19990801 等々力政彦 『シベリアをわたる風』 / すごい自主制作盤
等々力政彦 『シベリアをわたる風 トゥバ共和国、喉歌(フーメイ)の世界へ』
「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より
1999年06月25日、『シベリアをわたる風 トゥバ共和国、喉歌(フーメイ)の世界へ』 等々力政彦
(1965- )を読みました。
* [シベリアをわたる風―トゥバ共和国、喉歌の世界へ] 等々力政彦
長征社のチラシには:
「書名 シベリアをわたる風
副題 トゥバ共和国、喉歌(フーメイ)の世界へ
著者 等々力政彦(とどりき・まさひこ)
体裁 四六判・194頁・ハードカバー
摘要 生物学専攻の院生である著者は、少年時代の夢を叶えにハイマツのふるさとシベリアに行き、トゥバ共和国を知る。そこは喉歌の本場であった。1993年から毎夏、喉歌の習得に通い、やがて喉歌を含めたトゥバ民族音楽研究の道へ。そして知り合ったたくさんの人たち。行動することで広がる自らの世界を、著者はあとがきで、道半ばの「わらしべ長者」に譬えている。酷寒、流刑地だけではない、心地よく身近なシベリア。喉歌という不思議な唱法。有史以来、幾多の騎馬民族が通りすぎた「アジア中心の地」トゥバ共和国。日本ではあまり知られていないこの国と喉歌の魅力が本いっぱいに詰まっている一冊。読者もまた、新たな興味と好奇心が広がるはず。
喉歌:一人が同時にいくつもの「声」で歌う唱法。
等々力政彦(とどりき・まさひこ)
1965年長野県生まれ。大阪府吹田市在住。大阪大学大学院・工学研究科・応用生物工学科に在学中。研究テーマは「共生」。北海道大学大学院で宇宙物理学を学んでいた嵯峨治彦氏との喉歌ユニット「タルバガン」は、1998年、トゥバ共和国の首都クズルにおける喉歌コンテストで外国人初の総合第2位を獲得。」
7月18日、私は、大阪ナンバーの「ワゴンR」の助手席に等々力政彦さんを乗せて、北海道日高山脈山中を走っていました。
十勝平野にある新得町での「タルバガン http://tarbagan.net/」としての演奏を終え、札幌圏に帰る途上。
等々力さんとのドライブ中の会話は、大半が自然・地誌を中心とした話題になります。
そのときの行き帰りも、日高山脈の切り立った崖の地層が目に入るとその成り立ちの話、植林された山肌を見てはその樹木がヨーロッパ原産のものであるとか長野原産のものであるとかいう話、路傍に咲く野草(猛スピードで走ってますから、オオウバユリとかクガイソウとか、でかい花しか私には見えないのですが)の話、尽きることはありません。
この日も国道274(石勝樹界ロード)の道端、と言っても崖の上、にハイマツを発見、私も急斜面の崖登りに同行しました。
圧巻は、日高山脈館での滞在。行きのドライブでその小博物館を発見、時間の都合で見学を途中で打ち切りにした等々力さんは、帰路再度寄ることを断固誓っていたのでした。
同行した田原は、通りいっぺん見て退館。小一時間ほどして、満足気な等々力氏がやってきました。
8月8日は、写真家故星野道夫
ちょうど三年前に極東で亡くなった星野さんの本(「旅をする木」)を先日初めて読みました。
それは、取材中にヒグマに襲われて亡くなるという痛ましい事故であったのですが、星野少年が中学時代から千葉県の電車の中でさえ、遠い北海道のヒグマに思いをはせているような人間だったと知り、ちょっと腑に落ちたような気がしたものです。
