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19990808 星野道夫 『旅をする木』 / ボビーに首ったけ

星野道夫 『旅をする木』
   「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

【1 本と作者のデータ】
「広大な大地と海に囲まれ、正確に季節がめぐるアラスカ。1978年に初めて降り立った時から、その美しくも厳しい自然と動物たちの生き様を写真に撮る日々。その中で出会ったアラスカ先住民族の人々や開拓時代にやってきた白人たちの生と死が隣り合わせの生活を、静かでかつ味わい深い言葉で綴る33篇を収録。 解説・池澤夏樹」(カバー)

 星野道夫(ほしの・みちお)
 「1952年 千葉県市川市に生まれる。
  1971年 初めてアラスカに渡り、シシュマレフ村でエスキモーの家族と一夏を過ごす。
  1976年 慶應義塾大学経済学部卒業。
      動物写真家田中光常氏の助手を経て、アラスカ大学野生動物管理学部に留学。
      以後、アラスカの自然と動物そして人間を撮り続ける。
      (中略)
  1996年 取材先のカムチャッカ半島クリル湖畔でヒグマの事故により急逝。」(「星野道夫の世界」展チラシより)」


【2 私の身に何が?】
■ 1999年06月21日、『旅をする木』を読みました。
 昨年、『地球交響曲第三番 ガイア・シンフォニー3』関係者(監督龍村仁さんとボブ・サムさん)と接近遭遇する機会があり、星野道夫さんのことが気にはなっていました。
 今年に入ると、池澤夏樹=星野道夫ファンのG-WhoさんのWeb管理者に任命され、G-Who氏の手になる熱烈ミチオ讃歌文を何度も読むことに。

 そんな折、北海道各地を巡回していた「星野道夫の世界」展が、札幌にやってきました。デパートのイベントホールで写真を見、生原稿を見して、売店で買ったのが『旅をする木』と雑誌「SWITCH」1998年一月号特集「星野道夫[星を継ぐ者たち]」。

■ その日の私のWeb上日記を自己引用しますと。

「帰り道、札幌丸井今井で開催中の「星野道夫の世界」展に寄る。
 あの事故は1996年のことだというから、その報道を大阪で聞いたのだろうか。星野さんの名前は知っていたので驚いたが、その死が自分の内部に何か影響を与えるということはなかった。
 がしかし、どういう縁か、今年になってG-Whoさんのホームページ作りに関わるようになり、池澤夏樹・星野道夫という二人の「巨人」について教えられることが多くなった。
 写真を見て、星野さんの本を一冊初めて読んで(「旅をする木」文春文庫ISBN4-16-751502-4)感じたこと。
 星野道夫はいい奴。
 生まれながらにしていい奴で、いい奴のまま育ち、いい奴として死んだ。
 そういう意味では、カリブーもグリズリーもハクトウワシもゴマフアザラシもオオカミもいい奴。
 そういういい奴が、人間の形をしていたというのは、ほとんど奇蹟に近い。

 利尻島での冬の通学路を思い出した。
 山は雪雲の彼方にかすみ、出稼ぎに出た民家は玄関・窓に板切れを打ち着けられ、地吹きが舞う道路に車はもちろん人が通ることもない。片道4キロの道のりを毎日、私は何を思い歩いていたのだろう。
 暗くうねる日本海に目をやると、海獣の群れが見えることがよくあった。トドだろうか。
 火山島の火山の裾野、火山灰土に広がる笹っ原の雪原。貫通する海辺の一本道路。身近に人間の気配もないまま、凍るような海を泳ぐ、哺乳類の姿にしばし見とれる。

 長らく、もしかしたら今も、自分をとらえて離さないイメージがある。
 波打ち際の道路に立ち、海を眺めポカンと突っ立つ子供の姿の遠景。
 そう私自身。
 それを見ているのは海獣の目で、その視線を自分のものとしているのも、この私自身。

 そんな「胡蝶の夢」のような瞬間があったことを、星野道夫を写真を見て、思い出した。
 強烈に。

 G-Whoさんに紹介されていた、鳥海さんの電子掲示板「BBS 地球の自転軸を星野道夫に傾ける」に書き込みをする。

 「みなさん、はじめまして。
 田原ひろあき@江別市/北海道と申します。
 こちらの掲示板はG-Whoさん経由でやってきました。
 鳥海さんとはG-Whoさんのところで「音楽談義」させてもらってます。
 (中略)
 おそらくそういうのは百人に一人もいないと思いますが、一番印象に残った写真は、引き潮のときの入り江を撮ったものでした。その写真だけは時間をかけてじっくり見ました。

 私は、北海道の利尻島というところの生まれで、自然を眺めるときの水準器をそこの四半世紀前の自然によっています。今現在の利尻の自然状態は水準時に比べるべくもありません。たいへん悲しい。

 その星野さんの入り江の写真は、圧倒的でした。無数のイトマキヒトデ、多足紫色の一見グロテスクなひとでが二つ、水の中では戻した干しシイタケのようにふくらむいそぎんちゃく状の生き物、つぶ貝つぶ貝つぶ貝。色色色、生き物生き物生き物。

 久々、私の水準器のレベルを越えた北の海を見ました。

 ワイドレンジで捉えた雄大な自然、地上の細かな植物群、撮影者の愛情を感じさせる動物写真、どれも素晴しい。

 その写真群の中に、一見さりげない入り江の写真が入りこんでいることで、そんな写真を撮られているということで、私はより星野道夫さんを信頼したいという気持ちになりました。」」

