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19991213 パッチ談義 / 高木仁三郎 『市民科学者として生きる』

 真冬の寒さ。
 もうパッチ(ズボン下@関西)をはくべき年頃かと。
 掲示板 http://www.booxbox.com/bbs/ に「パッチ談義」書き込み。

 タルバガン等々力政彦氏と、「TAIGAM」を、ラルフ・レイトン氏の「Friedns of TUVA」ホームページ上で販売してもらうか否か、相談メールをやり取り。
 金銭的な面でのメリットはまったくと言っていいほどなし。売値が安すぎる(日本のCD価格が高すぎるんだけど)ため。
 いっそ、アメリカ盤を作ってもらい、「Friedns of TUVA」が版権を持っているコンテンツの日本語版を booxbox から出せないものかと思い、等々力氏にその旨メール。





 高木仁三郎 『市民科学者として生きる』  「ポルケ・ブック・レビュー http://www.booxbox.com/porque/」 より

【1 本と作者のデータ】
「「市民科学者として生きる
 専門性を持った科学者が、狭いアカデミズムの枠を超え、市民の立場で行動することは可能なのか。長年にわたって核問題に取り組み、反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が、自分史を振り返りつつ、自立した科学者として生きることの意味を問い、希望の科学としての「市民の科学」のあり方を探る。」(カバー)
 「がんと闘いながら 明日への夢を語る 専門家と市民のはざまで模索を続けた一科学者の生き方」
---
 高木 仁三郎(たかぎ・じんざぶろう)
 「1938年 群馬県生まれ。
 1961年東京大学理学部卒業。日本原子力事業、東京大学原子核研究所、東京都立大学などを経て
1975年に原子力資料情報室の設立に参加し、86年から98年まで代表
1997年ライト・ライブリフッド賞受賞
  現在  高木学校主宰
  著書  『プルトニウムの未来』(岩波新書)
      『新版 元素の小事典』(岩波ジュニア新書)
      『宮澤賢治をめぐる冒険』(社会思想社)
      『市民の科学をめざして』(朝日選書)ほか」



【2 キイワード】
■ 推進者はインサイダー、反対者はアウトサイダー
反原発運動の活動家として名高い高木仁三郎さんの本を手にとったのは、やはりあの東海臨界「バケツ」事故がきっかけでした。
 日本国民のみならず世界が、日本の原子力産業・原子力行政の「インサイダー」業務ぶりに驚いたわけですが、原子力黎明期のインサイダーから「過激な」アウトサイダーへと、劇的な転回をした高木さんの次のような証言は、説得力があります。

 ちなみにこの本はあの事故の直前に発売されました。

「この世界(田原注・原子力産業のこと)では、最初から推進・反対の色分けが重要で、推進者はインサイダー、反対者はアウトサイダーとして締め出されていく。原子力の会社に入ったからといって、当時はまだ原子力発電も行われていない頃で、皆が原発推進の妥当性を確信していたわけではなく、とくに私のいた研究部など何をやるか手探り状態だった、にもかかわらず、原発推進の旗振り役を暗に期待されていく。
 このような特徴は、国際的に原子力産業には共通で、おそらく軍事開発から始まり常に軍事的に機微な側面を抱えるこの技術の性格と、産業が技術の成熟を待たずに強引に政治的に形成されてきたことから来ているにちがいない。しかし、後年の私の経験からして、日本の原子力産業の閉鎖性と構成する個々人の判で押したような均質性は世界的にもとくに異常である。
---
 思うに、日本型企業の前近代的性質と、先端的な原子力産業とが、閉鎖性と没個性という点で、奇妙な一致点を見出し、ムラ社会的とよく表現される独特な体質をもった原子力産業が形成されていったのではないだろうか。」
(87-88P)

■ 「本気」
 私もどうも、「見る前に跳」び、「歩きながら考える」タイプのようです(困ったもんだ)。下の「本気」文には励まされます。
 「反原発というのは、何かに反対したいという欲求でなく、よりよく生きたいという意欲と希望の表現である。」
 すごい言葉ですね。