われらが等々力政彦がハイマツに捕えられてしまったのも、小学生のころだとか。
車中の話題(われわれは人口より熊の生息数の方が多いかもしれない日高山中を走っているのです)に星野さんの本のことが上がり、「熊」夢想少年星野くんのことを告げると、「わかるわあ・・・」と関西弁の等々力氏の返事。
小・中学生の間、植物のことにしか興味がなかったんだそうです。
そういう面に関しては、友達いなかったんじゃないの? と聞くと、素直に同意。
野に咲く花が、何科に属しているか、を話題にするような子供だったに違いない。
「もっと大人の理解者が身近に入ればまた変わっていたかもしれないけど・・・」
ちょっと孤独だけど幸せな子供たち。
やがて、星野少年はアラスカを見つけ、等々力少年はトゥバを見つける。
等々力政彦さんの、研究者(生物学者であるとともにトゥバ民族音楽の研究・採集者でもある)・文章家・音楽家・写真家(近日中にポストカード型写真集の刊行予定あり)としてのキャリアはこれからも続くことでしょう。
星野さんや等々力さんのように、子供のころ抱いた「夢・思い」を実現することなくオジサン化してしまった田原ですが、等々力さんが関わるそのすべてのジャンルのデビュー作となるCD-ROMを出版することができて、よかったなあ、とその電子本写真集「トゥバ-TUVA」発刊二年後にして思っています。
「インキュベータ(孵化させる者)」の役を果たせたのかなと。
ありがたいことに、孵化した者はずいぶん有名な人になりつつあるのですが、全然気取ったところがありません。
その日も、新得で十勝平野名産のそばを食べ(地元音更町のそば打ち同行会の人たちと蕎麦交流、等々力氏は長野県人なのだ)、石狩平野に入ると腹が減ったと江別市で札幌ラーメンを食べする、相変わらず食欲に正直な人です。
実は、私の生涯出会った数多く(もないか)の人間の中で、一番食べる人がこの等々力氏。
昨年暮れ、大阪で、タルバガンライブ終了後入ったファミリーレストランで、店側のオーダーミスを良いことに二人前の定食を食べかけるも間食がたたり断念、「人生の汚点や」とささやく等々力氏であった。同行の嵯峨治彦氏いわく「リキさんが食べ物を残すのを初めて見た!」
本の話だった。
等々力政彦氏は、間違いなく一個の個性です。
その個性のあり方、世界との関わり方が、十二分に「シベリアをわたる風」にはあらわれています。
例によって引用を。
シベリアについて。
「北回り航路の飛行機で日本からヨーロッパに行く人たちは、もしも雲がなければ、そして窓際に席を占められれば、眼下に広大な森林が見えるはずである。それがシベリアである。シベリアというと、「ツンドラで寒くて恐ろしくて、人が住めない」といった印象が強い。しかし実際のシベリアは歴史、人種、また気候において、非常に複雑多様である。
シベリアの多くの部分がタイガと呼ばれる広大な森林に覆われているということも、あまり知られていないのは残念なことである。かくいう私もそう思っていたのだから。シベリアの大部分の地域は「雪と氷に覆われた無人のツンドラ」などでは決してない。そのツンドラにすら、人間は住んでいる。夏の南シベリアでは、四十度を越える日もあるのである。冬の低温を考えると年間で百度の温度差がある地域も存在する。
トゥバ共和国はこのうち南シベリアあるいはアジア中央部と呼ばれる地域にある。一九九九年二月現在、ロシア連邦を構成する共和国の一つである。面積は約十七万平方キロで日本のほぼ二分の一に相当し、モンゴル国西北に位置する。」
私も登場してます!
