« 20000812 眠るオヂサン | トップページ | 20000814 「TAIGAM」1501-2500 »

20000813 祖父と母の新聞記事

 利尻の昆布漁に関する新聞記事に、田原家のことが紹介されているのを発見。
 新聞は北海道新聞の日曜版、「いつかどこかで 北の遺産は語る」というシリーズの32話。
 「背負いかご 漁師の頼もしき‘相棒’」(背負いかごは「しょいかご」)と発音。

  
  2004年8月9日、利尻町仙法志字御崎、田原家の「船着き場と干場を兼ねる」前浜

 記事一部転載:

「「かご一杯のコンブの重さは、六、七十キロ。竹の弾力性がないと支えきれないね」。天然コンブ漁がピークを迎えた宗谷管内利尻町仙法志地区。早朝の前浜は、竹製の背負いかごを背にした漁師と家族でにぎわう。いそ舟から続々と水揚げされ、二人がかりでかごの中へ。重いかごを背負い、同じ前浜の干場に向かう。

 漁の時間は二時間余り。漁の技術と干場に運ぶスピードが勝負で、かごは船と干場を往復する漁師の頼もしい味方だ。現在はトラックの運搬が主流だが、仙法志では前浜が船着き場と干場を兼ねる地理的条件から、現在もかごが運搬手段として生き延びている。

 かごの材料は利尻島内に自生する根曲がり竹。戦前から漁具や冬囲い、コンブの干場台の材料に活用され、一九五〇年代半ばまで燃料にも使われていた。漁具を自作する傍ら、竹細工を副業とする漁師も多く、二年前に亡くなった仙法志の故田原正二さんもその一人。

 地元の高等小学校を出た田原さんは道(田原注・北海道の意味)の副業講習会で竹細工を覚え、背負いかごから米とぎざるまで、多くの品を製作した。田原家に嫁いだ千恵子さん(六九)は、「竹製品は保管が良ければ何十年も持つ品。『雨に打たれても日にさらすな』とよく話してました」と正二さんを懐かしむ。
 (後略)」

リシリコンブに関する解説も。
「リシリコンブは対馬暖流が流れる日本海、オホーツク海沿岸に幅広く分布。ブランド名「利尻昆布」として出荷されるコンブは宗谷管内枝幸町から稚内市の産までを含み、主に関西圏でだし昆布として重用される。主産地利尻島のコンブ漁の歴史は古く、江戸時代の文献にも漁場が登場する。

利尻島では天然コンブ漁と並行し増殖事業も早くから行われ、一九六五年に利尻・沓形漁協で始まったのが最初。九九年の宗谷管内十漁協のコンブ生産高は天然、養殖を合わせ千八百四十六トン、売上高は三十七億三千万円に上る。」

 記者さんは稚内支局の竹内博さん。
 ちなみに、正二はぼくの祖父で、千恵子は母。

 午後、家族で野幌森林公園の、開拓百年記念塔前の芝生で遊ぶ。
 トノサマバッタ捕りに熱中する。父親一人。
 娘たちは、虫をまともに触れない。触れなくても生きていける。
 いまどきの子供たちの、開拓地を持たないことの不幸。
 虫に触れもしないくせに、人は簡単に殺せる不思議。

|

« 20000812 眠るオヂサン | トップページ | 20000814 「TAIGAM」1501-2500 »

22 利尻・利尻島・利尻山」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 20000813 祖父と母の新聞記事:

« 20000812 眠るオヂサン | トップページ | 20000814 「TAIGAM」1501-2500 »