「総じて、大きな失敗や挫折へと導かれても少しも不思議でないような、無謀でひとりよがりの試みが、多くの人々の好意的な支えによって、一応社会的な意味のある営みとして評価してもらえる形で結実し得たことは、大きな幸運と呼ぶべきであろう。当初は将来についての明確な見通しなどなく、「見る前に跳べ」式に始めて、後は「歩きながら(走りながら?)考える」式で夢中に生きてきただけだ。
  (中略)
 幸運という言葉はふさわしくないかも知れない。私が病に倒れた時、友人のKさん夫妻が、長野県の別所温泉まで行って、安楽寺の住職さんの書の額を買い求めて来てプレゼントしてくれた。次のような書だった。
    本気
  本気ですれば
  大抵のことができる
  本気ですれば
  何でもおもしろい
  本気でしていると
  誰かが助けてくれる
---
 Kさんは、これはお前のことだよ、というのである。
  (中略)
 この「本気」を、もう少し分析していくと、確信と希望ということに尽きると思う。理想主義者の私は、核のない社会が必ず実現する(出来うれば自分の目の黒いうちに)ことへの強い確信をもっている。さらにそのことのために本気になれば、私自身が少なくとも一人分の貢献ができるだろうことへ、確信と自信をもっている。だから、私はいつも希望をもって生きていられる。先天的な楽天主義者と評されたが、それでよい。生きる意欲は明日への希望から生まれてくる。反原発というのは、何かに反対したいという欲求でなく、よりよく生きたいという意欲と希望の表現である。」
(220-222P)

【3 ネット上で知る】
■ http://www.jca.ax.apc.org/cnic/
 原子力資料情報室 日本語ホームページ。
 NPO「原子力資料情報室」。賛助会員になることで、われわれも、その活動をバックアップできます。
http://www.rightlivelihood.se/index.html
 the Right Livelihood Award official website

 ライト・ライブリフッド賞(RLA)は、「環境、平和、人権の分野では「もうひとつのノーベル賞」と呼ばれる賞」(5p)。高木さんは1997年度の受賞者。
 Award Recipients 1980-1998 http://www.rightlivelihood.se/recipients.html
 を見て、日本人受賞者の少なさがちょっとさびしく感じられるのは私だけでしょうか。

【4 引用いいとこどり】
■ この本は「癌闘病記」でもあります。
 読了した11月1日は私の父の68回目の誕生日(いかりや長介さんと同生年月日!)でした。
 実は父は私の故郷の利尻島で闘病中で、その病状の推移は、下記引用文中の高木さんのそれとよく似ているのです。
 この本を手にするまで、いささか滅入っていた(この歳になって父から与えられたものにむくいられるものがないなんて!)のですが、下の「死の予感のもとで」を読んで、少し気が晴れました。
 先日、NHKの「クローズアップ現代」にダニエル・キイスさんが出演したのですが、その番組を病室で見たらしい父から『アルジャーノンに花束を』を買って欲しいというリクエストを受けました。
 近々、見舞いに行く予定ですが、そのときまでに私も「アルジャーノン」を読み終え、その本の話でも父とできればと思っています。