「こうして練習してきた歌であるが、一九九七年からは少しづつ人前で歌う機会を設けてもらえるようになってきた。そんなおり、インターネット上に喉歌のホームページを発見した。そしてそれを主宰している北海道の嵯峨治彦という人が、モンゴルのフーミー(ホーミー)とモリン・ホール(馬頭琴)を実践していることを知り、連絡を取りだした。
やがて私の友人で北海道出身の田原洋朗さんが、それまで住んでいた大阪から北海道に帰ることになった。最初、私は田原さんを嵯峨君に紹介したのであるが、やがては嵯峨君と田原さんに、逆に私が呼ばれて北海道へ行くことになる。一九九七年の十二月である。そこで嵯峨君と一緒に初めてセッションをしたのであるが、なかなか面白い演奏ができた。
一九九八年の二月にはもう「タルバガン」というユニット名も決定し、レコーディングを行い、小さいながらも札幌において初のライブを行った。ユニット名は田原さんの命名によるもので、何となく決まってしまった。
タルバガンというのは体長四十センチほどの地リスでアルタイ山脈周辺に住む。レッドデーターブックにも記載されている希少種である、近隣の民族は毛皮および肉をとるために、この動物の狩猟を行っている。どのようにしてその矛盾が解決されているのか、私は知らない。
(中略)
なぜこのような間抜けな動物の名前を付けたかという最大の理由は、全く異なる言語であるモンゴル語とトゥバ語で共通の単語だったからである。ぜんぜん説教くさいような名前ではないし。この名前が、少なくともトゥバにおいては間違いではなかったと思われるのは、トゥバ人たちが我々のユニット名を聞くとさもおかしそうに笑ってから、すぐに覚えてくれるということである。トゥバの西部にはタルバガンの歌まであるのだから、愛されるべき動物なのである。モンゴル人にも何人かに聞いたが、かの地にタルバガンの歌があるという情報はまだ得ていない。日本人にとってはタラバガニと間違えられることが多く、今後の課題である。
三年に一度、トゥバの首都クズルで開かれる「国際フーメイ・シンポジウム」というのがある。この名前も手伝ってか、一九九八年七月の第三回大会において、我々タルバガンは総合で二位という外国人としては破格の賞をもらえた。出てみるものである。我々は初の参加であったが、この大会にはすでに何回も出演している日本人として、口琴演奏家の直川礼緒さんや、歌手の巻上公一さんも参加していた。」
あとがきには、
「私の学校時代は、ずっといじめられっ子だった。学校の勉強もほとんどできなかったため、高校卒業後も中途採用の就職先を転々とする、いわゆる落ちこぼれだった。しかしどうしても生物の勉強がしたかったので、ジュース工場で働いたりしながら自分で勉強して、人よりだいぶ遅れて大学に入学できた。
そんな私にはシベリアの先住民族たちが、周辺の民族に翻弄されながらも生きている姿を、やはり落ちこぼれの姿とダブらして見てしまうのである。そして自身の存在を、ときには堂々と、ときにはちまちまと狡賢く主張している姿に、共感を覚えるのである。」
等々力政彦訳のトゥバ民謡「独りぼっちの旅人の歌」の歌詞。
なぜ彼がトゥバに心ひかれたのか、この詩を読むとわかるような気がします。
「青い草原に一本の落葉松
その下で私は休む
白い草原に一本の白樺
小さい白樺よ、今度来たときは大きくなっているんだろうか?
黄色い草原に一本の白樺
その下で私は休む
もしも私がもう一度ここへ戻ってきたとしたら、おまえたちよ
元気でいたかどうか見に来るからね 」
自然を友として生きてきた独りぼっちの旅人は、孤独に耐え抜いている間に、ずいぶん多くの友人・応援者・ファンに恵まれることになったようです。
おめでとう、リキ。
よい旅を。
等々力政彦 (とどりき・まさひこ1965- ) 『シベリアをわたる風』 長征社1999/07/09---ISBN4-924929-35-2
朝、大阪ヒッポ時代からよくしていただいている箕面市のTFさんより電話。
知り合いの方がオンラインショップ開設を計画中とのこと、相談を受ける。
この数か月でその手の質問が何件も。
いよいよオンラインショップが認知されてきたのか、とも思う。
インターネット人口が増えるのはとりあえずありがたいこと。
午後、家族四人で「ふれあい農園」。
茎が腐れ、倒れかかっているジャガイモの一部を収穫。バケツ二杯ほど。
夜、旭ヶ丘「のどうたの会事務局」。
じゃがいものおすそわけと、「NODO~」Tシャツ追い込みのため。
陣内雄(じんのうち・たき)という音楽家の自主制作盤「北の国へゆこう」というCDを聞く。
スゴイ!
北海道風連町在住らしいが、是非お会いしてみたい。まずはメールでのご挨拶を誓う。
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