ばないまま、「政治的決着」を見ることに。
政治家の言葉が貧相になったのは、実は、聞く耳が貧相になったからではないのか?
願わくば、池澤夏樹さん並みの耳を。
INTERMISSION
■ http://www.pref.okinawa.jp/ 沖縄県のホームページ
英語版のフロントページには、「Governor Ota's 1998 Tour to the United States - Seeking the Resolution of the U.S. Military Base Problems on Okinawa - 」という項目が!
新知事、太っ腹、と思ったものの。
しかし、リンク先のページは「見つけられません」。日本語版ページには項目する見当たらず。
どういう政治的判断で英語ページに項目名だけ残しているのか?
メール出して聞いてみようかな。
例によって引用を。
「まえがき」的文章、池澤夏樹さん「ぼくが大田知事に会ったわけ」。
「沖縄は政治的にラディカルである。ラディカルという言葉には二つの意味があって、第一は、急進的ということ、第二は根源的ということ。二つの意味が一つの言葉で表わされることからもわかるとおり、根源的な問題を意識していれば人は急進的にならざるを得ないのだ。表面の色を塗り替えるぐらいでことが解決すると考えらるような者はラディカルからはほど遠い。骨格から造りなおす必要を認めることがすなわち、根源的であると同時に急進的であることなのだ。
沖縄は戦後日本の政治のもっとも根源的な矛盾を負わされている。そのために苦しい思いをしてきた。自分たちの手でそれを解決しようとすれば急進的にふるまわざるを得ない。東京の政府に対して問題の存在を指摘し(なぜなら、彼らはそんなものはないふりをしているから)、果敢に解決を訴えなければならない。住んでみると、そういうことがよくわかる。
戦後日本の政治のもっとも根源的な矛盾とはなにか。憲法第九条と日米安保条約の矛盾、あるいは被爆国であることとアメリカの傘の中に入っていることの矛盾。どちらの問題もこの沖縄に集約的に現われている。本土のたいていの土地ではこういうことは抽象的だが、沖縄ではうんざりするぐらい現実的である。」
「民主主義という古くも懐かしい言葉がある。なんとも小学生的で、いまさら民主主義などというと大人たちの失笑を買う始末だが、だからと言って他に方法があるわけではない。他人の意思を押し付けられないと言う意味で、やはり民主主義は大事だ。国が国として独立していて、国の中が民主主義で運営されていれば、ぼくたちはいやなことを無理にさせられなくてもすむ。失敗をした時に他人に責任を転嫁しないでもすむ。衆愚政治に陥りかねないなど、民主主義にも問題点はいろいろあるけれども、今のところこれに勝る国の運営方法はない。必要なのは民主主義そのものを磨くこと。
子供の時に、民主主義とは多数決だと教えられた。戦後、日本人の多くが民主主義をそう受け取ったのが間違いの元だった。多数決ですむのならば、大勢で一人をいじめることも許されてしまう。民主主義はまずもって言葉である。論理的に話して相手を説得するところからはじまる。そのためには言葉を信用しなければならないし、信用できる言葉を準備しなければならない。
採決の前には議論がある。議論を尽くさずに多数決に持ちこむのでは、数の暴力と言われてもしかたがない。しかし、その議論の言葉がない。今の日本の国会議員で草稿なしに一時間の演説ができる者がどれだけいるか。利で誘わず、情に訴えず、党の方針をオウム返しにせず、理をもって状況を釈いた上で自分の判断・主張を整然と展開できる者がどれだけいるか。」
大田昌秀(おおた・まさひで1925- ) 池澤夏樹(いけざわ・なつき1945- ) 集英社1998/09/30---ISBN4-08-783126-4
サッカーU-20 決勝進出を決める。すごい。
例の協会の一部関係者は、トルシエ監督
「CDジャーナル」 5月号に 「タルバガン」 http://tarbagan.net/ CD載ってた。「民族音楽」ではなく「日本のポピュラー」欄。226Pの一番下。上は 玉置浩二 、横は 反町隆史
。ついでに左上は ソウル・フラワー・ユニオン
、右上は元 PSY・S
の チャカ 。
「日本人が遠い異国の地に思いを馳せるのは何故なのだろう。ここではトゥバやモンゴル音楽に魅せられた二人が、伝統的弦楽器と喉歌という独自の歌唱法を駆使して、中央アジアのステップを駆け抜ける一陣の風のようなサウンドを聴かせる。見事な雰囲気だ。(篁)」
ありがとうございました!
午後、G-Who さんからFAX。
茂手木潔子 さん 「日本の楽器と音の文化」 という新聞記事。
音と音楽の境目をどこに置くかということ。
G-Who さん、何新聞の何日の記事か教えていただけますか?
SNさんに野幌で リポー さんのCD2枚手渡し販売。
タルバガン Kitara公演の広報用お手紙原稿作成。
嵯峨治彦 http://tarbagan.net/saga/ 氏に同行し、帯広に行っているTTさんにFAX。チェックを入れてもらう。
返信あり。
なるほど、なるほど。
「PORQUE? Book Review」大田昌秀・池澤夏樹「沖縄からはじまる」配信。
週末のTV「素敵な宇宙船地球号」(トヨタ自動車の提供)、緑色豆炭=バイオブリケットの話。丸山敏彦という北海道在住の科学者の発明品で、通常の石炭にバイオマス=農業廃棄物を混入させることで、石炭をクリーンな燃料に生まれ変わらせるというもの。オイルショック後の石油価格暴騰で幻に終った石炭関連の発明が、時を経て石炭消費国中国で再活用されつつあるらしい。
自然の持っている浄化力は人間が思っている以上に強く、すべての人間が環境破壊に向けての発明・生活をしているとは限らない、と思いたい。
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