■ 朋友池澤夏樹さんの解説「いささか私的すぎる解説」がまたよい。

「書物にできることはいろいろある。知識や情熱を授け、一時の楽しみを与え、ことの道理を示し、見知らぬ土地に案内し、他人の人生を体験させ、時には怒りを煽る。しかし、結局のところ、書物というものの最高に機能は、幸福感を伝えることだ。
 幸福になるというのは人生の目的のはずなのに、実は幸福がどういうものか知らない人は多い、世の中にはこうすれば幸福になれると説く本はたくさんあっても、そう書いている人たちがみな幸福とは限らない。実例をもって示す本、つまり幸福そのものを伝える本は少ない。つまり、本当は誰もわかっていないのだ。

 『旅をする木』で星野が書いたのは、結局のところ、ゆく先々で一つの風景の中に立って、あるいは誰かに会って、いかによい時間、満ち足りた時間を過ごしたかという報告である。実際のはなし、この本にはそれ以外のことは書いていない。」

 「たとえば彼の人生が平均よりも短かったとしても、そんなことに何の意味があるだろう。大切なのは長く生きることではなく、よく生きることだ。そして、彼ほどよく生きた者、この本に書かれたように幸福な時間を過ごした者をぼくは他に知らない。三年近くを経て振り返ってみて、あんないい人生はなかった、とぼくは思えるようになった。」

【3 ネット上で知る】
http://www.age.ne.jp/x/toriumi/hoshino/h_cont.htm
 鳥海さんの「地球の自転軸を星野道夫に傾ける」ホームページ
 これだけのファンを持った写真家を幸福というべきか、これだけ一人の写真家を愛するにいたったファンを幸福というべきか。

【4 引用いいとこどり】
■ 「もう一つの時間」という文章から。 - - - - - - - - - - - -

「「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
 「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」

 「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・・その夕陽を見て、感動して自分が変わってゆくことだと思うって」

 人の一生の中で、それぞれの時代に、自然はさまざまなメッセージを送っている。この世へやって来たばかりの子どもへも、去ってゆこうとする老人にも、同じ自然がそれぞれの物語を語りかけてくる。」

 「やがてぼくは北海道の自然に強く魅かれていった。その当時、北海道は自分にとって遠い土地だった。多くの本を読みながら、いつしかひとつのことがどうしようもなく気にかかり始めていた。それはヒグマのことだった。大都会の東京で電車に揺られている時、雑踏の中で人込みにもまれている時、ふっと北海道のヒグマが頭をかすめるのである。ぼくが東京で暮らしている同じ瞬間に、同じ日本でヒグマが日々を生き、呼吸をしている・・・確実にこの今、どこかの山で、一頭のヒグマが倒木を乗り越えながら力強く進んでいる・・・そのことがどうにも不思議でならなかった。考えてみればあたりまえのことなのだが、十代の少年には、そんなことがひっかかってくるのである。自然とは、世界とは、面白いものだなと思った。あの頃はその思いを言葉に変えることは出来なかったが、それはおそらく、すべてのものに平等に同じ時間が流れている不思議さだったのだろう。子どもながらに、知識としてではなく、感覚として世界を初めて意識したような気がする。」

 「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。」
星野道夫(ほしの・みちお 1952-1996)   『旅をする木』 文春文庫1999/03/10---ISBN4-16-751502-4





 午前「サクレツスポーツアワー」というTV番組。あのロナウドが出ているのもすごかったが、その前に横浜ベイスターズのローズの小特集がありその印象も強い。
 私は大洋ホエールズ時代の横浜ベイスターズファン(なんじゃそりゃ???)で、昨年の優勝はやはりうれしかった。特定の球団を応援するということはないのだけれど、やはりベイスターズに勝ってほしい。じりじりと地力がついてきたところに、権藤監督というすぐれたディレクターを得て去年のあの成績になったのでしょう。

 で、その番組中でローズとともに紹介されたのが、ホエールズ時代からの国際スカウト担当牛込さん。
 本当に弱かったころから、本国アメリカでは活躍できていなかったものの日本の野球にフィット活躍しそうな選手を次々獲得してきた人。
 シピン・ポンセ・パチョレック。
 ローズも牛込さんの強力プッシュが球団側を動かしたそうで、そのローズ今や日本野球史上最高の外国人選手との呼び声も高い。

 対して阪神球団は・・・。
 古ぼけた大リーガーを高額で獲得、日本人選手の年俸は買い叩き。活躍できない外国人選手を手みやげつきで解雇、では、集団全体のモティベーションが絶対に上がることはないだろう。

 春先低迷していたベイスターズもちゃんと優勝争いにからみはじめた。この日の試合は、先発全員安打・先発全員得点(何十年ぶりだかの記録らしい)・22安打16得点。チーム打率がちょうど三割、これもほとんど史上初らしい。相手は首位の中日、投手は今まで好成績をおさめている武田投手。それがボコボコである。接戦などというものではない。勢いの差が歴然としてしまった。
 どうも今の横浜の選手たちは「勝てる」という確信を持って試合を楽しんでいるらしい。開幕時からずっと、だからバタバタしない。
 そしてそのチームの中軸四番に座っているのが、ボビー・ローズ。

 常に全力を尽くすこと。それができる人らしい。

 午後、千歳空港に義理の父を迎えにいく。
 利尻への旅行を計画して、まずは江別の孫の顔を見てということ。

 私の予定がまったくたたない(タルバガン新作CDのジャケット制作・ミックスダウン共、私の予定よりは大幅に遅れていて、出来上がり期日が全然読めない)ため、勝手に、妻子を車で利尻に連れていってもらうよう頼んであるのだった。JRの予約はキャンセル。

 夜、義父と家族四人で、野幌の郷土料理店。
 ヤツメウナギを初めて食べる。秋、石狩川でとれるらしい。

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