 「気力」という言葉を実感しました。

「死の予感のもとで
 この章の記述は、私のこれからの人生への展望とそれに関連して新しい世紀に向けた構想と期待について語るべきためのものだ。しかし、私はそれを私の病床での体験から始めないわけにはいかない。
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 原発の大腸がんの手術のための入院から、今、本書の最後の部分にとりかかっている一九九九年五月まで、約一〇カ月が過ぎた。その間に大腸がんの手術、転移した肝臓がんの摘出手術、転移したリンパ節の腫れへの抗癌剤治療などと一〇カ月程の間に大小五回の入退院を繰り返し、半分以上を病床で過ごして来た。
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 実は、本書の草稿のほとんどは、抗癌剤治療中の癌研付属病院のベッドの上で下書きされたのである。先行きの見通しが分らない段階で、作業の終結を急ぎたかったという理由の他に、ベッドの上の作業がふさわしいかも知れないと漠然と感じた、という内的な動機もある。
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 病床にあって、肉体的に極度に苦しんだ時期、いったんは近い将来の死を覚悟した時期もあったので、どう死んでいくべきか、というようなことを、自分の残りの人生の重要な要素として、かなり考えた。病床にあると、かなり本が読めるだろうと思っていたのだが、実際には痛みや下痢などの症状、点滴、眼や手足、腰の疲れなどでほとんど本は読めず、その分だけ、CDの音楽をバッググラウンドにしながら、ひたすら物を考えていた。
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 心の問題として現実に死に備えようとしてみると、まったくこれまで考えてもみなかったことなので戸惑うことが多く、心は乱れた。ある時は、数カ月のうちに自分は死ぬのではないかと思い、ある時は少なくとも四、五年は大丈夫だろうとも思った。今は、予測できない要素も多いので、とりあえず今世紀末(二〇〇〇年末)までは、生きてある程度の活動を続けられる、それ以内ならそれはそれで受け容れる、それ以上生き延びられるようなら、「おまけ」として楽しもうと、勝手に心に決めた(また変るかもしれないが)。そして、もう寿命問題には、なるべく悩まされないようにと思った。そう思ったらずい分気持が楽になった。
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 そうなると、考えることは、遠くない将来の死を設定したうえでの、その期間をどう生きるかという問題と、死の瞬間にどう備え、死後をどう考えるかという問題が残る、この後者の方には、すでに何冊もの本がある(その多くは宗教的ないしスピリチュアルなもの)が、当面の私の関心の対象ではない。
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 少なくとも「来世」を信じる立場ではないから、死後の問題も、私がこれからの余生をどう生きるかという中で考えていくしかない。私は次のように考えた。
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 人が死ぬと、大勢の人が集まってきて弔いを言い、追悼の意を表明する。私自身も少なからぬ追悼文を書いた。それ自体に嘘はないが、死者自身はもはや聞く耳をもたないから、それは死者の家族やまわりの人に献げるものだったり、自分自身の気持の整理や決意の表明だったりする。それが宗教的にも、また、とくに死者の家族との関係にお いても大きな意味をもつことは否定しないが、私は、死者本人にとっては、「哀悼の意」など意味がない、それだったら生前にもっと話したり、共に作業をしておくべきだったといつも思う。人々が忙しいから、なかなかその余裕がないということもあるが、もっと大きな理由は、人の死が突然に訪れたり、もうほとんど何もできないような病状になってから周囲に知らされるからである。
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 しかし、ガンという病気は不思議な病気で、多くの場合、ある時に確実に死は訪れるし(もちろん消えてなくなる場合もあるのだが)、そのことを予期できる。しかもその間本人は多くの場合、案外元気で動くこともできるのだ。そであるならば、この時に、死すべきものと生き残るべきものの交感を、涙など交えずに(涙してもよいが、後向きでなく)、前向きにやっておくべきではないか。
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 私はそう考えた。そのように、この期間を積極的に利用することで、私のメッセージをより直接的に多くの人に伝えられるし、私が死んだ後も、多くの友人たちを通して私の歩んで来た道、志、反省などが、後の世代に生きていくことができるのではないか。「来世の生まれ変り」は信じないが、自分から打って出て、私の命を次の世代につないでいくことができるのではないか。生前葬という考えがあり、それを実行している人はいるが、もっと積極的に私は考えているつもりだ。
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 そう考えると、死を予期するということが、少しも悲しいことでも、恐ろしいことでも、後向きのことでもなく、きわめてポジティブな意味をもって私の胸いっぱいにひろがってきた。
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 最初からそこまで意図したことではなかったが、そういうメッセージをなるべく本書に盛りこみ、それを携えてなるべく多くの全国の人々に会い(エネルギーが許すなら行脚し)、交感し、明日への希望について語りたい。そうすることで私は明日を生きることができるし、今日生きる力も新たに湧いてくる。不安の中で気持が揺れる部分がないと言えば嘘になる(私のように脆弱にできている人間にとってはあたり前のことだ)が、死の予感を生きる力にできるという確信は、まったく予想もしなかった形で私をとりこにした。」
(234-237P)

高木仁三郎(たかぎ・じんざぶろう 1938-2000) 岩波新書1999/09/20---ISBN4-00-430631-0



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