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19991007 池澤夏樹 『むくどり最終便』

池澤夏樹 『むくどり最終便』
  「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

【1 本と作者のデータ】
  「秘境とインターネット。DM撲滅の秘策おしえます。駅弁、緑閃光、ポル・ポトの死。旅、風、手、本、花。水着の少女たち。百年待とうか。夜の野外。東経123度45分6・789秒。むくどり作家はどこに飛ぶ?
   馬毛島を提案します/模型趣味回顧/アラスカに咲く花/鉄道食における陶器利用の研究/パスタ・ブリッジ/カレーへの決意/鬼の目にも自然保護/いまどきの敬語/バリで公金横領について考える。沖縄県知事候補大田昌秀応援演説--「目次」から」(カバー)
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 池澤 夏樹 (いけざわ・なつき)
 「1945年 北海道生まれ。
  埼玉大学理工学部中退。
  75年から3年間、ギリシャに滞在。
  1988年 『スティル・ライフ』で第98回芥川賞受賞。
  1993年 『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞受賞。
  現在  読売新聞に『すばらしい新世界』連載中。
  著書  『夏の朝の成層圏
      『バビロンに行きて歌え
      『マリコ/マリキータ
      『母なる自然のおっぱい
      『南鳥島特別航路
      『ハワイイ紀行
      『エデンを遠く離れて』ほか多数 」


【2 私の身に何が?】
■ 「書評」についての文章でいろいろ考えました
 「あなたが本屋さん」という文章。いろいろ考えさせられます。
 1998年前半に書かれたらしい池澤さんの文章を引用しますと、

「出版点数があまりに多いので、読者も自分がどういう本が読みたいのかわからなくなっている。一年に数万点も出たのでは、その時々、市場に提供されている本全部を知るなんて普通の人にできることではない。広告にはいいことしか書いてない。もう一つ踏み込んだ情報が欲しいと消費者は考える。
 そこで書評屋という商売が成立するわけだ。広告ではなく中立の立場からいい本を紹介する仕事。新聞や雑誌には必ず書評欄があるし、書評の専門誌、専門書もいろいろ出ている。
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  書評者の任務は本の内容を紹介すると同時に、自分の責任においておもしろいですよと推薦することだ。読者がその本を選ぶ指針になるわけで、取り上げる一冊ごとに書評者自身の眼力が問われる。あの人が推しているのだからと買ってつまらなかったら、次から信用されない。」

 信用されているだろうか・・・。
 さらに。amazon.com(http://www.amazon.com/)を念頭に置いているんですよね。

「アメリカでおもしろいシステムが作られた。ホームページはだれでも開くことができる。そこで、自分のページを作って、読んでおもしろかった本について自分なりの書評を掲載する。おもしろかったと思うものを力を込めて推薦する。それを読んだだれかがこのホームページ経由でその本を買った場合、書評者に何パーセントかのコミッションが入る。
 つまり、個人単位の書評サイトを統括するネット上の仮想書店を作るわけだ。注文はすべてオンラインで受け、商品は郵便や宅急便で届ける。その気になれば今すぐ日本でも作れるはずだ。」

 その後、日本でも、こういうページが立ち上がりました。
 ブックレビュー http://www.bookreview.ne.jp/
 しかし、すでに、書評・書評ページを書評する眼力なしには、情報の海に沈むしかない状況になりつつあるようで・・・。

■ 「六年は長い歳月かどうか」について考えました
 六年間にわたって「週刊朝日」に連載された「むくどり通信」は、六冊の本になりました。
 『むくどり通信』『むくどりは飛んでゆく』『むくどりは千羽に一羽・・・・』『むくどりの巣ごもり』『むくどりとしゃっきん鳥』そして『むくどり最終便』。
 「むくどり通信」を手に取ったのが今年の五月。作家の六年を六か月足らずで読み終え、「六年は長い歳月かどうか」について考えました。この六年、何が変わり何が変わらなかったのか。。

 東海村臨界事故なんかを見ると「臭いものにはフタ」体質は変わらないのか(ついでにいえば、「臭いものは臭い!」という人は追放、「大田昌秀はなぜ嫌われたか」というのが「むくどり」シリーズのブービーメーカー文、体質も変わってないかも)と悲観的になってしまいます。

 同時に、この六年間のインターネット世界の進展を見ると、まだ望みがないわけでもないのかな、とも思ったり。

 生かすも殺すも、ですが。

【3 引用いいとこどり】
■ 「夢のような話」@「家の中の発電所」- - - - - - -

「(前略)どうもぼくは国単位の大きな社会をあまり信用していないらしい。分散型の、せいぜい村単位の、ローカルなシステムがいい。実際にはまったく無理な話なのだが、できることなら自給自足で暮らしたい。電気も自分の家で作りたいと思っている。だから燃料電池に興味を持った。しかし、そうなると、ガスの供給に縛られる点が中途半端。
 いちばんいいのは太陽光や風力で発電することだ。これならば自分の家の敷地内で完結する。ただ、この種の自然エネルギーに頼る場合は、供給と需要の差を吸収してくれるような効率のいい電池が必要になる。電気自動車の研究に期待しよう。あとは暮らし方を変えて、節約の姿勢を身につけること。
---
 夢のような話だけれど、二昔前、自分専用のコンピューターは夢のまた夢だった。」
(114P)

□ 原子力、危ないんじゃないの、というと、「電力の三割はすでに原子力でまかなわれている」とか「じゃあ、電気のない生活ができるのか」という、反駁がすぐ返ってくるのですが。
 じゃあ、あなたの子孫が未来永劫、核廃棄物に埋もれて暮らしていくのがわかっていてもあなたはそれをよしとするか、という問いには、誰も「よしとする」とはいえないこの現実。
 うーむ。われわれが「核」に慣れっこになっているのと、JCOの人達がウランに慣れっこになっているのと、どっちもどっちのような気もしてくる・・・。といってもしょうがないんで・・・。

 まず、電力消費量を減らしましょう。代替エネルギーの実現化に力を注ぎましょう。その過程での、不便・貧乏に耐えましょう。
 夜更かししちゃいかんよ、ってもう深夜二時半か。
 途遠し・・・。

池澤 夏樹(いけざわ・なつき1945- ) 朝日新聞社1999/05/01---ISBN4-02-257371-6



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