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20000124 ただいま服喪中につき

 堺市のおじ宅で起床。
 源八橋西詰の某ホテルで嵯峨治彦氏とおちあい、地下鉄扇町駅から阪急千里線山田駅、モノレールで伊丹の大阪空港へ。
 ぼくはスカイマークで嵯峨氏よりちょっと早く関西を離れる。

  
  20070102/14時01分 実家内 祖父母・父の遺影

 関西滞在中、やはりどこか傍目には沈んだような表情をしていることもあったのだろう、前日「かりゆし」でクリタアサコ嬢に「亡くなった人も生きてる人が楽しそうなほうがうれしいんとちゃう」と「説教」されたのだった。
 飛行機が雲の上に出、シートベルト着用サインが消えるころ、照屋林助さんの『てるりん自伝』を読んではやめしながら、父のことを考えた。

   *

 確かに今明るく楽しい「気分」ではない。「生」よりも「死」について深く考えている。けれども「さびしい」とか「かなしい」という感情は、ほとんどまったくといっていいほど、わいていない。落ち着いたこころもちといっていい。
 自分が現在いだいている感情を形容するのに、一番ふさわしい言葉はなんだろう。
 清々しさ。
 静かな。

 よく生きた人の死には「浄化作用」があって、残された人たちの生を純粋で輝かしいものに変える力がある。
 そんな結論。
 カタルシス。

 父は昭和四十一年の秋、出稼ぎ先の横浜で勤務中の事故で、左足を失った。
 昭和六年、利尻島生まれで、家業を継いで漁師をしていた父の、致命的な大怪我。
 平成十一年十二月満六十八歳で亡くなるまで、人生の半分近くを片足で過ごしたことになるが、おそらく周囲の誰も「足がなくてつらい」とか「足がないからできない」というような言葉を聞かなかった。

 教訓。愚痴・言い訳はしないこと。

 おそらく、重度障害者に対する公的援助金とちょっとした漁で、かつかつの生活は成り立ったかもしれない。
 しかし父はより困難で未踏の道を選んだ。まだ利尻では普及していなかった昆布養殖。失敗の連続、周囲からの嘲笑にもめげず、信念と確信をもってついに養殖技法を確立。晩年は、人にそれを教える立場になっていた。

 教訓。柔らかな意志を持ち続けること。

 都会の人々が「豊かな自然」という形容をつけたくなるような土地に住む人々が、「豊かな自然」を都会人のように意識しているとは限らない。「開発」したほうが金を産むのであれば、「自然」など破壊されてもいいと、「豊かな自然」地区のたいていの人が考える。
 父はそういう意味では、「豊かな自然」地区に珍しい自然愛好家だった。漁師の経験から培われた自然観は自然なものだった。

 教訓。思い込み、経済的事情に依らず、自然を愛しそこから学ぶべし。

 死に臨んで。
 弱い人間だったなら、必要以上に痛みをこらえることもなく、あるいは早期に癌を発見できていたのかもしれない。平成八年、大腸癌の摘出手術。検査・転移・治療・小康・検査・告知・・・。
 病状は、完全に本人に告知された。父の「自然観」は自分の体の行方を見るのにもよく働いたし、抑制のきく精神の前に、善意の嘘も必要なかった。
 おそろしいことに(おそろしいことだとぼくは思う)、父は、周囲に死が怖いとも死にたくない、とも言わなかった。冷静に、自分の寿命を語ることはあっても。
 しかし、生きようという意思を失ったこともなかった。亡くなるほんのひと月前、父は『アルジャーノンに花束を』を読みたいから買って送ってくれとぼくに頼んだのだった。すでに二か月間、痛みに耐えるため、体をまっすぐにすることができなかった病床から。

   *

 教訓。自分の死を目前にして、自分自身であり続けられる精神を、知性的・理性的と呼ぶべし。

 股関節のリンパ腺に癌細胞が転移し、血行不良になった足(残っているたった一本の!)は、どんどん腫れを増し、それにともなう痛みは耐え難いものであったろう。
 晩春、もはや治療法なしと医者から通告された。父は利尻で、最後の漁をすることになる。ばふんうに、天然こんぶ、むらさきうに。夏、五人の孫を含めたたくさんの客の前で、いつもの年と同じように、船で沖に出ていった。すでに痛みから解放されることはなくなっていたにも関わらず。
 九月下旬、ついに入院。利尻島の国保病院を選んだ。

 教訓。働け!

 死期を悟ったとき、周囲の人間に感謝の言葉を忘れなかった。

 教訓。自分一人で生きていると思うことなかれ。

 飛行機は千歳空港に向けて、降下しはじめる。
 雪の大地。

 おまえは何者か、とたずねられたら、「利尻の漁師の息子」と答えることにしよう。
 父の「教訓」をクリアできないでいるうちは、「ジュニア」以上のものにはなかなかなれないかもしれないから。
 自分の娘たちに、誇りを持って「私は父の娘」といってもらえるようになったとき、「ジュニア」の文字が消えるだろうさ。

 野幌着。
 亡き祖父の遺伝子を持つ娘たちの出迎え。


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